2008年12月25日木曜日

おかげさんで 自分の資源と思っていたものの向こうに・・・

先日洞爺湖畔で行われた北海道家庭医療学センターのローテーション会議+オリエンテーション

来年の大きな道が決まりました!!再来年以降の道も見定めつつ・・・

そこでチーフのMさん、K太郎君が編集してくれた自己紹介冊子を読んでいて、お勧めの多かった「Live Hacks」を帰ってすぐ購入しました

そして通勤の地下鉄で読破!本の序盤に「自分の口癖を考えましょう(5分)」というお題が出ました

ちょうどその時、大通駅で乗り換え待ちだったので、
『札幌駅着くまでに思いついたものにしよう!!』と心に決め、
・・・
・・・
と、考えていると、ふと
「おかげさん」という言葉が出てきました
そして札幌到着


これは地元のごえんさん(=ご住職)によく教えてもらった言葉です
ごえんさんの姿と声とそこにいるかのようにセットで思い出されました

ずっと小学生時代の夏休みは、ラジオ体操の後には必ずお寺でお経の勉強でした
濃厚な自分のContextです
ラジオ体操のスタンプカードと正信偈の本が毎朝の持ち物でした

「おかげさん」
謙虚さの混じった感謝の言葉で素敵ですね~
いい言葉が思いついたもんです



今年は4月から9月まで怒涛のレクチャー漬けで疲れてしまい、
最近封印していたのですが、重なるときは重なるもので12月上旬だけ4つのレクチャーを行いました

①12/6 学生向け家庭医療レクチャー「昨年最も印象に残った患者さんの物語+家庭医療学的振り返り」90分
②12/12 地域住民向け健康講話「高齢者の“健康”づくり」60分
③12/14 HCFMオリエンテーション「振り返りとポートフォリオ」60分
④12/18 プリセプター向け講演会「成人学習理論とFeedback」90分

いずれも、ぎりぎりの準備で泣きそうなときもありましたが、
本番は上手く伝えられた手ごたえを感じました

新たなプレゼンスタイル、新たな聴衆も経験できて実りの多い機会でした

実は「おかげさんで」の言葉と再会するまでは、
『この4つのレクチャーが短期間にできた自分の資源はなんだったんだろう??』とNLP的に振り返っていました

今は『誰の、何のおかげさんでその資源があったのだろう』と考えるようにしています

①はその患者さんとの出会いと日々、経験を支え共に振り返ってくださったK先生の存在、振り返りの場を教育的に用意するHCFMの環境、発表の場を下さった学生さんと、そのきっかけのO先生・・・・・

②は、K先生の外来プリセプティングでの言葉、それで購入した本を読んだこと、以前に室蘭の診療所で同じテーマで経験するチャンスがあったこと、そしてアントノフスキーさん・・・・・

③は教師というかつての夢の存在、興味関心が強い分野で本を多く持っていたこと、日々の実践と振り返りの振り返りができたこと、HANDSのHPが公開されていたこと、室蘭の病院で高価だけど良書の医学教育の本がコピーしやすいバインダーだったこと・・・・・・

④は看護管理部に僕を紹介してくださった師長さんと推してくださった主任さん、Feedbackのレクチャーの機会を以前に創ってくださったD先生、看護教育という雑誌を知った図書館バイト時代、事前アンケートを送ってくださったSさん・・・・・・

などなど、もっとあげればきりが無いくらいの、「おかげさん」だらけです


NLP的に『資源』というと確かにかっこいいので好きですが、
よくよく考えると、「おかげさん」だらけ

・人との出会いとそれからの関係性
・良書との出会い
・学ぶ場の力
・人生の何気ない経験
・未知への挑戦
などの集積が、この連続レクチャーを支えていたものを支えてくれていたと気づきました

だんだん大人になって、ひとりで何でも出来る感じがする危ない時に、
この「おかげさん」は、おかげさんで効きますね~


自分の口癖になるように、振り返りに使っていこうと思います

2008年12月16日火曜日

悩みの奥にある力を知る週末

今学びのテーマはリフレーミングです

このリフレーミング
大層奥が深い

ネガティブな物事には、ポジティブな側面がありますよ~かと思いきや、
出来事そのものの評価では無く、枠組みによって意味や焦点が変わるということだそうです


視点や価値観に固執しているとメタ認知ができず、
良い評価も悪い評価も同等で狭いものになってしまうことに気がつきました

良いの?悪いの?とあいまいになるほどリフレームがいい具合にゆれてくる感じです


実は、再来年以降の進路でずっと悩んでいました
先週のNLPプラクティショナーコースで、
ペアで互いに今の自分を紹介し、リフレームするというワークがありました

『2つの未来で悩んでいる状態』をリフレームしてもらい目から鱗でした

とある相手から、
「選択に悩んでいるのは、どちらかに決まったら強い自分を知っているからでは?」
との様な内容にリフレームされて、『そうか!!なるほど!!』と思ったからです


その方と、その後話をしていて、
「生き方を聞いて、決断の先にある強さを感じたから…」とのFeedbackをもらいました


帰宅して、嬉しそうにオクサマに報告したら、
「決まったら強いなんて、そんなん皆ちゃうん」と言われました

『そうか~確かに~』と、ガクッとしながらも、
“皆そうなんちゃうん”ことに気がつかず、悩んでいた自分にも気がつきました

姜尚中の「悩む力」を読んでも思いましたが、
悩むときには余計な陰性感情を持たず、丁寧に思考を熟成させる真面目さが必要ですね



その後、決断は大きな波に飲まれながらも、波に乗って動いています

昨夜電話したメンター曰く、
「人生が経つと、自分ひとりの決断では生きられなくなるよ」
「その波に飲まれて、乗ることも大切だね」
と言葉をもらいました


結局、縁とタイミングか・・・
そして、それを素敵なフレームで捉えて生きること・・・ですね

確かに、来年のことが決まって沸々と湧くモチベーションを感じるこの頃です

迷いには、迷う力とその力の奥に自分らしさがあることを知った週末でした

2008年12月8日月曜日

12月の京都の学府の地下で・・・

数えるともう5年連続です・・・
今年も関西の医学生による家庭医療の勉強会:FPIG関西の家庭医療冬期合宿に参加しました

かつての元気なスタッフ達が6年生で今年はもう開催しないかも・・・と思っていたのですが、
O先生のお誘いがきっかけとなって、新たなスタッフとして学生さんが名乗りを挙げてくれました
いろいろ大変だったと思いますが当日は8大学30名の参加でスタッフの頑張りに感銘しました

そして、このきっかけとなったO先生にも非常に感謝です


今回は後輩のS先生のプレゼン方法をモデリングしながら、昨年の忘れられない患者さんの物語を話すという挑戦をしました

いつもは目的を絞るのですが、今回はニーズが多彩で広かったので、あえて拡散して参加者がその中からテーマやメッセージを見つけてもらえたら・・・と思ってつくりました

準備期間も短く、前日深夜まで作っていたのですが、なんとか手ごたえあるWSになりました


多様な価値観を提供する物語なので、力強い白黒写真をイメージしました

プレゼンで、
・トーンを抑えて淡々と話す
・視覚聴覚体感に訴えるように表現を組み合わせる
・ストーリーテリングを意識する
・自分も世界に入る+反応を見てスピードを変える
という点を意識しました

らしくない話し方は挑戦でしたが、なんとかできました


反省は、
写真がまったく無い文字のみのスライドになったこと
特定の人とのアイコンタクトが多かったこと
です


学生さんたちの質問や反応はとても勉強になりました

この場が今後も継続してくれそうなことに感謝の気持ちでいっぱいになりました
そして、かつてFPIG関西を立ち上げた仲間とWSできたことが喜びでした


毎年参加しているので、来年こそはお休みしなきゃ・・・
と言いつつまた参加してそうです・・・

2008年11月29日土曜日

ストレッチする経験と時間をおいた再会

来る12月6日、7日に京都大学で家庭医療の勉強会に参加します

学生さんが主体で開催してくれている勉強会で、今年で五回目になります

一回目は学生として主催者
二回目は初期研修医としてWSの演者
三回目は後輩達のWSの統括、仲間とのOBセッションの開催
四回目は後輩のOBセッションのコーディネート
と歴史を振り返っても思い出多い勉強会です


そして、今年こそは欠席かと思っていましたが、
性懲りも無く参加することになりました(実は参加したかったのですが・・・)


今回は、90分の枠を目いっぱい使って物語を語ろうと思っています


先日の夏の総合診療セミナーで初期研修医のS先生が、
物語風にWSをやったのが魅力的だったので、一度やってみたいと思っていました


物語の主人公は、医師人生の4年間の中で忘れられないNさんと、その家族との4ヶ月です


ただ淡々と日記を読むように、物語を編むように、エッセイを綴る様に話す

チャレンジングなWSですが、Nさんとその家族との4ヶ月はその価値が十分に詰まっていて自信を持って臨めそうです



準備をしながら、
何度も何度もあのときのNさん、家族の皆さんと再会したような気分になりました

そして、そのときの自分とも再会したような感覚になりました


指導医から「家庭医としての宝物として経験」と表現されたのも納得です


今振り返っても、多くの意味や学びに満ちた経験だったと改めて思います





時間がたっているからこそ、再会は意味を深めるような気がしました




実は、先日14年ぶりに大切な人との再会があり、
その年歳月が経っているからこその、再会の味わい深さを覚えました


ただ懐かしいというよりも、喜びと切なさを混ぜたよう“懐かしい”という感覚でした



今、Nさんとその家族の物語をたどっていた中でも、
複雑で葛藤もあり苦い部分もありつつ、
その苦さのなかの豊かな香りや味わいのコクが、
熟成されたテイストになっているイメージを覚えました




一つの感情では記憶できていないと言うことが、大切な出来事の証拠なのかもしれません

と気づいた夜でした

2008年11月28日金曜日

回復と再構成 ゼロの意味とゼロの設定とは?

印象的な一週間でした

しばらく声が出なかった人の“声”を聴いた瞬間
帰れないかもと思っていた方の帰宅の方針が固まった会議


話すことも、家に住むことも
多くの人にとっては「当たり前」のことなんですが、

この仕事をしていると、「当たり前」や「普通」に霧がかかり、
切り離された方々との出会いが多くあります


その中で、多くはそのままですが、
今週のように「回復」する過程を経験して、この上ない喜びを感じました


多くはそのままですが、と書きましたが、
時間が経つと「回復」ではなく「再構成」を経験することは片手くらいありました・・・
「再構成」は喜びというよりも感銘を受けます


医師になろうと思ったとき、
当初は「その人の人生の軌道が、病でズレたときにもとに戻す仕事」と考えていましたが、
家庭医を目指すようになって、「病でズレたときにその新しい軌道を支える仕事」と思うようになっていました

その中でも、やはり「回復」や「もとに戻りつつある過程」を経験することはは嬉しいことでした

マイナスをゼロに、ゼロをプラスに、
回復の過程も、再構成の過程も、サポートできる存在でありたいと思った一週間でした



昔父親に、「今が幸せなんやで。明日虫歯で痛くなったら、つらいけどその後今日みたいに痛くなかったら、『なんていい日なんや』って思うやろ?」って言われたことを思い出しました。


幸せはいつも相対的で、ゼロの設定がどこにあるかが大切だと改めて思いました

2008年11月5日水曜日

それは誰のストレスかを知ることの距離感

忘れないうちに、最近の気づきを・・・


「周囲の人のストレスを、自分のストレスにしない」


患者さんのストレスを傾聴しながら、逆転移で自分のストレスにすると、
とても深く共感できるのですが、ちょっと危ないやり方だそうです

でも、さすがに医師患者関係はどこか客観的になる距離感なので、
そこまで患者さんのストレスが巨大でない限りやられないのですが・・・


ちょっと近い人のストレスが、
最近強くてそれを自分のことのようにストレスに感じていました


感じなくてもよいのに・・・

familyもcommunityもほとんどのcontextが順調なのに、
なんだこの疲労感??と思っていたのですが、
一緒に居る人のストレスが高いと、その影響も強いことを自覚しました


今の立場でそこまで強く感じなくてもよいストレスを貰いすぎていました・・・
しかも、その人たちもそこまでのストレスと思っていないかもしれないのに・・・


気づいてよかったけど、どう考え・距離をとるべきか・・・


同期は「楽しんで眺めたらいいよ」と言ってくれました
見方・距離感をどう捉えるか


扇子一本置いて心の中に敷居を作るように、
自分で境界線を引く作業をしないといけないのでしょうね

情報過多の時代に、自然に情報を取捨選択しているように、

他人のストレスも、
察知と理解をして気遣うところと、
巻き込まれて傷つくからあえて触れないところに分ける

そんな線を引かないといけないのかもしれません・・・
さて、それは直線なのか、点線なのか・・・


そして、発想を変えてみると、
「自分のストレスを、周囲の人にあげないように!」しないとな・・・と思いました

2008年10月19日日曜日

その人を知るための大切な過去

今週は新しい職場の初日
本来5名体制が3名体制という思いがけず波乱の幕開けも加わり、
種々のテンポがつかめなかったと反省・・・

それでも、状態把握や課題整理、
冬期セミナーに向けての会議も大いに進められました

来週から加速します



さて、一昨日帰宅直後にふらっとつけたNHK
「その時歴史が動いた」で思いがけず涙しました


19歳という若さでアイヌの女性が、
「アイヌ神謡集」というアイヌ民謡の翻訳・編纂を行った物語でした

彼女の名前は知里幸恵

その原稿の校正を終えた日に、まさに命を燃やすように亡くなってしまったという突き刺さるエピソードもありました

そして何よりも、
自らのアイヌとしてのアイデンティティの再構築の過程が、
今まで大切にされてこなかったもの、見過ごされてきたものへの愛と自信に変わる姿がとても印象的でした


彼女の命を賭けた本は、その後アイヌ民族の復興と再評価への礎となったそうです
すごい19歳だと感じました


その後調べた、「アイヌ神謡集」の序文に感動しました

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 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.

 天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
 
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀《さえ》ずる小鳥と共に歌い暮して蕗《ふき》とり蓬《よもぎ》摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝《かがり》も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円《まど》かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.

 平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
 
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.

 僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.

 しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
 
 その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
 
 時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.

 激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮《あけくれ》祈っている事で御座います.
 
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
 
 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
 
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.

 大正十一年三月一日 知里幸惠

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 やっぱり、すごい19歳です

 
 番組を見ていて、自分は過去の大切なものを忘れて生きているんだな…と感じました

 
 ノスタルジーや温故知新といってしまえば、それまでなのですが、
数年前、数ヶ月前、数日前に感じた複数のものとオーバーラップしました

 ひとつは、西洋医学の限界から興った、医学における人間性の回復をひとつのコアとしている家庭医療を学びながら感じていること

 そして、「学習する組織」「システムシンキング」などで最近は読み進めているピータ・センゲの最近の著書『出現する未来』でも述べられた、現代を新しく生きるための“仏教的”思考で思ったこと

 最近では、実家に帰って、自分を構成してきた過去と再会する日々を過ごして体感したこと


 それら、全てが、(のぼせない程度に)
「大切な過去を思い出す」ことの大切さを教えてくれました

 今日の番組はとどめですね・・・


 過去を振り返らない、前だけ向いて進むとき。
人は大切なことを忘れて、しまっているのかもしれません

 辛い過去も引き連れて生きるときこそ、
過去の辛さが幸せとなって自分を有るときから支えてくれるのかもしれません


 「大切な過去を思い出す」を大切にしたいです

それは、自分も、相手も同じで・・・

2008年9月28日日曜日

半年間の振り返りで気づいたこと・・・

3日前にこの半年間の振り返りがありました

北海道家庭医療学センターでは、
指導医と3ヶ月ごとに振り返りを行っているですが、
前回アクシデントで飛んでしまったので、札幌に来て初の振り返りです

昨年までは大体1ヶ月ごとに振り返りをしていました。
しかも毎週振り返りの時間を作り、記録していたのでビデオの記録のような振り返りが多かったのです。


が、
準備に向けてほぼ1週間、手帳を見ながら思い起こしながら…
4月から9月まで・・・を振り返ってみました。
ざっくりとした中でも、大きなテーマがいくつかありました。

・不慣れな病棟だったけど、種々の要因・支援で家庭医のままで働けたこと
・子供が生まれたことでの公私にわたる味わい深く、一部葛藤を伴う変化
・新しい職場での働き方のクセや、背伸びしてしまう自分の傾向
・自分が本当にやりたいと思っている仕事への情熱
などなど・・・

その様々な構成要素とそれらのインタラクションがボワッと見えてきました。
ひとつの事象が、別の事象と一塊となって、その集合体への振り返りがに多くなりました。

今回は、意図せずそうなってしまったのですが、それが良かったです。


当日も、いつもより生き方、働き方、ライフワークバランスなどが話題の中心となっていました
事例ごと、事象ごとの振り返りは、減ってしまったのですが、
今回は指導医からのコメントも非常にメタでした



振り返る時間がより長くなると、
気づきや内省が、よりメタになるんだな・・・と実感しました

たまには一年間を振り返る、とか
今日までの人生を振り返る、とか
やると違うんでしょうね・・・
やるといいんでしょうね・・・

今回は、
・種々の成功体験を「よかったよかった」にしない。成功の条件が揃っていたことを忘れない。

・仕事が順調なときほど仕事を増やさない
(これはこの振り返りの翌日、同じ病院の同期にも言われました。しかも、システム理論でも支持された内容と・・・)

・自分の役割を理解して徹して全うする

などなど、大切にすべき気づきやメッセージを感じました。
しみじみ感じました。


最近読んだ本に、
『学ぶことは壊れること。壊れるからこそ新たに生まれることがある』
とありました

この半年間の学びで、自分の一部が壊れゆく感じは、怖かったし、時に痛かったけど、
前を向いて、楽しんでいたからこそ、今生まれつつある新しい自分も歓迎できています


やはり非常に深い機会になりました


来週末からようやく夏休暇です
日本海の船旅、実家ライフ、アートな離島を楽しみます!!
勝手にサバティカルと名付けて、いろいろReflectionしてみようかな・・・

2008年9月23日火曜日

家庭医とスタバのバリスタとの共通のキーワード

学生時代は三条大橋西のスタバに好んで通っていました
鴨川を見下ろし、東山を見上げ、ちょっと異国情緒のあるスタバが好きでした

スタバの居心地は、家庭医療の提供しようとするものに、
ほんのり似ていると以前から思っていました

以前Penという雑誌のスタバの紹介の文章を下記のようにいじってみました
(バリスタを家庭医に変えて遊んでみました。)

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家庭医療

家庭医がつくる、新しい医療文化

北海道の工業都市室蘭に、家庭医療の教育施設が生まれて12年になる。
診療所で働く若手の家庭医は、適切な医療を実践するだけでなく、通って来る患者さんとの自然な会話を通して、よりよいマネージメントを提供する。
家庭医を頼ってさまざまな訴えや相談が持ちかけられる中、誰もが健康に幸せな人生を過ごし、やがて地域のコミュニティが形成される。
どんな健康相談にも笑顔で応じて、独自の方法で問題解決を可能にする家庭医。
そんな家庭医たちがつくる、新しい医療文化とはどのようなものか、本場室蘭からレポートしよう。
---------

なんてね。かっこよすぎですね。
現実はもっと悩んだり、困ったりなんでしょうけど・・・。

コーヒーを提供するという文章がこうもしっくり変換できるのが楽しかったという話でした。


その後、スタバの「グリーンエプロンブック」なるもの読み、一人一人へのカスタマイズや、
その人の人生に関わることを喜びとするバリスタの姿勢に、ますます家庭医療に似ている…と実感。

医療なので、徹底した顧客志向な訳ではないけれども、
サービスのパラダイムシフトを起こしたスタバは、
医療のパラダイムシフトを起こそうとしている家庭医療にやっぱり似ていると読んで思いました。

しかも、キーワードが一致していました。
「関係性からの人間性の回復」という言葉でした。

2008年9月1日月曜日

映像と音で、未来に気づく、未来を築く

今日、北海道家庭医療学センターのHPにとある動画がUpされました
 
参考URL:http://www.hcfm.jp/

*最初は遠くの花火のように映像と音声がズレます  
 しばらく待ってから見るとスムーズです

自分の組織なのに、たった数分の動画で感動してしまいました
きっとBGMや生の温かい言葉に触れたのが原因だと思います


初めてインターネット上で動画や音声を多数Upしていたのを目の当たりにしたのは、茂木健一郎さんの「クオリア日記」というブログでした

先日のFMラジオ出演もvoiceblogとしてUpされています
参考URL:http://www.voiceblog.jp/kin-ikyo/
*第61回と62回で「家庭医療」について話しています

今まで文字情報だけだったInternetが、
iTuneの音楽配信やYoutubeの動画配信を代表に、
多彩なメディアで情報を伝えられるようになっています

それをここ数年肌で感じて、面白い時代になったな~と感じています


文字表現の可能性とは別次元の、音と映像でのメッセージ


それは、とてつもなく大きな共感を生む装置になっているように思います


誰かの心地よい歌には耳を傾けてしまうように、
レストランの不思議な絵に目を奪われてしまうように、

音楽と美術がインターネットに溶けたときに、
人の持つ力や温もりや、そしてメッセージが強化されるように感じます


小説のように思索の世界への没入は出来ないし、
強制的にさらされる音と映像のスピードについていく困難も一方ではありますが、

一瞬にしてその世界への誘導力と、訴える表現力は、
やはり映像と音楽ですね・・・


文字は文字で好きで素敵なんですけど・・・



最近は、後期研修後の自分の仕事する場所について時々考えていました
滋賀に帰るか、北海道にまだしばらく残るか・・・
今日の映像に心奪われて、何か熱いものがこみ上げてきて滋賀への帰郷の念が薄らいでしまいました

思えば最終ゴールは滋賀なのですが、ゴールのテープを切る自分が、どこまで走ればゴールなのかを設定できていません
しばらく課題ですね…


外へのメッセージは、中へのメッセージにもなっているようにも感じてしまいました
そう思えば、作者の意図されない影響も音と映像の力ですね・・・

2008年8月18日月曜日

Look backから、Look aroundのふりかえりへ

北海道に来て4年半を迎えようとしています。

北海道に来て学んでいることは一生の財産になる確信をもち、
滋賀で積み上げてきたことも北海道で支えになっています。


その中のひとつ、北海道で出会って良かった言葉に「reflective practice」があります。
省察する実践家と訳されています。


ふりかえりながら成長する家庭医、は
今までも、今でも、そしてこれからもテーマになると思っています。



最近、医学教育のレクチャーを毎月担当して、
友人の指摘で自分のふりかえりに新たな気づきが生まれました。


それは、僕のふりかえりは、振り向く程度だったかもしれないということ。

ぱっと後ろを、ふと足元を、何気なく上を
見るように
自分の言動や思考をふりかえっていました。

見るべきポイントや、自分の課題のコアを、
振り向いて見つけていたとは思いますが、
きっと今まで不十分だったと思いました。


と、いうのも、
ふりかえりで、振り向くくらいなら、
その周辺を見渡すくらいのふりかえりがあってもいいのでは?
ということです。


振り向くだけのふりかえりでなく、
見渡すようなふりかえり


きっと時間がかかりますが、
新しく見つめるもの、
初めて見つけるもの、
に多く出会えそうです

そう出来るようになると、もう少し省察・反省レベルから、
あたらな概念や実験が生まれる土壌が出来るかもしれません。


今後、臨床家のみならず教育者、研究者として生きるために、
この大きくな見渡すようなふりかえりは必須です


ちょっと時間をかけて、角度を変えて、
見渡してみたいと思いました。

2008年8月17日日曜日

ジェネラリストのこれからを考えた二日間から

もう一ヶ月以上も前の話ですが、
十勝の芽室町で開催された第2回GPRPに参加しました

GPEPとは「ジェネラリストのこれからを考える会」の略とのことですが、
実際は、
『1984年に米国医科大学協会(AAMC)によってまとめられ、その後の世界の医学教育に大きな影響を与えたと言われているGPEP(Report of the Project Panel on the General Professional Education of the Physician and College Preparation for Medicine)レポート』にちなんでいるとのことでした。
参考URL:http://gpep.umin.jp/

アメリカでの医学教育に画期的な変化を起こしたGPEP。
日本では今後の総合診療・家庭医療の変化の起点になるのでしょうか?


前回は佐久総合病院、今回は町立芽室病院という地域医療の最前線を開催地にしながら、
講師陣やスタッフは日本の総合診療、家庭医療の第一線の指導医達という絶妙な組み合わせがなんだかいいな~と感じながら、ジャガイモの花咲く十勝平野をウキウキしながら進みました。


一回目は自分の殻から出られなかったのと、対象が異なる印象を受けたので、(あと遠いのと)
出席しませんでしたが、今回は非常に興味を持って参加できました。


というのも、現在研修中の病院には、規模が大きく数少ない成功している総合診療病棟があって、
そこでの日々が今の自分に大きな影響を与えたと思います。

現在、家庭医として病棟で働く日々というのが大変貴重な経験になっています。

家庭医として病棟研修しながら、いつの間にか殻をすでに破っていたのかもしれません。
病棟の同期や指導医との日々でジェネラリストという言葉に、今までより馴染んだ状態で参加できました。


一番感じたことは、「家庭医療と総合診療のベクトルとフィールド」です。
2日間を通して、そして総合診療部での日々を通して、
「ベクトルは同じで、フィールドが違う」という感覚が強化されました。

ベクトルとは、生物心理社会モデルの広がりや、患者中心の医療の方法の実践を、
意識的か無意識的かは別に、大切にするベクトルのことです。

フィールドは名前の通り、診療所(僻地、都市部)か病院(市中、大学 大病院、中小病院)である相違があるということです。

ベクトルが一致しているので、医師としてのあり方や機能、患者さんに与えるoutcomeは似ていると感じました。そのベクトルが多彩なフィールドで展開されていることが実感できました。


さて、初日の講演は芽室病院の宮本先生と、札幌医大の山本先生でした。
宮本先生は、地域医療に真摯に取り組んできた経歴の紹介のあと、
住民ニーズを大切にしながら芽室で取り組んでいる地域医療のお話が聞けました。
「人間いたるところに青山あり、墳墓の地にならんや」というフレーズが心に残りました。
経験が積まれ、思いが込められた言葉でした。

山本先生は炎のレクチャーでした。
今までは物静かな先生なのかなと感じていたので、炎のような山本先生を見て最初は驚きましたが、
聞いているうちにモチベーションとなっている山本先生自身の原体験と、
紹介された理論やフレーズから今日までの数々の学びや思いが、一気に爆発しているレクチャーになっていると感じました。
炎が「引退宣言」との取れるような発言もあり、
一世代目のリーダーから、GPEPの次世代のリーダに向けてのエールのようにも聞こえました。
含有が多く、すこし切ない講演でした。


ワークショップでは臨床推論、プレゼンテーションについて深く学べました。
東大の大西先生のプレゼンテーションの成長モデルが非常に面白かったです。

プレゼンテーションの向上を5段階に分け、段階ごとに指導医からのfeedbackが発達を促すように作られていて質の高いモデルになっていました。

しかも、そのWS中種々の質問が出ても必ず「それは・・・です」「そこが難しくて・・・」と、
モデル作成の過程の10年間の背景やそれでも残る疑問を教えてくださる姿勢に研究の蓄積を感じました。

暗黙知を形式知に変えることの難しさと大切さ、そしてそれには時間がかかること
そんなことを感じるWSでした


飲み会では、ジェネラリストは内科が何よりも大切という語りを聞いて、
総合診療医のコアは内科!!というコアがあるのかな?とぼんやり感じながら、家庭医として内科を突き詰める姿勢と、家庭医の機能全体の中の内科の大きさやバランスについてひたすら考え込みました。


遺伝型はジェネラリストでも、地域や働く場所によって表現型が内科医や家庭医になっているので、そのフィールドに求められる力をそこでつけることが一番だと思いましたが、課題にしている内容だったので染みました。


圧巻は「プライマリケアの現場における指導医のアプローチ」でした
とあるCaseのプレゼンを聞いて、GPEPの指導医からのコメントがあったのですが、
・reflectionも患者のケアになる
・患者の代理人になる意識と、そのテーマを発信する
・継続性のためのきっかけ作り
・辛い決断のときのリーダーシップ
などなど、教科書に無いけど、ジェネラリストにとっても大切なことの宝庫でした。


今までセミナーや学会など家庭医療の世界にどっぷりでしたが、
新たな出会い(人も考えも価値観も)がたくさんあって、かつその出会いが心地のよいもので、
参加してよかったと思いました。


最後に、一番染みて心に残った内容。
「不確実性に耐える力、の前に不確実なものかの本質を見極める力が大切」

臨床の場の問題を安易に不確実性に押し込める前に、
それが本当に不確実かを見極める研鑽が必要なんだと痛感しました。

道は遠いですが、一歩一歩の毎日にしたいです。

2008年8月2日土曜日

誕生を信じて待つ産婆の喜び

内科研修している病院で、医学生対象のセミナーが開催されました。

一年間の所属なのに副実行委員長を仰せつかり、
講演会の準備と、一年目の先生による学生向けのレクチャーのアドバイザーなどとしてこの数ヶ月準備をしてきました。

講演会は講師の先生の協力あって準備が進み、
非常に楽しんで準備が出来ました。

Fuculty Developmentについてお話を頂き、インパクトの大きな講演会となりました。
実践は多いのですが言語化の少ない文化に、言語が蒔かれた感じになりました。

講演後のアンケートも、
「いい話だった」「ただ働いていることにはっとした」「FDを学びたい」など
好評を博した様子が感じられました。

ハワイにいった同期と、千葉の指導医の紹介があって実現した講演会でしたが、
北海道の、札幌の、家庭医療の発展の胎動を感じたひと時でした。



難産だったのは、一年目の先生達のレクチャーでした・・・。
これでレクチャーやWSの指導をするのは何回目でしょうか・・・。

確か二年目の研修医だったときに、
一年目の後輩達3人のWSを統括としてアドバイス+ファシリテートして、
学生対象に2日間のセミナーを開催した記憶が鮮明に残っています。

研修医それぞれの個性と高い能力が発揮されたWSで、
それが生まれる過程を待つのが辛くもあり、楽しかったです。


今回も、果敢に初のレクチャーに挑戦してくれた二人の研修医の先生と定期的に時間をとってアドバイス+ファシリテートしました。

やはり僕のテーマは「待つ」こと。

彼らの思いややりたいことを、聴いて聞いて…
ちょっとコメントして待つ待つ待つ。

(毎回ですが)間に合うかどうか心配していましたが、仕上がるもんです。

通して面白かったのは、自分には創れないレクチャーと会えること。
彼らの持ち味が十分に生きた、そして素敵なレクチャーになっていました。安堵です。

彼らが、また同じような後輩達に出会ったときに、今回のエッセンスを生かして指導側になってくれることも祈りつつ臨んでいました。

祈りながら、少し手を加えながら、でも時々途方にくれながら待つ姿勢と、
新たな創造物と会える喜びは産婆のようだとふと思いました。


そして、今日彼らのレクチャーも終了。
checkできていないところもあったけど、一年目とは思えない内容と構成とプレゼンでした。
のびのび彼ららしく発表している様子を見て、
あんまり、コントロールしなくて良かったな~と安堵しました。


今日の午後に彼らと一時間振り返りをしました。
よく頑張ったところを讃え合い、次回に向けての改善点を確認したときに、

「今回の指導についてFeedbackしていいですか?」と。。。
『ええ!!』と思いながらも、「じゃあお願い」と返事したところ、

・最初のメモような企画書でも批判されなかった、進捗が遅くても動揺もせず、心配されなかったのが、基本的に信頼されていたと感じ、ありがたかった
・やりたかったことができたし、自分ひとりでできないものができた
・病棟が違い会える機会ないので、この機会で指導・影響を受けられて良かった 

と、涙が出るようなコメントをもらえた。

何よりの財産となる経験が札幌でも出来ました。

2008年7月16日水曜日

ここと、ゴールと、スタートと

都市の通勤に慣れてきました

こんな道がある、あんな道がある・・・と発見
ここを曲がるとあそこ、あそこを直進するとここ・・・と把握

札幌市内の10分ほどの通勤ですが、
いろんなアレンジを楽しんで通勤、帰宅できるようになって来ました

信号のタイミング、混む時間など、
徐々にマスターして、状況でアレンジできるようになってきました


思えば、小学生のとき、
毎回違う帰り道を楽しんでいたように思います。

人の家の庭を通り、干した梅干をもらい、
川に足を突っ込み・・・、野良猫を追いかけ・・・、
10分で帰れる家まで一時間くらいかけて帰っていました
楽しかった思い出です



家路を急ぐ運転中にふと疑問が・・・
「なぜ、こんなにも道がアレンジできるのか?」
それはスタートとゴールの位置を知っているからこそ!!と気づきました

おっと、それは人生やキャリアも同じ?と気づきから深まる思索


目的地がどこかわかっていれば、
たとえ曲がっても、あとでなんとか出来たり、
少し迷っても、道標に立ち返ったり、
して、歩めるものなのかもしれません。

でも、好き勝手に進んでみてもいいしね・・・
目標設定しよう! 
ゴールを定めよう!・・・とはよく言いますが、
ゴール設定できるくらい既知のことなら面白くない道かもしれませんので・・・


そこで思ったことは、
「スタートを知っていること」の大切さ

ゴールばかりだと迷ったときに辛い、
自分の出発地点を知っているからこそ、
なぜ進みだしたのかを覚えているからこそ、
自分の現在地もわかるし、目的地にも向かえるのかもしれません

実はゴールよりも、スタート地点を知っていることが大切かもしれません


もう日が暮れてしまったけれど、無事我が家に着きました
ここが毎朝のスタート地点です

2008年7月1日火曜日

FM出演という山、を支えた大地、を考えてみた

今週末は指導医との振り返り
3ヶ月間の札幌lifeを思い起こしました

やっぱり先月のラジオ出演が大きなイベントだったかな・・・

仕事としても困難さと充実を兼ね備えた大きな山でした

富士山ほどの山ではないけれど、自分の中ではそれなりのラジオ山登頂

今朝
「山は山が素晴らしいのではなく、その山を支える大地が素晴らしい」
という言葉に出会って、

ふと、ラジオ山を支えた大地がなんだったかをreflectionしました


やはり「A Textbook of Family Medicine」と「昨年一年間の家庭医life」


この本を使っての勉強会を、昨年の12月から2週間おきに指導医と先輩との3人で朝に行っていた蓄積が大きかったように思います

勉強会では、 Keyとなる文章を指導医がピックアップして、
それについての個人の体験を振り返るという方法でした

家庭医として昨年の4月からの体験を総動員して、振り返って、振り返って・・・
まだまだ経験が浅いので乾いた雑巾を絞るように言語化して、
そして、皆でディスカッション・・・

でも勉強会を重ねるごとに、
自分の中で曖昧にしていた家庭医療が、
今の自分の器の中で最大限くっきりとなった気がしました

そして土台として、大黒柱として根付く考えをもらえたように思います

この勉強会のタイミングは、まさに碎啄同時!でした!!!

このタイミングでこの本を読む機会を与えてくれた指導医に心から感謝します

きっと初期研修医時代では、 家庭医としての経験が少なく
より深く共感・実感しながら学べなかっただろうし、

もっと後なら、 自分の理想からは骨抜きの家庭医になってしまってから・・・だった
と、想像しました



「知は行の始めなり、行は知の成るなり」 という王陽明の言葉を思い出しました

「知」というものは行ないの始めのことで、
「行」というものは「知」の完成である・・・と

この知と行の循環関係は、
本当に知れば知るほどそれは立派な行ないになり、知が深くなれば行ないがまた尊くなりますよ・・・
と、いう知行合一の思想は、
実践からの学問、学問からの実践、
という循環をして発展してきた家庭医療学の根底にも通ずるものだと気づきました

「A Textbook of Family Medicineは家庭医の始めなり、  
 家庭医はA Textbook of Family Medicineの成るなり」

といっても過言ではないと思います・・・
道を歩み始めたばかりですが・・・


そんな朝の目覚めの勉強会が地層のように積み重ねられての大地
その上に盛り上がったラジオ出演の山となりました

2008年6月21日土曜日

埋め込まれた学びと埋もれた学び

今勤務している病院で、
6月から指導医スキルアップセミナーなるものが開始されました

担当講師になったのは「医学教育・研修指導」

今まで研修医として、教育を受ける立場から、
今の環境では教える立場も得ているので、
自分の中でもテーマとなっている分野でした・・・


将来の夢が「教育できる家庭医」なので、
前々から教育には興味津々だったので、いい機会と思って挑戦・・・


今日はその一回目のレクチャーでした

準備として今まで北海道家庭医療学センターで受けていた教育を思い出して、
何冊か本を読み構想を練りました

そして、成人学習理論の中で、ノールズ、マズロー、デューイ、コルブの理論を紹介しようと、
理論からワンフレーズのキーワードを出して、それを背景や現場の状況と照らし合わせる
という手法でプレゼンしようと思いました


実はこのプレゼン・・・
かなりの難産でした

まったく土俵に上がれていない感覚
試合が近づいているのに、肩が仕上がっていない感覚
が練れども練れども、一昨日、昨日と続いていました


ポイントは絞ったし、
話すキーワードや内容は決まっていたのですが、
どう出す、どこを切り口にするのか・・・に大変悩みました


出すのは「卵」と決まっているのに、
焼くのか、茹でるのか、スクランブルにするのか・・・ 調理法がまったく見えず・・・


それが、ブレークスルーして加速したのが、昨日の夜でした
何気なく研修医の先生に
「学びが進んだのってどんなとき?」「学びが進まないときってどんなとき?」と
インタビューを5名くらいにしたのが大変力になりました

あ、この声を使って紹介すればいいんだ
研修医の声には耳を傾ける文化のある病院なので手ごたえをようやく感じました


この病院が持っている研修の環境と経験のポテンシャルが高いこと
そのポテンシャルの高さに気づかず、生かせずにいること

経験からの振り返りがまだまだ少ないこと
を、
得た研修医の先生の生声を使うことで
理論のキーワードとうまくマッチして紹介できました

キーワードは「環境、経験、振り返り、支援」でした


このシリーズ、あと9回残っています。

やっとプレイボールの声が聞こえた感じがしました。
完投できるか!?頑張ります。

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やってみての反省は、「題名」付け。
院内広報では題名しか紹介されないときがあるので、
アクセプトされる論文のようにひと目で内容がわかるものにすべきでした。
悪い癖で、凝りすぎました。

よかったことのは、
現場の実情や背景にこだわって、絞ったポイントや内容がどう調理したら食べやすいか、
消化しやすいかに拘ったことでした。

ちょっと背伸びの内容なので、このあたりは丁寧にこれからも継続したいと思いました。

2008年6月12日木曜日

学会の学びを日常に組み込む仕組み

先々週のことですが、学会で思ったこと

家庭医療学会に久しぶりに参加して、
・人生の節目になる二日間
・大きな学びの場になる二日間
になっているように思いました。

後輩や先輩や同期との再会が楽しいだけではなく、
彼らから何か学び取ったり、励まされる感覚があります

創造的な知的コミュニケーションだったり、
自然発生的モチベーションアップの宝庫になってるんでしょうね


今回の学会も、
・北海道家庭医療学センターの先輩の姿から自分の今後を考えたり、
・尊敬する先生とprojectが行えるチャンスに心躍ったり、
・同期の研究発表を聞いて、今持っているリサーチクエスチョンから研究したい気持ちがめらめら燃えたり
・燃えているから、その研究についてアドバイスをくれる先生と出会い、メールの往復が始まったり
・大学の同級生が同じ家庭医を目指していて再会してうれしくなったり

いろんな人や考えや気づきや学びとの出会い、再会、再確認
という一連のプロセスが二日間に凝縮していて、
enjoyできました


偶発的に、でも有意味な、素敵な出会いに満ちた時間と空間

何かが生まれる感じ、
何かが変化したり加速したりする感覚になります



前々から、
Web2.0の考え方を知ったときから、
この学会のような学びの空間をInternet上に創る構想を考えています


家庭医という職業柄、個人で悩み、一人で学ぶ状況も少なくありません

かつて偉大な先輩が、
TFCというメーリングリストを作って、
大きな知的生産の場を作ったように、

若手家庭医が、
学びと気づきを共有したり、
コミュニケーションをとったり、
Projectを創ったり、
SEAを施設間で行ったり、
有用な論文のストックを行ったり

そんなネット上の場を、
建設出来ればな・・・と考えています

誰かとProjectとして、
若手でも、親学会でも、正式事業として、
各セミナーともタイアップしてon-siteとoff-siteの学びの継続性を保つ場として、いつか大きなものになればとこっそり思っています


以前、同じ構想を考えていた尊敬する指導医と出会いました。すでに企画書があるそうです。
そして、同期でmixiやその他ネット上でのコミュニケーションツールで試行錯誤をやってみました
構想を持つ指導医のBackUpを受けてお尻に火がつき、
最近ついに、建築できるSEさんが見つかりました

後はどう進めるか・・・ですね・・・

少しずつ回り始めた歯車が、
ひとつひとつ増え、
徐々に大きな歯車を動かすものになったらいいなと考えています

そして、その歯車が、
日本の家庭医療の発展の時計の針を進めてくれたらな・・・
と願っています

2008年6月4日水曜日

FMがFMデビュー

 FMさっぽろ村ラジオというコミュニティFMに出演しました!!
家庭医療について一般市民向けの紹介は新鮮な体験でした。

http://www.voiceblog.jp/kin-ikyo/

 3年目家庭医後期研修の特に後半の研修
+札幌在住の高校時代の同級生のコンサル
+上司からの的確なFeedback
 がこれを語る自分にしてくれたように思います。

 今回原稿を作っていて、コミュニティFMと家庭医の共通点を見つけました。
両者とも気軽で、いざというときに頼りになる、地元密着の町のインフラですよね。
 
 インタビューしてくださったDJの方ともそんな雑談で盛り上がりました。

 好感触だったようで、今年中にもう一度話す機会がありそうです。
都市型家庭医なら地元のFMにDJとして番組持つのも面白そうですね。
競合しない地域ならですが・・・

2008年6月2日月曜日

温故知新≒Reflectio-n o--n actio---n!!

『いい木のある大学は、いい人材が育つ・・・』
東京大学に初めて足を入れて、大きな木々に感動してそう思いました。
(木がなくても、気があれば育ちますが・・・)

先週末はその東京大学で開催された家庭医療学会に出席しました。
昨年は留守番ですねてたので、今年の参加は本当に幸せでした。

学会で再会した先生方5-6人(内学生さん1名)から「Blog見てますよ~」と声をかけてくださりびっくり!!
意外に読まれていてモチベーションUp!!

学会で出会った先生から、今朝頂いたメールに、
「顔を忘れたので思い出そうと思って検索しましたが写真がありませんでした」
とコメントを頂きました。
『え?あったはず・・・』自分でも検索してみると、このBlogがトップに来ました。
さすがGoogle!!

写真はありませんでしたが、ヒットした中で心にとまった学生時代の自分の文章がありました。


下記は、図書館のバイトをしており、
医学書以外の利用をPRするエッセイとして4回生の時に書いたものです。


2003年2月滋賀医大図書館報「さざなみ」より
http://www.shiga-med.ac.jp/library/sazanami/vol/sa51.pdf
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昔から図書館の空気が好きだった。
ふらふらと旅をする様に、その独特の香りと、どこか張り詰めた雰囲気の中、本の世界を旅する。
時の流れも、今いる場所も忘れて。

僕にとって図書館は自分というものを育む大切な場所である。
思い出せば、まだ学生服を着ていた頃、長編小説に挑戦したり、新書を読み漁ったり、受験勉強に励んだりと、自分と向き合う大切な空間であった。

そして、
片手に余る一冊の大きな世界を旅することで、
体験として自分の中に何かが築かれていくことが楽しかった。
読書も一つの体験だと感じた。

今日の自分はどうであろうか。医学書、いわゆるQ-、W-、と分類されている本しか読んでいない。
多くの利用者がそうであるように、自分もまた図書館を狭く利用してしまっている。
読書という体験がいつの間にか乏しくなっていた。

医師として、多くの専門書を読むことは必要である。
しかし、多くの人と出会う中、何気ない読書で得た言葉や世界で、その人との距離を縮めることがある。
まるで同郷の人との話が弾むように。本一冊の旅は、その人の心の故郷に行くことに似ている。
例えば患者さんとそんな関係が築けたら、少しは患者さんの緊張や、不安を取り除くことに繋がるのではないか。

人生という旅の中で人と出会うことと同じ様に、図書館の中で本と出会うことは、自分とその未来までも変
える大切な体験になる。

そう思い起こしてQ-、W-、以外も借りてみようと思う。
皆さんも、いつもは見向きもしない(図書館の)角を曲がって旅してみてはどうでしょうか。
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*()内は追記

この2003年は3月に「家庭医療」という言葉と会うというDeep Impactが起こった年でした。
ですので、2月となると家庭医療という言葉と出会う前の文章です。

なぜこれを再掲したかというと、今の自分にとって新鮮な学びがあると感じたからです。
今から読むと、Common Ground、Illness、Context、Rapport、Healingなどの要素がこめられたエッセイになっていてびっくりしました。
やっぱり、もともと「家庭医療」に興味やベクトルがあったんですね。

亀田の見学に行ったときに、
「家庭医は自分の経験すべてが患者さんを癒すツールになる」という指導医の言葉を当時後期研修医だったTag先生から教えてもらって感動したことも思い出しました。


自分のかつてのactionが記録にあると、いいReflectionが出来るツールになりますね~。

2008年5月29日木曜日

よい健康とよいキャリアとそれを支える原因は同じ

北海道家庭医療学センターの学びの日々の中で心を打つ言葉があった

それはその人の健康を造っている「健康因」

医学部では、「病気」のしくみや成り立ちや原因ばかりの勉強だったので、
健康にしくみや成り立ちや原因があるとは180度視点が変わる言葉だった

その健康因について書いた「健康問題の謎を解く」という本を読んでいて、
あ、健康因の内容と同じ!!と思う言葉と出会いました

それは、「Planned Happenstance Theory」
『計画された偶然性』と訳されていた言葉です

これは、キャリア開発についての言葉なのですが、

 予期せぬ出来事が個人のキャリアを左右する
 その偶然を積極的につくり、最大限利用しようという姿勢だそうで・・・

確かに予期せぬ出来事はストレスと苦痛にもなるのですが、
ある5つのKeyでその出来事が成長の機会になるということです…
その5つとは、
・好奇心
・持続性
・楽観性
・柔軟性
・リスクテイキング
とのこと

おお!なんかいい言葉達だね!好きなのばっかり!

どんな状態でも自分の体を「健康」と考えたり、
自分のキャリアの過程で襲った出来事を「成長の機会」と捉えたり、
中心概念は同じなのでしょうね・・・

仕事の振り返りでも思うのですが、

ある衝撃や、ある一瞬を、
どう認識し直してて、どう捉え直せるかが、
理解を深め、新たな気づきにつながるように思っています

「直す(再構成する)」ための理解や気づきは、
「生きる力」をたくましくするきっかけになるのんですね・・・

2008年5月19日月曜日

「自然なのに、自然と思えないこと」が自然なのか

生きていると、
辛いことや悲しいこととも出会います


今までも、決してHappy一色ではなく、

毎日毎日変わらない辛い日常に心が折れそうになったり

ある出来事が、ずっとずっと頭から離れなくて思い出すたびに心が苦しくなったり

・・・しました


家庭医という仕事を通して、
出会い関わる方の辛い出来事や、心が苦しくなる経験に
よく出会います
本当によく出会います


今日例えば雨が降っていても、
何気ない日常なら何も辛い気持ちにはならないのに、
例えば、遠足の日だったらとても辛い気持ちになります

自然のことなのに、
期待や希望や祈りや、時々欲が入って、
一気に不自然に見えてしまって、
辛くなります


自然なことを、自然なことと、思えない
そんな生き方になってしまっている自分が今日いました


四川の大地震だって
病棟にいる患者さんたちの病気だって
本当は自然なことなのに

祈りが届かず、抗う気持ちが動いた日でした

とある病気の初発と出会って心がぐらぐらです


ま、そんな日もありますよ・・・


ぐらぐらしたのは、
その人の背景と向き合っていたから・・・

この衝撃はその人の衝撃のほんの一部だと、
逆転移を相手を知るためのツールとしている自分がいることを再確認


と、冷静ぶって書いてみたけど、やっぱり辛い

苦しみから癒しが生まれると言ったMcWinneyの言葉が遠くに聞こえる・・・

2008年5月13日火曜日

言葉の数が多いほど、豊かな文化がそこにはある

いつもGWは田植えの手伝いをしていたのを思い出します

稲、米、ご飯、籾、玄米、白米、おかゆ、シャリ・・・
日本はコメ文化の国だな~と思います

アメリカでは上記のどれもがriceの一言ですもんね・・・


逆に日本では「ひげ」ひとつですが、
米英ではbeard(あごひげ),mustache(くちひげ),mustachuous(大きなくちひげ),whiskers(ほおひげ),sideburns(もみあげ),goatee(やぎひげ)
と多数!!

ひげ文化の国ですね

色もそうですが、言葉が多いほど豊かな文化を持っているんだな~と思います
---------------

「地域医療とは・・・」という題名で講義してほしい! と依頼を受けた同期がいました
その話題でかつて先輩が言っていたことを思い出しました


「プライマリケア」は機能を表現
「開業医」は、勤務医と対をなして医師の就労形態を表現
「総合診療」は多くは、大学の講座や市中病院の部門(そこでの機能)を表現
「家庭医」は家庭医療学という学問を表現

これらにさらに、勝手に付け加えてみました

「地域医療」いろいろ定義はありますが、メインはその地域に根ざした医療を表現
「農村医療」佐久病院の若月先生が提唱した医療 言葉の狭さを超えた地域医療の内容と精神
「実地医家」プライマリケア学会の前身"実地医家の会"からつけられた名前 設立当初の精神から離れて、今使われている多くは「開業医」の丁寧語のような感じだと思います

「かかりつけ医」いきつけということを表現 専門、場所は問わない
「総合医」国が制度として使おうとしている表現
「心療内科」体だけでなく心もわけずに総合的に見る医療を表現
「緩和ケア」主にがん患者を対象にその体と心の苦痛を取る医療

それぞれは重なったり、似ていたり、見る角度が違うのだけれど、
同じベクトルや同じフィールドをもっている気がします

日本にはこれだけ、臓器別専門医療とは違うベクトルを持った医師がいるという文化を表しているような気がします

こう考えると豊かな文化なのでしょうね~

地域医療とはこれらの業界の表現の一つなのかもしれません
そして、「地域医療」をやっているという先生にとって、自分を表現する大切な言葉になっているものだと思います

僕にとって「家庭医療」が大切なように・・・

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コメやひげを例に出しましたが、

漢字ではRedの文化が豊かです  緋、赤、朱、紅、丹・・・

どれが一番あかい?なんてしょうもない質問ですよね。
あかが一番好きなひとにとってはどれも大切な色のように思います。


そんな一色として地域医療があるのでしょうかね・・・

(ときれいにまとめつつ、
 食えないriceと、美味しいriceがあったり
 かっこいいひげと、かっこよくないひげがあったりするかも・・・
 なんて、こっそり思ってしまいました)

2008年4月15日火曜日

SEAをダンサーのように舞台俳優のように

SEA=Significant Event Analysis
というあるイベントと自分を振り返る方法があります
家庭医としての成長には欠かせないツールと思っています

室蘭にいたときは2週間に一度指導医、同僚と行っていました


なんとそのSEAを勤務先の病院でも開催!!しかも初めての試み!!


事前に「どんな風にやっているの?」と聞かれ、
安全なファシリテーションの方法や、
イメージできるように自分のSEAを思い切って紹介したりと、
ほんの少しお手伝いしました・・・


当日は初めてとは思えない素晴らしいSEAセッションになりました

SEAを発表した二人の同期の取り上げたイベント、
そのセッションに参加したメンバーの温かいコメント、
そしてファシリテーションした指導医の気配り、
病棟の師長さんも参加したり・・・
なんと40人規模のSEA!!

だからこそ非常に学びが多かったです


そして、疑問がぬっと持ち上がる
「なんでできたのか?」
初めてのSEAがこんなに温かく、
素晴らしく成功する構成要素は何だろう?


ひとつ思ったのはここには家庭医を育てる良質の舞台があるんだ…ということ
その、ポテンシャルの高さを示すSEAだったのかなと…


発表した彼らの研修は、素晴らしい音響、照明の中でのびのび踊るダンサーの様

動作に決まりはないけれど、環境からふさわしい動きをしている
でも、その動作に意味や目的が見いだせなくて悩んでいただけ

このまま踊り続けていいのか?
この踊り方でいいのか?と、不安になっていました。

すごく共感しました。

あえて、あえて、逆の立場として書いてみますが、

僕の研修は、どちらかというと、自然と体が動くような大きな舞台はないけれど、素晴らしい演出家と、脚本がある舞台俳優をやっていた気がします

そのため呼吸のひとつまで意識して吐いている感じ
自分の動作の目的も意味も理解して動いていう感覚

だからもっと大きな舞台で動きたい!!という思いがありました。


発表者の同期二人と飲み屋へ
「舞台と脚本」の話をしたら大盛り上がり

今回の札幌への派遣は、
まさに大きな舞台に脚本を持ち込み、
舞台を求めていた俳優に場を
脚本を求めていたダンサーに演出を
提供するwin-winなんだと・・・飲み語りました


まだまだ貧弱な脚本と演出ですが、
自分の学習環境を思い出して、
うまくこの大きな舞台に適応させることができたらいいなと思いました

これぞ学びのサイクルが動き出した瞬間

今札幌で、
いつか日本中で

2008年3月26日水曜日

チームという教育環境、そこにはProfessionalもProjectも存在する

受信料の値段を納得しているくらいNHKを見ています

一番好きな番組の「Professional」は、
かつて好きだった「ProjectX」の次のプログラムとして登場し、
また僕を魅了してくれています

ProjectXの時は涙を流したことが多かったのですが、
今のProfessionalの時は心をぐっと動かされることが多くなりました


この番組の次の構想を練るとしたら、次は、

「Team A」 (勝手に名前をつけてみました)

これは涙を流しながら、ぐっと動かされるものになる気がします


プロジェクトXでは度々登場し、
プロフェッショナルでも「個」の影にちらちら垣間見える
「チーム」の存在

チームとは共通の目的を持って、
その準備を進め、
相互に補う少人数の集団

この集団の力を是非次の番組テーマになったら面白いと思っています

と、いうのも、
チームの中には「Project」も「professional」も存在しているから・・・と思うのです

「個」ではなく「和」が、
どんな価値を生み出しているのか・・・Aspiration
どんな人材で構成されているのか・・・Asset
どんな活動を繰り広げているのか・・・Action
(だから頭文字をとってTeam Aなのです)

そのチームに存在する
「しくみ」や「信念」や 「クリエイティビティ」や「広がる共感」

それらの多彩なあり方を見てみたいと切望します

と、いうのも「チーム」の中に「教育」が隣り合わせになっていて、
その「チーム」内の教育に興味を持つよう最近変化しました


上司部下という縦にも
同期仲間という横にも
「教育」が・・・「影響」が、「伝播」が存在していて、
それが非常にプロやよいプロジェクトを支えるように感じています


先日のとある番組で、
トヨタの販売優秀な営業マンと、
本田の販売優秀な店舗の店長が出演していました

両者とも本当に尊敬できる人でした
そして、圧倒的に店舗の店長の話に感動しました

個人の総和以上のものを生み出すことが、
チームの強みと再認識しました



足元を見てみると、自分の所属している組織は、
組織というよりはチームのように感じます

再会する自分の同級生や同期や仲間も、
離れていてもチームのように感じます

最近の日々の中で、最高の学びの場は、
「優れた手本が周りにいて、学ぶ雰囲気を持つチーム」だと、
感じたことからの日記でした

2008年3月18日火曜日

家庭医療とは?日本でも根付く感覚で・・

家庭医療の幸せは、
その言葉の曖昧な感じが故に、
「家庭医療とは・・・」を真剣に考える作業が必要なこと

子供を診るから小児科、お腹を切るから消化器外科医、
他の専門医の名前には曖昧さが無い・・・

家庭を診るから・・・ってだけでもない・・・し・・・
うーん、何だ?家庭医療?と、
学生時代からずっと名前の持つ曖昧さに悩んでいました・・・

人に聞かれても「地域医療の専門」とか「昔の町医者の学問」とかそれらしいけど、
なんかイマイチな感じでした

最近は名前でなく、
機能から定義や説明ができるようになり、
ちょっと自分なりにも納得できるようになりました


先日の日記には外国の教科書での勉強会について書きましたが、
考えてみると、でも実は、日本にもぴったりの医療のように感じます

(家庭医と名前が付いてないだけで、 
 同じ機能・似たような働きをもつ先生や診療所がいっぱいですしね)

それは「小さいけれどマルチファンクション」なものが日本人好みだということという感覚
iPodのように・・・十徳ナイフのように・・・

日本家屋のお茶の間のように・・・
日本人って小さくても機能がいっぱいなのものが好きなのでは?

診療所という「狭い空間」でありながらも、
様々な医療を提供することが可能で、
工夫があふれている多機能な空間になっているということ

愚痴を言ったり、
社交場になったり、
診療所のスタッフに会うのを楽しみにしたり・・・

時間の流れと共に、
その人なりの機能や意味を持つ場に診療所が変化していることもあります

僕自身も、
家庭医として小規模だけどマルチファンクションに生きがいややりがいを持って、
精進しているように思いました


多機能でありながら質が高いなんてかっこいいなと思っています
あいまいさも受け入れながらなんですが・・・

2008年3月17日月曜日

言葉の位置エネルギーを深め、高めるReflection

土曜日に指導医と会話し
こっそり課題をもらいました

日曜日に後輩のブログを読み、
それをなんとなく表現できるようになりました


上手く言えたかわかりませんが書きます


もらった課題は、
「自分の中に在るものを、外に動くものにする・・・」
「自分の中に在るものを、動きのあるものとして表現する・・・」
ということです

つまり、 自分の内部に在る知識や信念を、
外への発言や姿勢として変換するとき、
そのエネルギーをより大きくする大切さ -に気づきました

指導医との会話は雑談のようなテーマでしたが、
雑談に流れる深い議論に、 これはNHKよりも、大学教授よりも、的を得ている!!
という確信がありました

フル時間通じて指導医の言葉や姿勢から、
深みと高みからのエネルギーを感じました

これらの雑談のテーマは自分なりにも考えていて意見もあったけど、
その在るものの位置が浅かった+低かったな・・・と感じました


背景を深く読み、分析を高みから進めて、
振り返りをすると、 もっと深く、もっと高いところに在ってもいいはず!!

自分の中に在るものを 深く下げ、高く上げる
そうすると言葉にした瞬間、 相手の中で運動をはじめ・・・ 熱を持ち・・・ 光を放つ・・・
その位置エネルギーを内的に貯める作業は、
おそらくKolbの学習サイクルでの 「観察と振り返り⇒概念化と一般化」 の矢印なんでしょうね
もう一段階深める思考 もう一歩高みへの思索

足りない所への課題・・・ですね

~~~~~~~~~~~~~~~~
自分の中のイメージとしてはコップの水
・水をためる=input
・あふれてこぼれる=output
・底に穴を開ける=もうひとつのoutput
この時に、 幅広のコップの淵からこぼれたり、
とても縦長のコップの底から流れたり、
すると勢いがいいな~というイメージでした

2008年3月13日木曜日

育ちの場からの巣立ち、出会いの偶然が別れの必然に変わる時

昨夜はクリニックの送別会

この3年間
家庭医をめざして、 家庭医として、
修行し、学んだクリニックでの最後の会でした

メンバーは初期研修医や現スタッフ、旧スタッフでおよそ30人くらい・・・

昨日は退職や転勤するスタッフの送別だけでなく、
そして今までのクリニックとの別れの会でもありました・・・

今勤務している診療所はこの3月で廃院、 そして4月から新たな診療所となって生まれ変わります
最近その終了と開始の準備が忙しいのです・・・
が、 昨夜の懇親会は、そんな慌しい3月に丁寧に流れる時間でした

皆の挨拶にジーンとして、 それぞれがこのクリニックで大切に時間をすごしていたと教えられました


最近患者さんたちから
「来るとホッとするんだよね」
「皆さんの雰囲気が好きです」
「ほんとに安心する空間ですよ」 と、
言葉をもらっていて思ったことがあります   


・・・これは、このクリニックの持つ『場』の力だ!・・・と   


多賀大社でピンと神聖な気持ちになったり、
琵琶湖岸でスーッと心癒されたり、
おみこしを担いでは通ってはいけない道があったり、
故郷での18年間で、『その場』の力があると思っていました


患者さんの言葉と懇親会の時間でクリニックの『場』の力・・・を再確認・・・

この『場』を作ってきた今までの歴史に敬意を表し、
この『場』で学べたことに感謝を覚えました


いつも出会いは偶然なのに、
その別れは必然という真実を再確認しながら、
育った場所を巣立つ淋しさと、
でも温かい思いが混ざった心持ちで、
二次会は酔ってました


そして何より・・・ 指導医の言葉無き涙と、
思いが込められた言葉 が、
酔いと覚醒を同時に加速させた夜でした
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2008年3月10日月曜日

深く「浅井」を感じ、無意識をまとった意識を感じる・・・

「浅井」という名前が僕の故郷の名前でした
戦国武将の浅井長政が名前の由来です
歴史は繰り返し、今は「長浜」という地名に変わりました

今年になって故郷の同級生達と会う機会が多く、
その中で自分の原型を再確認する感覚を数多くしました

そして、それを加速させた今夜の親との電話・・・
湖北弁丸出しの会話の中でふと祖母の言葉を聞きました



「なったことをよしとさんせ」
(訳:起こってしまったことを、良かったとしましょう)



と、祖母は父によく語っていたみたいです

祖母は僕が小学一年生の時に亡くなったのですが、
この言葉が自分の中に、言葉以外で息づいていたことを感じました

北海道家庭医療学センターの後輩の日記にも書いたように、
「自分についての知識がいろんな分野の知識の中で、最も知ることが困難である」と思っています

その中で、自分の周囲の人から自分を知る機会をもらっているように感じました・・・
感謝です


そういえば、日本の昔話では、 「お父さんとお母さん」の登場はなく、
「おじいさんとおばあさん」が良く登場しますよね

それって、昔話に込められた精神性や感性に通じ影響する存在なのからなんでしょうね・・・
きっと・・・

初めて言います 「おばあちゃんありがとう」

健康にも原因があるという それを家庭医としてどう生かす?

高校時代の友人と札幌で初めての再会
故郷が同じ人とまさか札幌で・・・とは・・・
気づきと学びに満ちた数時間でした


そして、 「健康の謎を解く」という名著を、札幌往復で読破!!
スーパー北斗は乗り心地がいいね!
気持ちよく読書が出来ました!




ジェットコースターに久しく乗っていないのですが、
友人と会って、この本を読んで、
ジェットコースターについて考えました


ガンガンと徐々に高度を上げ、
フッと一瞬の空白、
直後の急降下
その後はグングン上下左右に体を振られ、
グルグルめまぐるしく変化する視界


小学生の時に、「楽しい!!」と言って、
同じコースターに乗り続ける友達がいました



「なんで楽しいのか?」 ちょっと想像してみました

これが、道を歩いている途中に突然体が浮いて、
ジェットコースターと同じ動きが空中で起こったら、
楽しいどころか、かなりの恐怖体験・・・になるな~と


と、考えると、 ジェットコースターが楽しいのは、
認識可能なレールの上を走り、
数分間で終了するという信頼感のおかげ?


信頼感とは、 「どうなるのか」という予測と「なんでなのか」説明がつくこと
つまり、 「何が起こっているのかわかる」という現実把握感があること、
が大切になります


人生も「何が起こっているのかわかる」=予測と説明がつく感覚が、
より健康と感じるための要素になる と、この本にありました


わかること=認識可能→対処可能となります
認識+対処→有意義、有意味と感じます


軽症でも病気になると、 ストレスを感じ、不安や、混乱に陥ります
その中で「何が起こっているのかわかる」ように家庭医としてサポート出来ると、
その人なりの対処が可能となって、
健康の支えになれるのでは…と思いました


う~ん どんなサポートできるのかな・・・
・不明なこと不安なことを話しやすい雰囲気作り
・丁寧でわかりやすい説明
・病態生理を噛み砕いて話す力
・医学の不確実性を共有して共に耐える作業
・その基盤となる医師患者関係
など・・・
かな・・・


もともとその人の中にあるものなので、直接変化を起こせるわけではないと思いますが、
家庭医として長期的なかかわりができるようになれば、
何か変化につながることがあるかもしれないと思いました

2008年3月5日水曜日

そうだったんだ!先輩のブログの題名からの学びの深化

さりげなく書いてあった先輩のブログの題名から、
最近何気なく読んだ本とつながり、
さも嬉しげに書いてしまった今日のブログです。


それは、前回のつづきになります。


経験からの学びのための「信念」について…

その「信念」を一言で言うと、僕の先輩のブログの題名、
「あなたの幸せは、私の幸せでもあるのです。」に尽きると思います

昔、会社は嫌いだけど、コピーがすきなCMがありました。
そのコピーは『あなたが嬉しいと、私も嬉しい』でした。
これもその「信念」を一言で述べていると思います。

詳しく述べますと…
「あなたの幸せ」を求めることは、新しい知識、新しいスキルの獲得につながり、
「私の幸せでもある」という姿勢は、そのための努力の方向、努力の持続性につながります。
そうなると、新しい学びを求めようとし、求めるためのモチベーションを持てることになりますよね。

つまり、顧客志向(=患者中心の医療)+自己目標達成志向の連動こそが「経験からの学び」のKeyになるのでしょう

ただ単に毎日の経験を積むだけでなく、それを「信念」によって良質の経験にする
そんなことが当たり前になっている組織にいることにも幸せを感じました

2008年3月4日火曜日

家庭医としての成長は、「経験からの学び」を支える3つ

家庭医の成長は、
少なくとも3年間を振り返っても、
「経験からの学習」×∞に尽きると実感しながら、
その根拠の一助となる本と出会った

「経験からの学習」の中で大切な3つがある

1.良い経験との出会い
2.その良い経験から多くのことを学ぶ力
3.そして、1.の機会が多く、2.の力を養ってくれる組織に所属

これは、最近出会って夢中になっている本から学んだ
本当に本通り…と思う。

3.なんて、僕にとってはまさにHCFM!!


そして今朝、指導医から「家庭医として成長のきっかけになった体験」を聞いた
その語りが、まさに本の主論に合致した

2.の力の中でのKeyは「信念」である
指導医はこの「信念」を強く持っている

「経験は偶然によって左右されるが、その偶然を学習の機会として活用できるかどうかは個人の能力・資質である」と本は述べている

この「能力・資質」のコアが「信念」なんだろうな…

「信念」は二つのあるテーマの連動から来る…

この続きは近日中に…
このテーマの日記はまだまだきっと続きます

2008年2月29日金曜日

家庭医療とスターバックス

三条大橋西のスタバに好んで通っていた
鴨川と東山とちょっと異国情緒

スタバの居心地は、
家庭医療の提供しようとするものに ほんのり似ていると
以前から思っていた

Penという雑誌のスタバの紹介の文章を下記のようにいじってみた

--------
家庭医療
家庭医がつくる、新しい医療文化

北海道の工業都市、室蘭に、 家庭医療の教育施設が生まれて11年になる。
診療所で働く若手の家庭医は、 適切な医療を実践するだけでなく、
通って来る患者さんとの自然な会話を通して、 よりよいマネージメントを提供する。

家庭医を頼ってさまざまな訴えたや相談が持ちかけられ、
誰もが健康に、幸せな人生を過ごし、 やがて地域のコミュニティが形成される。

どんな健康相談にも笑顔で応じて、 独自の方法で問題解決を可能にする家庭医。
そんな家庭医たちがつくる、新しい医療文化とはどのようなものか、
本場室蘭からレポートしよう。
---------

なんてね。かっこよすぎやね。
理想を書くならこうで、こうを目指しているのは事実かな。
現実はもっと悩んだり、困ったりなんだけどね・・・。

現在スタバの「グリーンエプロンブック」なるもの読書中。
ますます家庭医療との共通点を発見している…。

医療なので、こんなに徹底した顧客志向な訳ではないけれども、
サービスのパラダイムシフトを起こしたスタバは、
医療のパラダイムシフトを起こそうとしている家庭医療にやっぱり似ている。

「関係性からの人間性の回復」という点で。

2008年2月26日火曜日

先が見えないときは、先を見るといい

NHK:Professional/file020 encore;「直感は経験で磨く」 棋士 羽生善治 メモ

・散歩する時間を大切にする
・将棋の勝負の前に必ず思い出す言葉『玲瓏』=雑念にとらわれず澄み切った心境

・当初は「一手前に千手読む」と言われたが、今は敢えて「手を読まない」
・今は勝負の流れを読むことを大切にしている…
・数十年の戦いの中の勝負所を読んでいる姿勢「ホームランを打たれても、直球で行く」感覚 
・拠り所にする流儀は「直感を信じる」
-まさに熟達化を述べている

10代と30代との内なる変化…
『年数を重ねると、いろいろ積み重なって葛藤がでてきた』
『選択肢が増えたが、迷いや恐れがでてきた…確信がもてない中でも決断しないといけない』
『だから、年をとるとぶれない心が大切になる』
-成人のライフサイクルで過渡期の言葉なんだろうな・・・

棋士になって10年目に7冠制覇
その後に「この先、どうなるのか…」という不安が出てきた
その不安の中、先輩棋士の姿に見つけた生きる道…『才能とは努力を継続する力』
「情熱を持って続けることは当たり前だが、それは難しいこと」
-家庭医として生きることは今は当たり前と思っているが、きっと困難にあたるんだろうな
 それを、乗り越えるのは臨床の質、教育、研究と述べた浮間の先生の言葉を思い出した
 ロールモデルを持ち続けることを大切にしないとね

2008年2月24日日曜日

流れる言(こと)からすくうのもの(者)・・・

同期が選択研修で行っためぐみ在宅クリニックがNHKに出ると紹介されて
NHKスペシャル「最期の願いをかなえたい~在宅でがんを看(み)取る~」をみた。


訪問時、小澤医師は少なくとも30分は患者・家族と会話する姿勢に驚いた
そのときの詳細な会話が記録されていてまた驚いた

後に、看護師が傍らで記録しているシーンがあり納得

記録の中に刻まれた不安…苦しみ…
その会話分析をする姿勢は緩和ケア医として霊的な痛みを取り除くための読影に見えた


○夫を気遣う癌の末期の女性の“痛み”
「夫が楽をしていない。ずっと働き通し…」との言葉

『家族に迷惑をかけたくないという苦しみは大きい。苦しみの中でも大きな苦しみのひとつ…』と小澤先生は述べていた
苦しみを口にされたとき、それに真摯に向き合うことが家庭医に求められていると実感

その後の訪問で、彼女は訥々と語りだした
「…昨日はね、私、夜はほとんど一生懸命自殺の仕方考えてたの」
「こういう風にすれば完全に死ねるな…って」
「もうそろそろしなきゃいけないなって思うの。違う?違う?」
「人の面倒は見ても、人に面倒見られるのはイヤ」
霊的な痛みのこもった言葉

訪問入浴をきっかけに徐々に生きる力を取り戻す様が映されていた
残された希望を大切にかなえることが、痛みを和らげた様だった


○30代の胃癌末期の患者
毎回お洒落をする彼に、孤独の苦しみを感じた小澤先生

実は両親もどう接して良いのかわからないで悩んでいた
当初、在宅緩和を選択した彼にたいして、両親は積極的治療を希望していた

治療方針で食い違った経緯
近づこうとするほど遠い関係になっていた

『患者と患者を看る家族が気持ちが通じ合っているわけではない…』と小澤先生
『気遣いや遠慮が関係を難しくしている…』と

もちろん親としても子を失う苦しみを抱えていた…からこその積極的治療
当初は死の宣告を甘んじて受けた…と憤りを感じていた両親が、
彼の死後、「誇りを持って生きた」と語っていたのが印象的だった

痛みや苦しみに真摯に向き合う医師
その関係性から生み出される時間と、その先の癒しを垣間見た

2008年2月22日金曜日

学びが爆発するとき

最近十勝の指導医に倣ってライフスタイルを変化させ、

学びと仕事の時間確保に早寝早起き 22時就寝 4時起床

を目指している・・・

実際は23時就寝、5時起床・・・

それでも朝の仕事や学びが格段に進んでいる

夜はオフ 朝はオン

いい一日のスイッチができつつある

・・・なのに、昨夜は25時就寝

実は、あるキーワードと出会って学びが爆発してしまった

「Web進化論」的には高速道路を突っ走った

大学4年生で「家庭医療」と出会った時

研修医一年目で「成人学習理論」と出会った時

に一気に何かが変わったような感覚 ・・・に似た感覚になった

北海道家庭医療学センターでの3月のFaMReF(研修医での勉強会)に出すネタを探していたら・・・見つけてしまったのだが・・

これは学び方を学ばないといけないまだまだ黎明期の僕らのミッションになる!!

これは3月だけでなく、来年の冬期セミナーでも実践しなければ!!

2008年2月18日月曜日

親指の力加減すらコントロールの外にあること

久方ぶりのお茶の稽古でした

お炭手前 お運びのお薄 丸蜀を使ったお薄

お炭手前は手の動きが堅く、よく止まってしまい、
先生に「職場の緊張感そのままで稽古してるね」と指摘を受けてしまう
おお、その通りです…

お運びになり、少し落ち着き
今日はひとつ収穫
棗(なつめ)を清めるときの袱紗の抜き方が少し改善

ずっと課題だったけど、ずっと直らないままで密かに困っていたもの

先生のデモで、ふっと親指の力加減が変化する
抜こうとするより持ちあげようという意識が合う

今まで引っかかっていたものが、すっと抜けるようになったよ!
こんなに軽かったんだ!と感動


しかし、手前全体を通して親指の力加減はずっとテーマ
いつもいつも力が思ったより入ってしまっている
「ほら親指…」何度先生に言われただろう…

意識すると力が入るのは知っている
無意識でも力が入っているのが厄介なんです


きっと心の緊張が出やすい場所なのかな…
思い通りにならない自分がこんな小さな所にもいますね

掛物の「本来無一物」が遠くに見えた稽古でした

2008年2月15日金曜日

「ちりとてちん」で思った師匠との別れの意味

NHKの朝の連ドラ「ちりとてちん」にはまってます
「いつ見てんねん」と突込みが入りそうですが、
昼休憩に弁当を食べながら再放送を見てます

指導医に「昼のチャンネル権をとったシニアレジデントは松井が初めて」といわれました。

笑いと涙が絶えません

小浜のさえないヒロインが、落語を通して人生を歩んでいくドラマ
ここで登場するお師匠さんがむっちゃええんです
なんや、あったかいというか、控えめで厳しいというか、
こんな師匠さんみたいな指導医になれたらええな~と思ってしまうんです

ひとつ例を出すと、
「こころが温(ぬく)うなったら、ちゃーんと謝りや」
あるとき、主人公の女の子が、幼馴染を傷つけた言葉を発してしまいました。
その後の師匠のコメントでした

なんと心の機微に触れる発言なのでしょうか・・・

最近このお師匠さんの命が危ないのです
弟子を前に「みんな、おおきに」という台詞に涙が止まりませんでした

師匠との別れを前に、ヒロインは創作落語に挑み、見事演じます

きっと指導医との別れも大切な成長の機会になるんだろうなと想像しました

2年後なのか・・・4年後なのか・・・はたまた・・・

2008年2月14日木曜日

リアルがリアルになる そのリアルさを仕掛けに行こう

振り返りをするようになって、
3ヶ月単位という今まで持ってなかった時間軸が出来たり、
関係ない出来事の関連付けが進んでいる


怒涛の週末からのひとつの学びは、
「リアルケースからの学び」

言葉だけならあたりまえやん・・・と思うのだが、
リアルケースを経験して学ぶと、学びに重いさと心地いい質感が生まれる


今朝「教育や学習の問題とは、常に個別具体的です。」
と、RSSをかけているブログの先生が書いていた。


そう!!個別具体的なんだ!!


・週末の生物心理社会モデルのWSの4名研修医のプレゼン
・昨日のK先生の家族指向型ケアのレクチャーで5名で40分のロールプレイ
全てリアルケース
全て個別具体的


と、いうことは将来指導医になったときのために、
学びが進んだ有用なリアルケースをストックしないとね


日々学んでいる経験を残しておくことが大切
それは今までは自分のためになっていたけど、
将来出会う家庭医療を目指す人のためにも!

2008年2月13日水曜日

時間をどう認識するかが、時間の使い方になる

第3回若手家庭医のための家庭医療学冬期セミナーで大阪へ。

二日目に「タイムマネージメント」のWSに参加した。

テーマについてはアソシエや、プレジデント、Think!、LifeHacksの書籍などでいろいろ情報は知っていたので、内容はもちろん、WSの創り方を学ぶ目的でも参加した。

個人的には、手帳を使いこなし、やることのリストアップ、時間の使い方についてある程度できていると
「思っていた」
が、
・カナル現象をとりまくっていることを自己認識したし
・タイムマネージメント行動が出来ているときと、出来ていないときの浮き沈みがあることも知った

学生時代に鴨川に行ったとき、mini好きのT先生にアイゼンハワーの原則も教えてもらっていたのだが、上手く使いこなせないでいた。
その理由がわかった。
・ABCDの表のアップデートをスケジュールに組み込んでいなかった。

金曜日の22時から、月曜日の6時から、土曜日の13時から
のいずれかに、ABCDの表のアップデートをしよう


アイスブレーク、個人ワーク、3名の講師の講演、
「振り返りと行動計画シート」を基に上手く織り成されたWSで参加して良かった!!

2008年2月6日水曜日

若き☆☆☆フレンチシェフの姿からの振り返り

Professional File077 フレンチシェフ 岸田周三
33歳という近い年齢に刺激された時間だった。

メモ&振り返り

・『ここが最前線』という気概を持つ
そういえば、3年前はHCFMが日本の家庭医療の最前線だと思っていた。

今はあんまり、そんな尖がったことは考えていないけど、
日本の中でもベストな環境で学んでいる気持ちがある。

だからこそ、そのプレッシャーが自分を強くさせているのかもしれない。


・『自分なりのオリジナリティがアイデンティティ 自分だけの一皿を追う』
これは「守破離」の「破離」の言葉なんだろうな・・・
家庭医としては今はまだ、「守」の時期・・・時々「破離」たくなるけれど・・・


・『昨日より今日、今日より明日』
かなり今回のテーマとなる言葉だった
後期研修医になって、常に試行錯誤し、
例え僅かでも進化しようという貪欲さが減った気がする・・・反省

きっと、「胸の中で課題を持っておく」作業が減っている
些細な疑問、一瞬の悩み・・・
成長の種は毎日の外来に宿っている、再び集め始めないと・・・
 

・『料理人として忘れてはいけないこと。料理=命を食す』
うーん。家庭医として忘れてはいけないこととはなんだろう? 

「身近な存在として、その人の命をまもり、暮らしをささえること…
その人を診る事、その人の家族・地域などの背景を考えること…」
かな~
これらは意識することで、忘れてはいけないことではないか・・・
memento moriとかかな・・・ 


・『師(パスカル・バルボ)との出会い』
やっぱり人生の理想や原型と出会うことは大切。
家庭医としての原型に、学生時代から多く出会えたことが今でも財産になっている。

「我以外皆師」という言葉を思い出した。
初期研修医のとき、同期の診察風景のビデオから多くを学んだ記憶を今もはっきりと覚えている。
師を持つこと、理想や原型と出会うこと。
そして、それを忘れないことが大切なんだろうな。

 
・ 『精肉店で見習い/肉の熟成・調理を習う』
フレンチの修行の過程で、彼の仕事の幅を形成した時間なんだろうな。
料理人という仕事への熱意と愛情を感じたエピソードだった。 

仕事に関係することは全て吸収する姿勢。 
幅が出来ると、高みにも深みにも通じる。
まずは、種々のプロジェクトを大切にしよう。


・『師と仕事をするか、帰国するかの選択。師が反対する中、帰国』
選択に迷ったのちの結論は原動力になる。
北海道に行くかは締め切り1分前まで迷った。
でも、「北海道に来たからこそ!!」という力になっている。

最近の在宅での看取りについて葛藤があり、別の指導医に話したら、
「迷いがありながら決めることが大切」と言われた。
すーっと染み入るFeedbackだった。

3年後、
試される大地で更なる挑戦をするか、
母なる湖の近くで新たな挑戦をするか、
とても迷っている。・・・きっといい結論がでるだろうな。

2008年1月30日水曜日

見えている人は見えている、知っている人は知っている 

今日は、ケアハウスでの講演会



家庭医としてひとつの地域ケアの仕事。大切な機会。



前回は健康の原因”健康因”について話をしたので、

続きとして、ストレスマネージメントの話をした。





準備で・・・



指導医から指摘を受けた

・聞いている人の年齢を考えると抽象論が多く理解しにくい

・具体的事例を出して内容を紹介する



確かに・・・

非常に納得のいくアドバイスだった





プレゼンで

・対象者を把握すること

・具体例を出すこと

は大切なのに・・・スコンと抜けていた





見えている人は見えている

知っている人は知っている

こんな人と一緒に仕事ができることが幸せだ





今日で折り返し。あと二ヶ月。

吸収して吸収して、

消化して消化して。



一日一日成長できたらいいな・・・

2008年1月28日月曜日

京都の瓦屋根の薄雪のモノクロに

関西に帰省

大学同期の結婚式



神戸空港に着いて、温かいと思う間もなく、やはり寒い・・・
京都の瓦屋根は薄く雪が積もっていた



久しぶりの瓦
薄雪


カラフルな世界から、静寂のようなモノクロの世界

・・・一瞬のサバティカル!?な二日間に心癒された



やはり関西が好きだ

2008年1月24日木曜日

息継ぎと深呼吸のような、在宅緩和の先生からの教え・・・

在宅緩和を行っているさくさべ坂通り診療所の大岩先生の講演会の日。



響いたのは、 「生活支援も緩和ケア」という言葉。

そして、 徹底して患者さんを理解しようとする姿勢。  



それは、徹底した痛みの評価、患者さんの伝えたいことを含め、  

いろんなサインを受け止める/受け止めようとする姿勢。  

まるで、主体と客体の往復+共存。 





在宅については自分も同期も先輩もみんなそれぞれいろいろ悩んでいた。

例えば…在宅での看取りをどうすればいいのか…



・患者や家族へ“そのとき”をどう伝えるか…(早すぎると不安↑、遅いと入院へ)

・落ちていくADLにどう対応/介入するか… (早めだと抵抗、遅いと介護負担↑)

・などなど…



それらに明快な姿勢や言葉やエピソードで反応を下さり、

思わず23時の飲み会まで付いて行ってしまった。



温かみのある言葉をたくさん持っていらっしゃったことも感激した。

この説得力は経験から来ているんだろうな~。



臨床心理で自己学習した雑誌の、

『自分の表現を手に入れた人が、治療者としての自分を確立できる』

という言葉を思い出す。





・『「急変」というから患者さんも家族も不安になる。自然経過と思えば、後は苦しいか苦しくないかで判断できる。』



・『在宅が継続できるかどうかは、最初の導入の2週間で決まる。   

 そこでいかに信頼と安心を築けるか。』



・『医療者と家族の不安が、患者さん(の自律)をダメにする。』



・『何を伝えたかでなく、何が伝わったか。そのために患者さんの辞書の中にある言葉を使う。』



今日のテーマは、家庭医療の後期研修の中で、酸素不足+やみくもに泳いでいた所だった。



大岩先生との時間は息継ぎと深呼吸を同時にするようなひと時だった。

2008年1月23日水曜日

海を渡った「自分をコントロールするプロフェッショナル」の言葉

NHKプロフェッショナル Ichiro Talk Special を見た。
印象に残ったことをメモ風に記録。


・on-offの切り替え
「ユニフォーム着るときは自分が変身できる。かっこいい自分でいられる。」
→自分をonにするスイッチ、offにするスイッチがある。自分なりにもっと創らないとね・・・。

・運命を信じる姿勢

「そのときのめぐり合いが完璧」「今の状況はなるべくしてなっている」「運命は信じる」 →努力をしている人が、運命論を話すと妙に説得力を感じた。

・戦う相手・・・

「以前は自分との戦いだった。今人と戦えるレベルまで来た。自分と戦っているだけなら楽でいい。そこを超えてきた。プロ野球に入って考えたことは“人に勝つこと”。その後、敵は自分の中にいたと感じて今までやってきた。また、敵(と自分)を意識できるようになった 」

→深い。主客について考えさせられるコメント。医師-患者関係にも通じる言葉のように感じました。ゆっくり反芻したいコメントです。

・仕事での満足・・・
「満足をしてはいけない訳ではない、満足は重ねないと・・・と思っている」
「満足した後は何かが出てくるので・・・次に行くためにも満足しないといけない」
→日々満足していたので、心配だったのですが、このままでいいのかな・・・と思いました。

・全体を通して考えたこと=今、イチローのように現状を考える作業がないこと

思いつく作業、知る作業はよくしてますが、・・・考える作業をしないと大きな成長が無いように感じました

2008年1月20日日曜日

ラジオを聴いていると・・・「言葉=デザイン」から考えたこと

仕事からの帰り道
ヘッドライトの反射を見て『今日は凍結してないな・・・』と思って家路を急ぐ・・・

・「言葉は意味付け、言葉は解釈、それは一つのデザインになる」

と、朝つけていたままの、NHK第二放送から流れてきた言葉が心に留まった。


3年前、同期と議論したことを思い出した。
テーマは「言葉で全て説明できるか」

彼は、『無理だ』と言った。
僕は『できる』と言った。
あの頃は、言葉の可能性を信じていたのかもしれない。


今だったら、彼にこういうと思う。
「できる・・・かもしれないね・・・」と。
今は、できれば言葉の可能性を信じたい。


そして、2日前の後輩のビデオレビューを思い出した。
ビデオレビューとは患者さんの協力の下、
自分の診察をビデオに撮って客観的に振り返る方法だ。

医師になってすぐの4月に、このビデオレビューを初めて経験した。
覚えているのは、
ただただ一生懸命で患者さんにぐいぐい近づき(それで、患者さんがのけぞり・・・)、
でも説明や反応する言葉に自信がなく小さい声だったこと。
この描写のように、その当時は患者さんとの距離と、声の大きさ以外の表現方法を知らなかった。


今は、視線の高さだの、カルテの位置だの、有効な沈黙だの・・・はもちろん、
医学的な内容は・・・だの、患者さんの満足度は・・・だの

目標にしていることで、出来ているところは・・・だの
今後の課題は・・・だの
今使った面接技法は●○だの・・・

言葉が増えすぎて、どれをFeedbackしていいのか、迷ってしまう。

その分、非常に面白く・興味深く後輩のビデオを見ることができた。
いろんな状況を説明する言葉に満ちている。

そして、先輩・指導医は、さらに僕の知らない言葉に満ちていて、
はっとさせられる。


言葉が増える分、意味も変わるし、解釈も変わる。
それは、ラジオが言うように、デザインの変化なんだろうな。

家庭医としての日々の経験。その振り返り。そして学問としての学び。
この言葉の蓄積が、自分の中の家庭医療のデザインなのかもしれない。

2008年1月19日土曜日

苦手なものが目の前に・・・それは苦手だからこそ・・・

どうやら、苦手なものほど、日々ふっと目の前に立ちはだかりますな・・・。

苦手だからこそ、テーマとして提示されている・・・と感じる。


強く意識してしまうからこそ、目の前に立ちはだかる。
のだろう。

繰り返されるキーワードは限られている。

まず「Logical」
次に「3年後」
そして、「知るでもなく、思うでもなく、考える作業」

今年の目標とは別に、テーマになるであろう言葉達・・・。

2008年1月18日金曜日

困難に立ち向かえ 艱難汝を玉にす

ストレスイベントがあった。



それがストレスイベントなのは、
それ自体がストレスなのと、
それにストレスを感じる自分にもストレスを感じたから・・・。



最近、こんなストレスも「振り返り」で消化している。



なので、ストレスを感じた瞬間
「なんで今、ストレスを感じたんだろう?そのストレスの成分は?」
という呟きが生まれる。



ある大切な機会に、陰性感情を持ってしまったこと。
折角のチャンスもこれでもはもったいない。



帰り道の車内でひとつ気付く。
『タイミングが良くなかったな・・・』
『状況を察知して、自分を変化させないとな・・・』

ストレスの成分分析に必ず自分の要素がある。



また別の角度で思いつく、
『陰性感情を持つポイントこそが自分と相手との大きな差異なのかも・・・』


こう考えると、ストレスも自己認識のツールになる。

そして、こんな風に考えていると、いつしか陰性感情は消えてなくなる・・・
毎回、こう上手くいく訳ではないけれど、前より上手くなったように思う。

2008年1月17日木曜日

家庭医に振り返りが必要な理由を友人の一言で気付かされた

ここのところの振り返りは自己認識の大切な機会・ツールになってます。
特に誰かとするとさらに進みます。


そして最近、決定的に「振り返り」に大切なことを自分なりに気づきました。



僕の友人が、SNSのコミュニティーで、
・「他の医学的分野よりも家庭医をやる上では振り返りがより重要と感じる」
・「家庭医療は振り返りを行っていかないと、自分が前にすすんでいるのかどうかがとてもわかりにくい状況になる」
という台詞を書いていて、初めて気づきました。



それは、「振り返りが自己変容の機会・ツールになる」ことです。




家庭医は日々知識面・態度面・技術面で自分を成長させることが求められています。

得意分野を伸ばす作業よりも、弱点補強の作業が多いです。


日々多様な知識・スキル・マネージメントなど・・・極端に言うなら多様な『自分』を求められる・・・



そこで、

自分の無知に気付き
焦りなどのネガティブな感情に気付き
マネージメントや説明があいまいな自分に気付き

・・・ それを修正・成長させることこそが、

「重要で、前に進んでいる感覚」につながると思いました。



そう考えると、認識することが変容の始まりだし、
「振り返り→再構成」は、自分の再構成なのかもしないと思うのです。



そう思って・感じて振り返りすると、なんとも深い作業ですね。

2008年1月16日水曜日

振り返りと、家庭医療のイノベーション普及論

Ian R. McWhinneyの『A Textbook of Family Medicine』
http://www.amazon.co.jp/Textbook-Family-Medicine-Ian-McWhinney/dp/019511518X
おそらく、今ではないが、将来・生涯『座右の書』となるであろうと確信している。


この本で勉強会を始めてから、
自分の中の「家庭医療学」が加速している。


ひとつ発見。

p68の「The Biopsychosocial Model of Illness」という題名で、
生物心理社会モデルの提唱について書かれたが段落がある。
「これが家庭医療学のプリンシプルになっている」と指導医から教えてもらった。


ん!?!?

これは、どこかで聞いた話・・・そうだ、学生時代に心療内科の先生に聞いた話だ!!!
と思い出し、週末に『心療内科 初心の心得 -症例からのメッセージ-』という本を読んでみた。



深く発見。

流れ1
・ドイツでの心身医学が発展し、第二次大戦で中断
・その間に米国で、心身医学が臨床(特に精神科)で取り入れられ発展
・精神科医が中心となる心身医学の発展が、リエゾン精神医学に発展

流れ2
・日本では内科医を中心に心身医学が発展
・昭和36年に九州大学で「精神身体医学講座」が誕生(初代教授はかの池見酉次郎)
・平成8年に心療内科が誕生

流れ3
・カナダのMcWhinneyらによって家庭医療が誕生


その他の流れもあるが、ちょっと知りません。



これらすべてに共通しているのは
・システムアプローチを基盤にしたBiopsychosocial ModelがKeyになっていること!!



ということは、大きな枠組みで捉えると、同じアプローチを持つ仲間ということになる。
みんな、『専門の先生と診る疾患は同じですが、診る方法が違うんです』と答える人たちである。



座右のHPのひとつにHANDS-FDFがある。

このHPの中に、イノベーションに必要な5つの要素が書いてあった。
http://mywiki.jp/familydoc/HANDS-FDF+(Faculty+Development+Fellowshipj/ƒCƒmƒx[ƒVƒ‡ƒ“•‹y—˜_/



そのひとつに、
・「両立性」:既存の価値観、過去の体験と矛盾しないこと
が、あげられている。

この文章では16%の壁を越える難しさが書いてある。


確かに、今までの家庭医療の世界ではそうだった。

日本全体で新しいパラダイムで医療をしている人たちをひとつと考え、
その壁を、窓のブラインドみたいにサクッと開けたら、専門家同士の交流が始まり、大きな力のひとつになんじゃないのかな~と想像してみた。


ただ、残念なのは、日本で、
・リエゾン精神医学が、病棟での他専門科疾患と精神疾患との関連においての教育、実践、研究に。
・心療内科が、一部大学病院とその関連病院+卒業生の開業診療所での実践、教育、研究に。
・家庭医療が、一部家庭医療学センター、大学、診療所での外来・訪問においての教育、実践、研究に。
・・・と、育つフィールドが切り離されてしまって、独自の成長を遂げてしまっていることだと感じた。

・・・同じ子供でも育つ環境が変わってしまうと、別の人格に見える・・・のに似ているかも。
と・・・勝手に振り返ってみた。

「プロとは・・・どんな状態でもこれだけのものを提供できる線を保てる人」

NHKのプロフェッショナルを見ました。
歌舞伎役者の板東玉三郎でした。

最初の衝撃の言葉は、
・「自分の仕事の使命を考える」こと・・・
以前の指導医は「mission」「mission」と口にしていたので、それを思い出しました。
自分の「mission」について、機会をつくって考えないと・・・

また、所作振る舞いについて、
・歌舞伎で型どおりしては人の心を打たない『型に命を吹き込む』ことが大切
・「同じディティールで同じニュアンスは出ない、所作を命や魂の糸で縫い付けないと・・・」
との言葉は、日々の仕事や茶道にも通じるな・・・と感じました。
形は大切だけど、繰り返すことで、自分を・心をそこに表現できるようになるんだと想像しました。
高いレベルのパフォーマンスとはこんなことを言うのでしょう。
非常に背筋が伸びる気持ちのする彼の言霊でした。

そして、最近テーマだった「自分のメンテナンス」について、
・公演前日の最後の稽古であえて化粧しない→冷静になるための仕掛け 
・仕事が終わったら、どこも寄らず、公演初日の打ち上げにも参加せず、まっすぐ家に帰る
・家に帰ると体を休める マッサージする
それが50年徹底してるな・・・と驚嘆。

・『遠くを見ない、明日だけを見る』『ただ明日のことだけを考えよう』
と彼は言ってましたが、そんな感覚になることが、自分への厳しさといたわりを共存させているんだと感じました。
もちろん、この感覚に行き着くには、小児麻痺だったこと、高身長で女形として体に負担のかかる動きをしていたこと、30ヶ月休みなく働いた20代に鬱になったことなどの積み重ねがあるかもしれませんが、 そういった自分の状況・条件を冷静に把握してメンテナンスを怠らない姿勢に感動しました。

番組の後半のインタビューで、役者の華とは?と(無理やり)聞かれ、
・「良く生きてないといけない」「向上したい、ちゃんとしたいと思って生きている」
と、そんな言葉ではないけど、言葉にするならこんな言葉・・・のような様子で語っていたのが印象的でした。
司会者も聞かなくてもいいのに。見ていたら感じることなのに。言語化しなくても・・・と思いました。

最後に、
・目指す境地は無意識の美 「花は美しく咲いているけど、誰に見せるわけでもない・・・そんな美しさ」
とのこと。
世阿弥の「風姿花伝」の一説を思い出させる言葉でした。

この番組でロールモデリングすることが、毎週の楽しみです。

2008年1月15日火曜日

薄茶の炉手前でのFeedback~意識と無意識の大きなGap~

今年最初の茶道の稽古。

薄茶の炉手前をした。
初炭手前→薄茶手前→薄茶点前拝見付き。

先生より、いつもより細やかなFeedback を頂く。
手前を中断され、「今の手前は、こうでした。私なら、こうします。」とデモを見せられる。
一回見ても『?』「すみません、もう一度お願いします」。
二回見ても『??』、違いがわからない。

このデモは無意識のところを意識化するようなFeedbackだった。

「では顔の動きを見てください」と注目ポイントを教授していただき、見学三回目。
『あ!全く違う!!!』と、やっとのこと発見。

意識してないところは、繰り返し見ても、意識がそこに行かない。
ただ繰り返し見るだけでは意識化は困難なことに気付く。
ポイントを教えてもらえたからこそ、意識化できた。

確かに、意識しているところの所作と、無意識の所作では、
美しさや見ているほうの心地よさが変わってくる。

茶道の稽古・・・は外来での所作と同じであると考えると、
この意識と無意識の違いでは大きな、多くのGapを生じているんだろうな・・・。
まだまだ雲水。

明日から仕事・・・無意識の意識化と、意識の無意識化を積み上げていく一日にしたい。