2008年1月19日土曜日

苦手なものが目の前に・・・それは苦手だからこそ・・・

どうやら、苦手なものほど、日々ふっと目の前に立ちはだかりますな・・・。

苦手だからこそ、テーマとして提示されている・・・と感じる。


強く意識してしまうからこそ、目の前に立ちはだかる。
のだろう。

繰り返されるキーワードは限られている。

まず「Logical」
次に「3年後」
そして、「知るでもなく、思うでもなく、考える作業」

今年の目標とは別に、テーマになるであろう言葉達・・・。

2008年1月18日金曜日

困難に立ち向かえ 艱難汝を玉にす

ストレスイベントがあった。



それがストレスイベントなのは、
それ自体がストレスなのと、
それにストレスを感じる自分にもストレスを感じたから・・・。



最近、こんなストレスも「振り返り」で消化している。



なので、ストレスを感じた瞬間
「なんで今、ストレスを感じたんだろう?そのストレスの成分は?」
という呟きが生まれる。



ある大切な機会に、陰性感情を持ってしまったこと。
折角のチャンスもこれでもはもったいない。



帰り道の車内でひとつ気付く。
『タイミングが良くなかったな・・・』
『状況を察知して、自分を変化させないとな・・・』

ストレスの成分分析に必ず自分の要素がある。



また別の角度で思いつく、
『陰性感情を持つポイントこそが自分と相手との大きな差異なのかも・・・』


こう考えると、ストレスも自己認識のツールになる。

そして、こんな風に考えていると、いつしか陰性感情は消えてなくなる・・・
毎回、こう上手くいく訳ではないけれど、前より上手くなったように思う。

2008年1月17日木曜日

家庭医に振り返りが必要な理由を友人の一言で気付かされた

ここのところの振り返りは自己認識の大切な機会・ツールになってます。
特に誰かとするとさらに進みます。


そして最近、決定的に「振り返り」に大切なことを自分なりに気づきました。



僕の友人が、SNSのコミュニティーで、
・「他の医学的分野よりも家庭医をやる上では振り返りがより重要と感じる」
・「家庭医療は振り返りを行っていかないと、自分が前にすすんでいるのかどうかがとてもわかりにくい状況になる」
という台詞を書いていて、初めて気づきました。



それは、「振り返りが自己変容の機会・ツールになる」ことです。




家庭医は日々知識面・態度面・技術面で自分を成長させることが求められています。

得意分野を伸ばす作業よりも、弱点補強の作業が多いです。


日々多様な知識・スキル・マネージメントなど・・・極端に言うなら多様な『自分』を求められる・・・



そこで、

自分の無知に気付き
焦りなどのネガティブな感情に気付き
マネージメントや説明があいまいな自分に気付き

・・・ それを修正・成長させることこそが、

「重要で、前に進んでいる感覚」につながると思いました。



そう考えると、認識することが変容の始まりだし、
「振り返り→再構成」は、自分の再構成なのかもしないと思うのです。



そう思って・感じて振り返りすると、なんとも深い作業ですね。

2008年1月16日水曜日

振り返りと、家庭医療のイノベーション普及論

Ian R. McWhinneyの『A Textbook of Family Medicine』
http://www.amazon.co.jp/Textbook-Family-Medicine-Ian-McWhinney/dp/019511518X
おそらく、今ではないが、将来・生涯『座右の書』となるであろうと確信している。


この本で勉強会を始めてから、
自分の中の「家庭医療学」が加速している。


ひとつ発見。

p68の「The Biopsychosocial Model of Illness」という題名で、
生物心理社会モデルの提唱について書かれたが段落がある。
「これが家庭医療学のプリンシプルになっている」と指導医から教えてもらった。


ん!?!?

これは、どこかで聞いた話・・・そうだ、学生時代に心療内科の先生に聞いた話だ!!!
と思い出し、週末に『心療内科 初心の心得 -症例からのメッセージ-』という本を読んでみた。



深く発見。

流れ1
・ドイツでの心身医学が発展し、第二次大戦で中断
・その間に米国で、心身医学が臨床(特に精神科)で取り入れられ発展
・精神科医が中心となる心身医学の発展が、リエゾン精神医学に発展

流れ2
・日本では内科医を中心に心身医学が発展
・昭和36年に九州大学で「精神身体医学講座」が誕生(初代教授はかの池見酉次郎)
・平成8年に心療内科が誕生

流れ3
・カナダのMcWhinneyらによって家庭医療が誕生


その他の流れもあるが、ちょっと知りません。



これらすべてに共通しているのは
・システムアプローチを基盤にしたBiopsychosocial ModelがKeyになっていること!!



ということは、大きな枠組みで捉えると、同じアプローチを持つ仲間ということになる。
みんな、『専門の先生と診る疾患は同じですが、診る方法が違うんです』と答える人たちである。



座右のHPのひとつにHANDS-FDFがある。

このHPの中に、イノベーションに必要な5つの要素が書いてあった。
http://mywiki.jp/familydoc/HANDS-FDF+(Faculty+Development+Fellowshipj/ƒCƒmƒx[ƒVƒ‡ƒ“•‹y—˜_/



そのひとつに、
・「両立性」:既存の価値観、過去の体験と矛盾しないこと
が、あげられている。

この文章では16%の壁を越える難しさが書いてある。


確かに、今までの家庭医療の世界ではそうだった。

日本全体で新しいパラダイムで医療をしている人たちをひとつと考え、
その壁を、窓のブラインドみたいにサクッと開けたら、専門家同士の交流が始まり、大きな力のひとつになんじゃないのかな~と想像してみた。


ただ、残念なのは、日本で、
・リエゾン精神医学が、病棟での他専門科疾患と精神疾患との関連においての教育、実践、研究に。
・心療内科が、一部大学病院とその関連病院+卒業生の開業診療所での実践、教育、研究に。
・家庭医療が、一部家庭医療学センター、大学、診療所での外来・訪問においての教育、実践、研究に。
・・・と、育つフィールドが切り離されてしまって、独自の成長を遂げてしまっていることだと感じた。

・・・同じ子供でも育つ環境が変わってしまうと、別の人格に見える・・・のに似ているかも。
と・・・勝手に振り返ってみた。

「プロとは・・・どんな状態でもこれだけのものを提供できる線を保てる人」

NHKのプロフェッショナルを見ました。
歌舞伎役者の板東玉三郎でした。

最初の衝撃の言葉は、
・「自分の仕事の使命を考える」こと・・・
以前の指導医は「mission」「mission」と口にしていたので、それを思い出しました。
自分の「mission」について、機会をつくって考えないと・・・

また、所作振る舞いについて、
・歌舞伎で型どおりしては人の心を打たない『型に命を吹き込む』ことが大切
・「同じディティールで同じニュアンスは出ない、所作を命や魂の糸で縫い付けないと・・・」
との言葉は、日々の仕事や茶道にも通じるな・・・と感じました。
形は大切だけど、繰り返すことで、自分を・心をそこに表現できるようになるんだと想像しました。
高いレベルのパフォーマンスとはこんなことを言うのでしょう。
非常に背筋が伸びる気持ちのする彼の言霊でした。

そして、最近テーマだった「自分のメンテナンス」について、
・公演前日の最後の稽古であえて化粧しない→冷静になるための仕掛け 
・仕事が終わったら、どこも寄らず、公演初日の打ち上げにも参加せず、まっすぐ家に帰る
・家に帰ると体を休める マッサージする
それが50年徹底してるな・・・と驚嘆。

・『遠くを見ない、明日だけを見る』『ただ明日のことだけを考えよう』
と彼は言ってましたが、そんな感覚になることが、自分への厳しさといたわりを共存させているんだと感じました。
もちろん、この感覚に行き着くには、小児麻痺だったこと、高身長で女形として体に負担のかかる動きをしていたこと、30ヶ月休みなく働いた20代に鬱になったことなどの積み重ねがあるかもしれませんが、 そういった自分の状況・条件を冷静に把握してメンテナンスを怠らない姿勢に感動しました。

番組の後半のインタビューで、役者の華とは?と(無理やり)聞かれ、
・「良く生きてないといけない」「向上したい、ちゃんとしたいと思って生きている」
と、そんな言葉ではないけど、言葉にするならこんな言葉・・・のような様子で語っていたのが印象的でした。
司会者も聞かなくてもいいのに。見ていたら感じることなのに。言語化しなくても・・・と思いました。

最後に、
・目指す境地は無意識の美 「花は美しく咲いているけど、誰に見せるわけでもない・・・そんな美しさ」
とのこと。
世阿弥の「風姿花伝」の一説を思い出させる言葉でした。

この番組でロールモデリングすることが、毎週の楽しみです。

2008年1月15日火曜日

薄茶の炉手前でのFeedback~意識と無意識の大きなGap~

今年最初の茶道の稽古。

薄茶の炉手前をした。
初炭手前→薄茶手前→薄茶点前拝見付き。

先生より、いつもより細やかなFeedback を頂く。
手前を中断され、「今の手前は、こうでした。私なら、こうします。」とデモを見せられる。
一回見ても『?』「すみません、もう一度お願いします」。
二回見ても『??』、違いがわからない。

このデモは無意識のところを意識化するようなFeedbackだった。

「では顔の動きを見てください」と注目ポイントを教授していただき、見学三回目。
『あ!全く違う!!!』と、やっとのこと発見。

意識してないところは、繰り返し見ても、意識がそこに行かない。
ただ繰り返し見るだけでは意識化は困難なことに気付く。
ポイントを教えてもらえたからこそ、意識化できた。

確かに、意識しているところの所作と、無意識の所作では、
美しさや見ているほうの心地よさが変わってくる。

茶道の稽古・・・は外来での所作と同じであると考えると、
この意識と無意識の違いでは大きな、多くのGapを生じているんだろうな・・・。
まだまだ雲水。

明日から仕事・・・無意識の意識化と、意識の無意識化を積み上げていく一日にしたい。