2009年12月24日木曜日

早い外来の中を丁寧に振り返る

こちらに来て診療時間が短くな(らざるを得なくな)りました
早いときはいわゆる三分診療・・・

かつてはそれに否定的でしたが、その良さも感じて(しまって)います

例えば、
・PCCMが短時間でも完成して、互いに楽しく笑顔で診療が進んでいく
・患者さんとのやり取りで、患者さんに届けたいワンフレーズ、一言を模索しながらその力を実感
・患者さん自身もさくっと診て欲しいNeedsに応えられる
・時間という医療資源を人数で割っているので時間通りにスタッフが休める
・全体の待ち時間の短縮

ただ一方で、怖さも実感・・・
・診療でパターナリスティックさが増す
・マネージメント手段としての検査が増える
・アイコンタクトの減少
・患者さんがillnessを言えない環境になっている

一人ひとりの慢性疾患管理や診断学はズレていない実感はありますが、
なんとも高速の車を運転している危うさみたいなスピード感があります。
短時間でそれを想起していないと、こぼれ落ちているかもしれないという不安も一緒に。

夜のカンファレンスでは、自分の診療の振り返りの大切さを染みて感じる機会です。
特に、最近指導医の指摘で医師自身にメタメッセージがあることを知りました。
それに無自覚だったな~と思い、
もしや『早く診ていますから!』というメタメッセージが出ており、
それで患者さんの問題点を抑制しているかも・・・という気がして来ました。

・患者さんがillnessを言えない環境になっている
というのは、それで書きました。

だからこそ短い中でも丁寧に探索する必要がありそうです・・・。



年末になってきて、混む日もあり、
時に患者さんに「一人ひとり丁寧に診すぎじゃないの?」とか
「こんなに待つなんておかしくなりそう」と、憤りをぶつけられる日もあり・・・。

「すみませんね~」といいながら、地震や台風のような自然現象を恨まないような心持=『こんな混む日にたまたま来てしまったから仕方ないですよね・・・』と思って(ストレスマネージメントをして)います。

午後はのんびりと診療できる日もあり、患者さんの多寡が自然現象に感じてきた今日この頃です。

2009年12月15日火曜日

崩れそうなとき、『いつもの自分』でいること

ある日のお昼近くの最後の外来患者さんとの相談に時間がかかりました

そして、時間をかけながら、かかっていることに後ろ向きになっていました

すっと相談が進むのではなく、何か進まない感じ
相手の問題点が見えない感じ、見えても否定される感じ・・・


外来毎にたどり着くゴールや目標があり、
それをCommon groundと言っているのですが、
それにたどり着くのが難しい外来になりました


理由は振り返ってみて、いろいろあると想いました
・外来の後半にいつもの病気以外のことが、突然一番の話題になり始めた
・その話題について患者さん自身が深く葛藤していた
・葛藤に気づかず、話しているうちに、その葛藤を貰って、自分も困ってしまった
・お昼の最後だったので、テンポの速い外来になっていた


葛藤も一番大きい「接近-回避葛藤」でした

普段の外来でなく、両価性を扱う外来にシフトすべきでした・・・
1.Express Empathy
2.Develop Discrepancy
3・Rolloing with Resistance
4.Support Self-efficacy
がKeyのようです。

いつもの自分ではない感じで終わってしまい
ちょっと後味が悪かったです


その日ふと読んだ『人生新條』という雑誌に、イチロー選手のことが書いてあり、
“一定であることが自分の支え”とありました

それは
・ヒットを打てなくても、自分のバッティングの感覚さえ残っていれば心配しない
・いつもの自分であるとセルフコントロールする
という内容でした

外来で、難しい局面でも、崩れそうなときでも、
“一定であること”“いつもの自分であること”と実感していることが大切なんでしょうね・・・

思いがけずヒントを貰った気分になりました


相手に合わせる部分と、自分らしくいる部分、
求められる適応力と、ぶれない軸と・・・このバランスか~

一生テーマかもしれません・・・

2009年12月2日水曜日

憧憬を持つ

自分のモチベーションに枯れが無いことを自覚しながらの日々です
その源泉は何かと考えてみました

それは、『自分だったらこうしたい』『こうなると理想形だな~』という憧憬を持つことでした

北海道家庭医療学センターが魅力的な組織なのも、
組織全体がその憧憬を持っていることなのかもしれないな~と感じました。


今の自分の立場であれば感じる限界も、
一段上のポストであれば突破できる感覚

このシュミレーションが大切ですね


これって、想像力を賦活させる意味でも大切なことです
かつてテニス部でレギュラーでは無かったときに、自分がレギュラーだったらこんなプレーをするのに・・・
と思っていたことが、レギュラーへの近道だった気がします


家庭医として最大限その機能を発揮すれば、町はこうなる!この患者さんとはこうできる!
そんな想像力からの憧憬が一番のモチベーションになっている気がしました

2009年11月11日水曜日

家庭医の『ストレッチ経験』とのその環境

今日は組織の会議がありました。
いろいろ考えさせられる会議でした。

その直後、読んだブログで、はっとさせられるものがありました。

2年前に『経験からの学習』という本と出合ってから私淑している松尾先生のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/mmatu1964/e/916e55e2d40da8a69764106d6b15c52a
より引用
---------
バンダイの紀伊さんが強調していたのは「社員を混沌の中に置くことで成長を促す」ということ。
何が混沌を作っているかというと、

・多様性のある社員
・頻繁な異動
・大胆な権限委譲

である。
つまり、「いろいろな社員がいる中で」「どんどん部署を動かして」「仕事を任せる」ことで人を育てている。

しかし、これだけだと単なる混乱に陥ってしまう危険性がある。
バンダイで混沌が前向きに働いているのは、会社全体が目指す方向がはっきりしているからだ。
「楽しいときを創る企業」という同社の理念があるからこそ、混沌が創造性を生む、といえる。

もう一つ紀伊さんが強調していたことは「自立エンジンを持つ社員」。
つまり、自ら学ぶ力を持っているがゆえに、混沌を学びに変えることができるのだ。

会社の方向性を明示したうえで、自立的な社員を、混沌の中に置くとき、イノベーションが生まれる、といえる。

出所:ワークプレイスラーニング2009資料
-----------

これには深く同意するところと、さらに考えさせられるところがありました。

多様性、頻繁な異動、権限委譲の3つはその程度の差はあれHCFMの研修の特徴に一致しています。

ただ「自立エンジン」があるか?というと、
そうではなく「自立エンジン」を作りながらという一面があります。
ここがKeyに思いました。

一方でHCFMの目指す方向性ははっきりしており、
=====
北海道家庭医療学センター(以下、HCFM)は大きく3つのミッションを持ち、活動を続けてきました。

1.良質な家庭医療の実践
2.良質な家庭医の養成
3.北海道及び日本の家庭医療の発展に対する貢献

 最後のミッションは決して単独で目指すものではなく、前の2つのミッションを地道に実践する中で達成されるものと考えています。この3つのミッションがHCFMの組織構造と活動を形作っています。
=====
という、ミッションがあります。
この理念が混沌から創造性を生むという点については、
HCFMという組織の導入期・成長期から発揮したんだろうな~と思い浮かべられます。


このミッションが、研修初期にどれだけ一致できるか?
そして、自立エンジンの馬力具合にどれだけ段階的に、異動や委譲を経験できるか?
が、大切な研修デザインだな~と感じました。

めっちゃ難しいことのようにも感じますし、
それぞれでの職場のコミュニケーションがこれを後押ししてくれている気もします。


家庭医のストレッチ経験が何なのか?って面白い研究テーマだと感じました。

患者さん、家族、地域、プロジェクト、指導医、
振り返って今心から思い出せるそれぞれがそうなんでしょうね。

2009年10月15日木曜日

長い外来を乗り越えた後の振り返り 

新しい診療所では、新しい環境との出会いです
内的なものも外的なものも

この間はご飯も取れず7時間ぶっ続けの外来を初めて経験しました
要因はいろいろあるので稀有なケースだとは思っていますが・・・

そういった初の経験で自分を知ることができます


外来が5-6時間経過しても、自分をメンテナンスしながら、
・ある困難な状況でも衝突を回避するマネージメントを遂行
・問題点を見定めてAgendaを満たす外来
が出来たことは自信になりました


疲労で容易に陰性感情が沸きやすいこともわかりましたし、
それを患者さんとのコミュニケーションをとりながら軽減する術も経験することができました

家庭医は身近な患者さんから元気をもらえます
内的な動きに注意することも大切でした


振り返ると、大崩れせず、むしろ無事出来たのは、
ゆっくり外来を積み重ねた初期研修+後期研修1年目のおかげだと思っています

色んな局面でそれを感じることができました
思い出すのは本輪西の日々です

室蘭を離れた同期から、室蘭で学んだことが役立っていると聞いたことがありましたが、
その気持ちが良く分かる瞬間でした


と、いいながらも、お恥ずかしいことに、
・とある検査を出したのに、その後の確認が抜けていた(周囲のカバーで助かりました)
という出来事が起こっており・・・

ポジティブの維持も、ネガティブの修正も、
どれもこれもスタッフや患者さんからの助けがあってのこと

自分ひとりだけでメンテナンスは出来ないな~ということも感じました


新しい環境では新しい学びが多いです

一つのところで根を張る日を夢見ながら、
新しい環境で学べることを大切にして過ごそうと思います。

2009年10月8日木曜日

病院が診療所になって、そこで家庭医が働いたら・・・

更別を離れ10月から旭川近くの診療所で勤務しています
この10月から病院から診療所になったところです

『初めての家庭医体制』
『100床の病院から19床の診療所にダウンサイジング』
を、日々色んな切り口で経験しています

「先生は何科?」「肩も診てくれるの?」などなど患者さんとのやり取りも新鮮な環境です
システムとしても立ち上げることがたくさんあって、
どう優先順位をつけて取り組むか、意思決定をどう進めていくか?なども興味深いです

院長の先輩と学生時代からの同期と協力して、
家庭医療の実践と教育のサイト作りに励みたいと思っています

今までのサイトがかつて経験した立ち上げ時期を、
こうやって9期生として経験できていることが何より有り難いです

2009年9月28日月曜日

探して揺れても、たち続ける中心

十勝の診療所もあと一週間となりました

新たな立場で、多くの経験を積むことができました

小さな舞台から大きな舞台まで、様々な舞台経験がこの半年も糧になった実感があります


なにより、地域医療どっぷりの先生方とお会いできたこと
若手の自分が家庭医としての一生を全うすることへのイメージが出来ました

そして、家庭医としてのプロフェッショナリズムも目の当たりにすることができました


指導医との振り返りのときに、
立ち続ける中心について話題になりました

別の指導医も別の言葉で同じことを表現しているように感じました


振り切れず、落ちず、立ち続ける中心
新たなテーマを教えてもらえた振り返りでした


今日は臨床研究のfellowshipのゼミみたいな時間がありました

日本の家庭医療の発展と、自分の体験と、
医師患者双方へのよりよいアウトカムの探求から搾り出したリサーチクエスチョン(RQ)
について議論をしました


これも「中心」に立ち続ける大切さと難しさを実感しました

よいRQの要件で習った“FIRMNESS”
これらの項目をどれが不足することなく立たせることのバランス・・・
一つの要件の追求は、別の要件をおろそかにする動きとして連動してしまう気がしました

良いRQ一つとっても、
多彩な評価の中心に立つものであれば素晴らしいのだな~と実感しました


家庭医として中心に立つ・・・その意味から模索しながら、
バランスを、バランスを、バランスを

2009年9月21日月曜日

幽玄なる!?家庭医療

メルマガで読んでいる『安岡正篤 一日一言』
難解な日もありますが、ヒットすることもしばしば

茶道の御軸拝見から読み始めた禅語や、
最近読み始めた論語が染みるときもあり、
仏教や四書五経って大切な教養なのかも・・と思っています
まだ心の敷居は高い状態なのですが・・


さて、今日の言葉は、

『反省は統一に復(かえ)ろうとする作用である。
 哲人程内省的であり、統一に復る程幽玄(ゆうげん)である。』

とありました。

ほほう。


分割して発展した各科専門医学の反省・反動から、統一に復ろうとして興った家庭医療
ということは家庭医療は幽玄なのでしょうか?


幽玄といえば和歌や能を形容する表現というイメージだったので、
早速「幽玄」を調べてみました


*言の葉庵というHPの“【日本文化のキーワード】第三回 幽玄”より

『どの芸術にもその神秘さ、精神的リズム、日本人のいわゆる〔妙〕が存する。
 (中略)妙はときとして日本文学において〔幽玄〕と呼ばれる。』

確かに医学でも〔妙〕なるものを感じます。
言葉にはならないけれども、患者さんとえもいわれぬ時間が流れたり、
混乱した現場が徐々に整理されていく力が動いたり・・・

『「幽玄」とは「具体的感情の混沌を律動的芸術形式」へと統一する
 「情趣創造的形成の原理としての意義」をもつものと説きます。
 まとまらない感情の動きを、リズムをもつ形式に統一して示す、
 芸術創造の原理になっている。』

これはPCCMの成り立ちに合致します
医師という人間と患者という人間が出会い混沌とし、まとまらない動きの観察や研究から、
PCCMという律動的形式に統一されてきた・・・
そしてそれは新たなモデルとしても変化し続けている・・・
芸術だけではなく、『学問創造の原理』としても読み取れました

一番すっきりしたのは、

『「幽玄」の七つの定義。
 (一)何らかの形で隠され、蔽われていること
 (二)仄暗く、朦朧で、薄明であること
 (三)静寂であること
 (四)深遠であること
 (五)充実していること
 (六)神秘性、または超自然的であること
 (七)非合理的、不可説的、微妙であること』

人間の臓器や細胞ではなく、人間そのものや、関係を主に対象とするからこそ、
(一)~(七)という特徴があるのかもしれません。

とはいえ人間を分割し続けても失われる特徴でもないので、
(一)~(七)の特徴はどこ分野にも当てはまるのかもしれません。

ただ家庭医としての専門性が深まった!!という感覚がもてないでいるのは、
『幽玄』な世界だからこそなのかもしれませんし、

家庭医の大先輩達に圧倒されるのも、
『幽玄』な姿だからこそなのかもしれません


最近始まったの臨床研究フェローシップで、
日本らしい家庭医療ってなんだろう??と考える機会が多かったので、
小難しく考えてみましたが、上手く言い表すことができませんでした

『幽玄』だからなのかもしれません

いや、未熟者だからでしょう…

修行は続きます

2009年9月8日火曜日

知ったからこそ、それがはじまり

外来中には様々な自己洞察や自己認識が訪れますが、
大切なのは、「洞察してどう言動するか、認識してどう言動できるか」
だと最近感じています

外来には大切な相手がいますので…

何も言わない、何もしないという選択もありますが、
それを意識的に選んでいるかというと…不確かであります
悪影響を最小限にすることが精一杯のときも…あります
特に自分の倫理感や正義とぶつかるものと出合った時、とても試されます

少ない経験を振り返って、難しい局面では
・情報収集から理解を深める
・全く異なる視点で外来のゴールを再設定する
・共通点を探し関心を復活させる
などが有効でした

これが自在なのがプロなのでしょうか?

感情の揺れがふと訪れても、
それが互いに心地よいゆらぎに変化する外来ケアを提供できる

そんなプロの自然体っていいですね~

2009年9月6日日曜日

只只過ごす、日日是好日と感じ


本州最西端の山口県の東部に周南市という街があります
かつての徳山市と聞いたほうが馴染みがあるかもしれません
今でも新幹線の駅は「徳山」になっています

その徳山駅から南に徒歩5分で徳山港があります
石油コンビナートが立ち並び忙しくクレーンが動く一方で、静かな海面に琵琶湖の穏やかさを思い出します

ここは水深が深いため天然の良港として、戦前には日本海軍燃料廠が置かれ、戦艦大和の沖縄特攻作戦にあたり本土最後の燃料補給地となった(wikipedia"徳山市"より)そうです


その沖合いに大津島があり
そこで、この夏の休暇を過ごしました


きっかけは昨年の夏にベネッセアートサイト直島に行った事でした
地中美術館では明るい教会のような静けさと、切り取られた空の美しさに魅せられ、
生活の場にアートが溶け込んでいる家プロジェクトではわくわくがピークになりました

今までは小笠原、八重山、屋久島などで泳いだり登ったりと体を動かす遠くの島旅を好んでいましたが、
家族もできたし、静かに心が動き楽しむ島旅がいいな~と思い直したからです

その直島で見た雑誌に、大津島の宿・只只のことが書いてあり
『来年はここ!!』と決めていました


大津島は高齢化の進んだ小さな島で、
直島のような大きな産業もなく美術館もプロジェクトもありません

大津島には回天という人間魚雷の基地と只只という宿があるだけのように見えました
島の人はどんな生活をしているかが見えなくて残念でした


たった一泊二日でしたが、
かつての戦争とその時代を生きた人たちのことを考え、
この夏に経験したillnessをメタに振り帰ったり、
生きることの意味深さを静かに味わう時間になりました

宿ができる歴史を辿って共感しました

仕事をバリバリしていた地元の社長さんが、大病を患い、大津島を訪れ回天の基地を訪問し、
そして人生を考え直して建てた宿だそうです

この夏に経験したillnessはまさにこのオーナーさんの追体験のようでした

人の唯一無二の人生に重ね合わせるのは申し訳ありませんが、
只只に宿る温かさと静けさは、島をenjoy!!という色合いではなかったのです


辛いことがあっても、悩むことがあっても、
それを良き日と、充実した人生と受け入れながら生きることの大切さ

本当に大切なものを見定めて、それを大切にして生きる素晴らしさ


まだまだ修行が足りませんが、少しまとめて考えることの出来た島でした

2009年9月5日土曜日

家庭医療を学生さんに伝える機会からの学び

7月・8月に学生さんが3名も更別診療所に見学・実習にいらっしゃいました

2年生!という挑戦もあり、母校の後輩も来たりと楽しい限りでした

更別の指導医が以前から学生実習の基盤や環境をがっちり造っておられ、かつサポートも十分だったので、
事前のコーディネートやニーズに合わせたプログラム作り、振り返りの司会などを負担なく経験する貴重な機会にもなりました


何れの学生さんも、よく見ているな~・よく感じているな~という感想やコメントを適宜・そして最後のまとめで出してくれました

実際に家庭医が働く現場で、家庭医の言動を見ているからこそなのでしょう
改めて勉強させられる気持ちになりました

その感想やコメントをベースにして2回「家庭医療とは」についてレクチャーしましたが、
いずれもストンと入ったようです

レクチャーでは『生物心理社会モデル』が必須である(言わないようにして試みたら難しかった)こと、
医学の発展の歴史的経緯や、医学部と家庭医療の現場とのGapを伝えることが有効だったと感じました
『問い』をどんどん立てながら、リラックスしたインタラクションで話してとしても楽しいレクチャーでした

1:1では家庭医療の発展のごとく現場と理論の往復でこんな感じいけそうですが、
これが家庭医の現場を離れて、家庭医の言動を見ていない医学生のmass相手だとどんなレクチャーがいいのでしょうね?

かつてFPIG関西の活動、何回か夏期セミナーでも講師をしていましたが、今後もテーマになるのでしょうね~

2009年8月28日金曜日

1時間のための6年間

役場のスタッフの方に誘われて、昨夜はテニスをしました

ポートフォリオの検討会という大切な勉強会があったので、
遅れてしまって1時間だけでしたが、とても楽しい時間でした

昨年の夏に札幌のモエレ沼公園で数回やって以来でした

ポンコツプレーになっていないか心配していましたが、
以外にもダブルフォルトもなく、狙ったコースにサーブが打て、
フォアもネットミスよりはアウトミス
ボレーもそれなりの玉にはエースかつなぐボレーができました

相変わらず、バックやバックハイは面がぶれて不安定でしたが・・・


たった1時間だけでしたが、その最中も、その後も楽しさが持続して・・・素敵な時間でした



この楽しい素敵な1時間は、大学テニス部の6年間があったからだと思いました

その時には、そんな1時間のために定期練習で声をあげたり、
上手くなるために自主練習したり、先輩に試合を申し込んだり・・
したわけではないのですが・・

6年間のやってきたことが、この1時間に生き生きと息づいている実感を得ました


家庭医の後期研修の3年間も、いつかそんな実感を得るのかもしれません

日々の中での些細な努力や工夫が、
少しずつ積み重なり、
そして、ある一瞬のために実を結ぶ

そんな3年間、いや家庭医人生があると家庭医としての楽しい素敵な時間の資源になると感じました


最近疾患ものの勉強が不足しているな~とも感じていたので、
いい動機づけになりました

9月の市町村対抗のテニス大会では更別の勝利に貢献したいと思いつつ、
医師としても今回の1時間のような時間がいつか来るといいな、
そのために日々刻々を丁寧に生きないとなと学びました

2009年7月18日土曜日

医学の不確実性に耐えて扱うことは・・・

昨日、「医学の不確実性」についてHCFM内でレクチャーしました

診療の現場では、不確実性に『1耐えて、2扱う』ことが日常的に必要になります


『2、扱う』のところでm自分でも勉強になったのですが、
H・コートニーの論文、"Strategy Under Uncertainty"(HBS,1997)の図を参照しました
(図はhttp://journal.mycom.co.jp/column/itshihonron/093/index.htmlを参照)


筆者らは、不確実性を、
「1:まったく読めない未来」
「2:可能性の範囲が見えている未来」
「3:他の可能性もある未来」
「4:確実に見通せる未来」
の4段階に分け、段階ごとに複数のシナリオを用意し、
それぞれのシナリオに応じて打ち手を考える必要がある」と述べられています。

このビジネスで使われている図の1~4が医療にも一致しました


例えば、外来の現場では
1:今日から高熱
2:昨日から高熱と首のリンパ節が腫れている
3:一昨日から高熱と首のリンパ節が腫れているけど、溶連菌とアデノウイルスの迅速検査は陰性
4:川崎病の診断基準を満たした状態
と、情報が増えるにつれ1⇒4と状況が進んでいきます

・・・診断学として順調に行けば・・・です

ある情報で4⇒2といきなり不確実性が高まることもあるし、
2と3の往復で入院がずるずる延びてしまうことも現実も経験しています


臨床で1や4の状況は少なく、むしろ2や3の時が多い気がします


勉強会での議論を通して気づいたことは、

2-3の状況で大切なのは、
『不確実性に耐えて扱う』というイマイチ良くわからないことでなく、

患者さんとの
A情報
B信頼
C時間
を大切にすることです

A互いに情報を引き出して、互いに情報を適切に伝えれられるか
B信頼関係を構築しながら、やり取りを互いに信頼するか
Cこれを限られた時間で行えるか
日々これだったんですね・・・

毎日修行ですね・・・

2009年6月23日火曜日

学びが加速するとき

4月からFM(Family Medicine)カンファという名前のカンファレンスが行われています

指導医の先生と、後輩の後期研修医の先生と3名(+地域医療研修の初期研修医)で毎週開催しています


最近のテーマは・・・
・原因不明の頭痛患者さんのContext 
・上手くいかなかった禁煙外来
・治療的診断を繰り返している慢性咳嗽への対応
・自殺企図+精神科受診拒否への対応
・BPSDで精神的疲労にある家族への地域ケア

これらを病歴、身体診察、Context、家族図、それぞれのライフサイクル、医師患者関係、illness、医療資源などなど挙げてDiscussionしています

いずれも、気づきが加速して学びに満ちたひと時でした

何故、気づきが加速して学びに満ちていたのか?

*あげられたテーマが、後期研修医の悩んだり・困っているケースだったこと
*多様な視点で議論が進んだこと
*定型を持たず、その場の流れでファシリテーションしていること
*指導医の視点、後期研修医3年目の視点、後期研修医1年目の視点が混ざること・それが刺激的
*それぞれのReflection in actionの場になっている

困った・悩んだ課題が、それぞれの視点やReflectionで解決される自由な場!
というのが何よりです!!

この場があることがまず第一です!

そして指導医の視点・経験が深い気づきや学びに反映される状態が第二です!

今回のケースも、指導医からの提案で「地域の医療資源を列挙する」プロセスがカンファの途中にあったことで、その後の問題解決のカードが柔軟に広がりました

自分としても、話しながら患者さんや家族の仮説が広がる感覚がありました

どれだけ事実を収集できるか、どれだけ家庭医療らしい多様な軸で評価できるかが、
こういった難しい問題解決には必要なんだと毎回感じています


カンファを経験すると、その患者さんと次に会う外来が楽しみになります
それは、自分の中に新たな視点や姿勢が生まれた瞬間なのだと感じます・・・

更別であと3ヶ月とちょっとですが、指導医から吸収する場にしていきたいと思います

2009年6月14日日曜日

家庭医は土地を知り、土地を愛してこそ

この週末は、南十勝を縦横無尽にドライブしてきました
あいにくの雨でしたが、雨の十勝平野の美しさと出会えました

生活の場としても素敵だと感じていたのですが、週末のドライブでさらに好きになりました


お昼に大樹町でラーメンを食べているときに、
十勝毎日新聞(通称カチマイ)を読みました

改めて読んでみると十勝の情報が盛りだくさんで、とても勉強になる新聞です
たまに診療所の待合室のカチマイを読むのですが、毎日ではありませんでした

毎日読んでこその情報もあると思うので、明日から読んでみようと思いました


思えば、初期研修-後期研修1年目を過ごした室蘭でも室蘭民報を日々読んでいました
患者さんが多い新日鉄や日鋼に関係する記事や、各種イベント情報、そして訃報欄には目を通していました
『地方新聞があるところは、文化のあるところだよ』という父の言葉を実感したのを憶えています


新聞から文化を学び、そこに住む方々への理解が進み、
診察室でのアイスブレークや雑談に強くなった経験は財産になっています

それを思い出して、この十勝でも意識して取り組みたいと思いました


あと、ドライブも非常に大切ですね
本当は速度を変えて、散歩やサイクリングもそうなのでしょうが、
土地を知り、土地を肌で感じるにはもってこいです

『ビートが大きくなってきたな』
『患者さんが行っていた水はけの悪いところってここのことか~』
など、気づくことが多いです

室蘭、礼文、札幌、そして更別と、それぞれの土地と出会い、知り、そして好きになるプロセスに、
新聞とドライブは大切なものだと改めて感じた週末でした

2009年5月23日土曜日

濃厚な一週間の後の淡い気づき

更別に来て、一日一日が濃厚なように感じます
一週間が濃密です

それは多彩な役割と機能を担う環境ならではの時間の感覚なのかもしれません
もしくは時間量が同じでも経験量と情報量が増えているからかもしれません

ゆっくり時間が過ぎていると感じているとき
それはInputの情報が増えている時間が多いことが多いです


例えば、今日一日を振り返っても「充実」の一言につきます


午前は一人一人が濃密な外来でした

悩み、迷いして、でも内省すると少し光があって、
自分と患者さんの間の今日のゴールを探る感覚で進めるコミュニケーションを
どこか客観的に見ている楽しさと緊張感がありました

午後からは初期研修医の指導単位
ついこの間まで同じような学習者だったので、
なんとなく葛藤point、緊張pointがここではないかと一緒にDiscussionします…

Feedbackが利いているところは嬉しい
届かないアドバイスは『やっぱり』と反省・・・


外来後に課題が見つかっても答えを出さず、
一緒に『どうする?』って悩んでみる

この有意味な沈黙の時間が大切なんだと感じますね


夜のカンファでは、初期研修医のプレゼンに対して指導医からのコメント
これが宝石みたいです
結晶化された感じが素敵

自分には持てていない視点と気づきでさらに厚みが増しました

自分の指導がダメだったとは思いませんが、
指導医のコメントの結晶具合にまだまだ目指す指導医には道のりが遠いなと、
課題が見つかる楽しさがあります


そして、今日の締めは後輩のビデオレビュー
安全で適切な学習環境の構築が目の前でデザインされるのも目の当たりにしたのが
学び多い時間になりました

後輩の十分な外来パフォーマンスに対して、
ちょっと先輩として何を伝えるべきか、何が次に出来たらさらに改善するか…
アンテナを感度MaxにしてFeedback…

この感覚は以前室蘭で日々Feedbackを繰り返していた3年目の時を彷彿とさせました
一年先輩というプレッシャーや役割って大切なトリガーだと思い出しました


ソロではなくグループだからこそ、
単一ではなく多様だからこそ、
そして、それを許容する容量の環境だからこそ、
濃密に学べる有り難みを感じます


帰宅後、晴れやかな気持ちでした
帰りも遅い日が多く、当直もここ数日当たりが多く疲れていない訳はないです 
でも疲労が淡い感覚なのです

仕事が充実すると、幸せな一日になると改めて感じました
そして、充実するようにデザインすると素晴らしい一日になると感じました


一人だけでなくそれが共有できる職場であることに感謝して…
おやすみなさい

2009年5月11日月曜日

モデリングのモチベーション

今週末、旭川医大で開催された勉強会に出張で行ってきました
北海道家庭医療学センターで毎年恒例となっている学生主催の勉強会です


行きは雪解けの三国峠、帰りは富良野を通ったので出張という名の観光ドライブでもありました
晴天+桜満開で一番春を感じる週末だったからかもしれませんが・・・


北海道家庭医療学センターの先輩も含め、4名のレクチャーを聞きました
内容はもちろんですがプレゼンスキルや講義方法が勉強になりました

最近のSelf awarenessで、『モデリングでの学びが多い』ということを知ったので、
余計に意識してレクチャーを聴いてしまいました


レクチャー方法のTipsの宝庫でした
以下一部抜粋です・・・

・『あえて自分なりの問題意識とその答えを持ち、伝える』
 演者がもつ問題意識を聞くことでグッと引き寄せられる感覚がありました
 あるテーマでの問題点やキモを説得力を持って説明されるといいイントロになります

・『概念は図にする』
 だらだらしゃべるより、ぐどぐど説明するよりすっきりです
 ただし図がシンプルなことが大切・・・

・『自分にとって大切な経験の語り部になる、そしてキーメッセージを抽出する』
 家庭医は患者さんのエピソードでのプレゼンをしてこそ!!と前々から思っているので、
 前半の『経験の語り部』は重要視していました
 ただ、そこから『キーとなるメッセージを抽出する』となると一味変わりますね~

・『自分が楽しくなる』 
 自分のネタでウケる芸人もアリというスタンスですね・・・
 聞いている人達の表情がとっても素敵な時間でした

・『百聞は一見にしかず、百見は一動にしかず』
 やっぱり経験してこそ学びが深まるんですね!!
 領域によってはリアルに近い模擬経験をデザインする事って大切ですね~


モデリングですが、
注意して観察する⇒取り込んで保持する⇒再生する
という3つのstepがあるそうです

そして、このいずれにもモチベーションが絡んでくると言われています

今回のモチベーションを考えてみると、
学生さんの反応も観察していたからこそ!!
と振り返って思いました


彼らが前のめりな姿勢への変化や、
思わずメモを走らせる瞬間、
深いうなずきがあるタイミング

そのときの演者の言動をモデリングするからこそ、
より強い保持ができて、今後再生可能なものになるんだろうな~と感じました

更別でもレクチャーの機会がわんさかとあるので、ひとつずつtryしていこうと思います


今回は500kmの旅路でした、GWと積算してこの一週間での走行距離は1500km弱・・・
北海道は広い!! 
レクチャーは深い!!

2009年4月29日水曜日

“アグリカルチャー”から学ぶ学びの文化

田舎の我が家では、家と同じ広さの畑を作っていました
物心ついたときから野菜や果樹が育っていました

毎年GWになると、母の実家の田植えの手伝いに行っていました

兼業でしたが、農業に触れる機会は同世代と比べると多いほうだったな~と振り返って思います


何で農業の話かというと、
『永田農法』という言葉をテレビで知ったことがきっかけでした

http://ja.wikipedia.org/wiki/永田農法

テレビでは『やせた土地ほど野菜本来の成長が生かされ、おいしい野菜に育つ』と紹介していました

『厳しい環境ほど、おいしい家庭医が育つ』に聞こえました
連想もここまで来ると重症です


最近の学びのテーマと合致!!

学習環境がやせた土地で枯れるか枯れないかという環境はどうかな~と思いますが、
肥料をやり過ぎない、環境を整えすぎないことは共通点なのかも・・・と感じました

厳しい研修環境ほど、それを乗り越えればいい研修医に育つに似ている!?のかな~
でも、厳しい環境を乗り越えることは、サポートも手間暇もかかるし・・・
学習環境の安全性と“一皮むける”ための挑戦をするバランスって難しい課題だと思います


身近な組織を思い浮かべると、
その組織や、その世代に、与えられた課題や文化があって、
その中で学習環境の安全性と挑戦するバランスがあって、
成長を遂げてきたように思います

人と野菜をひとくくりにするのは強引ですが、
結局『農業』は『野菜』であって『土』や『肥料』は関係ない!!
つまり『教育』は『人』であって『環境』や『指導』は関係ない??


------
永田農法について学びを進めてみました・・・
http://www.1101.com/yasai/10elements/index.html

以下気づきメモ
・やっぱり環境を整えるのが何よりなんだ~
・苗の土を洗う!根を切る!って大胆!!でもよく考えたな~
 ⇒新しい文化に入るときは、経験をリセットする、今までの学び方と違う学びがでるように支援する
・畑にも優しい
 ⇒昨年は外で研修していたので『野菜と畑』で悩んでいました。野菜と畑のいい関係っていいですね!!  

う~ん、結局はその『人』本来の持ち味が成長するような『環境』を整えて、
その環境から吸収できるような『学び方』を支援して、タイミングをみて『肥料』を追加して、
『手間暇』かけることですか・・・ね


農業も教育もいずれも“お天気”に左右されるから難しい!!のかも…
オチた感じですね

2009年4月25日土曜日

見えないものを見る力の大切さ

十勝毎日新聞という地域紙に着任の記事が掲載されました
http://www.tokachimail.com/sarabetsu/
前後して診療所便りが村で配布されました

それからというもの、
学校健診に出かけたり、
特老スタッフとの飲み会や、
近隣の茶道の教室で、
良く知られていると感じる発言を貰います

「先生関西出身なんでしょ?」
「たしかテニスをされるって。。。7月に大会が有るのですが・・・」
「もうお父さんなんですよね・・」

発信された側は、影響を見積もれませんが、
反応が帰ってきて始めて、周囲からの関心や注意を感じることが出来ました

自意識過剰なのかもしれませんが、
例えば村の温泉で
「今度の先生は、滋賀出身だって・・」
「どうりで訛りがあるんだね~」という会話も有るかもしれません


自分の見えない影響をどう自覚するか…
大切な課題であり、大きな成長のための鍵のように感じました


以下、2009年4月16日の記事より
------
村国保診療所 後期研修医 松井さん木田さん着任


 村国保診療所(山田康介所長)にこのほど、後期研修医の松井善典さん(28)と木田盛夫さん(31)が着任した。2人は「地域に根差した医療現場で学びながら、患者の役に立ちたい」と張り切っている。

 松井さんは滋賀県出身。滋賀医科大医学部在学中に「家庭医」を志し、卒業後に室蘭や礼文島、札幌の各病院や診療所で研修を積んだ。「家庭医療について、自分の言葉で経験談を話せるようになってきた」と話す。

 思い出深い患者も増えてきたといい、「更別でも多くの出会いがあれば。子供たちと触れ合う機会もほしい」と意気込んでいる。趣味のテニスと茶道も楽しむ予定だ。

 木田さんは岐阜県出身。山形大学医学部を卒業後、沖縄県の病院で5年間の研修に臨んだが、家庭医を目指し、道家庭医療学センターの後期研修生として応募。今年からさらに3年間の研修を積む。

 「更別は新たなスタートの場。介護士、保健師を含めた地域コミュニティーの中で包括的に治療を実践している。地域医療を学ぶ身だが、住民の皆さんにできる限りの医療を提供したい」と話す。

 ともに研修期間は9月末までの半年。同診療所は3月末で安藤高志医師が上川管内の診療所に移り、福井慶太郎さんも研修を終えて離任。今回、松井さんと木田さんが加わったため、3人体制は変わらず、診療時間や科目などへの影響はない。(北雅貴)

2009年4月18日土曜日

北海道家庭医療学センターの強みの3つ のうちの1つ

最近進路について悩んでいます
そんな中で、たまたまメールで案内が来ていた内容がFitして、
『「見どころのある部下」支援法』という本を買いました

目次に惹かれて早速読んでみました

著者は、神戸大学大学院経営学研究科を卒業された方で、
あの金井壽宏先生に師事した谷口智彦先生です。なるほどその流れを感じる内容でした。
(名著「経験からの学習」を書いた小樽の松尾先生も神戸大学大学院経営学研究科に移られました
 今神戸がアツいです。)


どちらかというと上司・管理者向けの本なので、
followerやresident向けではないのかもしれません・・・


読んではっとしたのは、
2章:リーダーを育む「8つの経験」という分類があり、
そのほとんどを北海道家庭医療学センターのstaff/fellowの先生方が経験されていることでした

その8つとは、
1初期の仕事経験
2上司から学ぶ経験
3人事異動の経験
4プロジェクト型の仕事経験
5管理職になる経験
6海外勤務経験
7立ち上げ経験
8修羅場の経験
です

1初期の仕事経験とは、おそらく室蘭でのHalf Day Backの日々
家庭医としての姿勢や視点を身につけた時期

3の移動はまさにHCFMの後期研修を特徴付けている多彩な場での学び
所違えば文化も違い、その中で醸成される、診断推論、ものの見え方、柔軟な適応方法などの吸収

4のProjectも常に存在していますし、
5の管理職経験も、一般社会と比較すると早いくらいのタイミングで積んでおられます(この業界が早いのですが・・・)

7の立ち上げも更別、寿都、そして上川と順を追って進んでいます
当初は大きなストレスもあったでしょうが、混沌の中でポイントが整理され、ノウハウが蓄積され、
組織の知になっているように想像します

8は最近のは記憶に新しいですが、きっと時々にあったはず・・・
特に、修羅場とまでいかないにしても、
後期研修医としてもっとも『すごいな~』感じるのが、
「3人体制の残り2人が次々と交代する中でパフォーマンスを落とさないポテンシャル」の強さ
です
これは大小様々の内的や外的なConflictがあるはずです

そう思うと、HCFMには内外のリーダーを育てる土壌があったんですね・・・


そして、それらを経て現在進行形で積んでいるリーダーが複数居るからこそ、
今の世代には安全な学習環境や、サイト内での正統的周辺参加が可能になっているのかもしれません

かつては危険と隣り合わせの学習環境&非正統的(いきなり)中心参加(そんな言葉は無いですが)だったんでしょうね・・・


そして、12年のHCFMの歴史の中で、
(自分のこの4年ちょっとを振り返ってみても、)

1初期の仕事経験
2上司から学ぶ経験
3人事異動の経験
4プロジェクト型の仕事経験
5管理職になる経験
6海外勤務経験
7立ち上げ経験
8修羅場の経験

の2「上司から学ぶ経験」、4「プロジェクトから学ぶ経験」のボリュームが以前より増えていることを感じます

常に甘んじては成長がないと思いますが、上司のDeep Smartを伝え聞くこと、感じ取ることは大きな糧になっています

最近チーフレジデントとして会議に参加していると、夏の日差しのようにもろに感じます


その環境の中で、自分なりの情熱と創造性を持ちながら、
共に働くこのできる場がある研修であることが強みだと感じとりました

2009年4月14日火曜日

3年目の春、十勝の“広さ”と“はやさ”

とうとう後期研修も3年目を迎えました・・・
今のプログラムでは最後の一年になります

赴任先は十勝のどんぐり診療所
診療所HP:http://www.sarabetsu.jp/sinryousyo/
診療所ブログ:http://blog.livedoor.jp/sarabetsu2001/

札幌と比べて、大地も空も広いです
爽快な気分でここ2週間を過ごせています

環境って大切ですね・・・


ここで二番手として働くことになりました

一昨年は一番下っ端で働いていましたが、
今年は立場も責任も異なる感覚で診療所にいます


それを改めて痛感したのが、先週の外来でした
一人で今までの倍以上の数を午前も午後も診療しました
しかも時間内に・・・

初期研修医のころは、半日で4人診るだけで汗をかき、
カルテを書くのも遅くまでかかっていたのに・・・


北部東京の藤沼先生が紹介されていたと聞いた、
“Routine, ceremony, drama”のように
指導医の先生がおっしゃった
“濃淡”のように
外来が進む感覚を初めて少し覚えました


赴任直後は電子カルテにも慣れず、
持っても仕方のない陰性感情を抱いてしまう瞬間もありましたが、
解消して、陰性感情に気づくcheck pointも構築して外来に臨めています

この順応もサイトを転々としてきたからこそ得られたものかもしれません
環境が変わった直後は悔しいくらいにパフォーマンスが落ちることと向き合ってきたので、
どう工夫すれば慣れるのかには必死です・・・


そう考えると、初期から今までの教育環境は素振りだったり、練習試合だったのかもしれません
特に後期研修の1年目は安全と挑戦を兼ね備えたありがたい環境でした

そのなかで実戦に向かったときに“はやく”なるためのものができつつあったことを実感しました


その“はやさ”の中だからこそ、
家庭医らしいと思える瞬間があると、
乾いたのどへのビールのように心地いいです

2009年3月16日月曜日

働くのが楽しいクリニックの原型

明後日に指導医の訪問指導が待っています

病棟研修中は特に大切な年4回の貴重な機会で準備にも気合が入ります
特に思うところがあってFeedbackを受けたいSEAやテーマなどには時間がかかります

各地で盛んなポートフォリオも発表用にひとつ仕上げなければ…
濃厚な小児科研修でテーマも多彩で悩むところです


今夜は、外来Reflectionや入院サマリーをみて振り返りの一時を過ごしています


振り返る中でふと、
今のこども診療所がとても働きやすい職場であることに気がつきました


なんでしょうか?
この働きやすいクリニックの構成要素は??


一人ブレストしてみました

・医師、看護師、事務で柱となるリーダーの安定感に支えられていること
 *特に小児科の医師は父性的で面白いです
・受付のスタッフ皆さんが子供目線で、声かけが多くて、笑顔
 *受付の前を通るときの一声や表情で嬉しくなります
・看護師さんが屋根瓦式の教育をしていて学びの移転が医師にも好影響
 *積極的な勉強会、経験の積ませ方、医師との積極的なコミュニケーション↑↑
・研修医慣れしている
 *外来の割り振りが研修医患者双方に安全、見学⇒指導⇒カルテレビューと段階的に導入される
・地域に根付いて50年弱のクリニックなので地域・患者さんからの信頼がある
 *研修医でも診療所への信頼感で診療がスムーズになる有難さ
・人の異動が少なく機能集団(ゲゼルシャフト)というよりは家族集団(ゲマインシャフト)に近い
 *以前緩和ケア病棟で経験した、組織の“お父さん”と“お母さん”とその兄弟姉妹たちのイメージ

・・・
などでしょうか??まだまだ有ると思いますが、このあたりで

道内各地の診療所で働いていて、こんな視点も出来つつあることが確認できました

自分が診療所での教育に興味があるためかもしれませんが、
医学でも看護でも教育が当たり前のようにある診療所って素敵だと感じました

2009年3月10日火曜日

京都で家庭医療のポートフォリオの学び

先週末に8名の後期研修医のポートフォリオの発表が京都でありました。
どれも家庭医療らしく、涙を誘われたものもありました。

印象に残ったことは3点です。
1.ポートフォリオが家庭医のモチベーションを維持する
2.ポートフォリオのフォーマット整備が家庭医療の学びを深める
3.レジデントで集まる場が大切


1.ポートフォリオが学びを促進する

 とある循環器科研修中の研修医の発表で、disease中心のプレゼンが進み、『医学的なもので終わりかな~』と思ってみていたところ、

「そういえば、家庭医療後期研修医だった」

 という一枚のスライドがあり、その後illnessのプレゼン、BioPsycoSocialアプローチがとられたポートフォリオ発表になりました。
会場が笑いに包まれ、そしてその先生の奮闘振りに敬意を持って質疑が進みました。

 質疑で「院内での家庭医療レジデントでの定期の集まりと、この発表の機会があることがモチベーションになった」という発言がありました。
普段は専門研修で忘れがちなモチベーションを保つためのポートフォリオになっていたんだな~と気づきました。


2.ポートフォリオのフォーマットの整備が家庭医療の学びを深める

 在宅ターミナル、家族会議、患者中心の医療の方法、医師患者関係、入院→在宅への取り組み
など、重要なテーマ・ストーリーが目白押しでした。

 それぞれの紹介で、ADLならDEATH、illnessならFIFAなど、PCCMならコンポーネントの何に当たるのか・・・など発表のフォーマットがある程度統一されている、でもまだバラバラな印象を持ちました。

 患者さんの個別性もあり、ポートフォリオのフォーマットが統一されることはないのでしょうが、
・illnessの紹介はFIFAだけでいいのか?
・家族会議なら必ず仮説をプレゼンしたほうがいいだろうか?
・患者医師関係をプレゼンするときに、自己認識や自己変容をどのようにプレゼンすればいいのか?
・・・
などを学び・洗練することが家庭らしい学びを深めるのではないかと思ってみていました。

 患者さんやイベントとの出会いの中で、家庭医的な学びを深め、それを消化し結晶化するポートフォリオを目指したいと思いました。


3.レジデントで集まる場が大切

 こういったレジデントが集合する場の力の大きさを感じました。
日本各地で、そして冬期セミナー誕生した各コミュニティーの場で、モチベーションを維持し、学びを交流し、家庭医としての成長をレジデントが中心となって進める場がたくさんできるといいな~と思いました。

2009年2月24日火曜日

学びのきっかけを探すきっかけの週末

2月の週末はNLPの講義や冬期セミナーの開催などで特別な時間が多かったです

そして先週末は、
親友との教育Reflection + NLPの補講


親友との教育Reflectionはこれで2回目になるのですが、
互いの一年間の教育をまとめてみて、ディスカッションすることの楽しさをまた覚えました

話題になったのは、
「振り返りを促すための、“気づき”そのものをどう生むか」
「与えた課題をfollow upすることの大切さ」
「学習者の“知らない”をどう知るか」
「小グループ学習のファシリテーション」
「内的動機付けのための、取っ掛かりの外的動機付け」

などなど濃厚な二時間でした

その中で、
「学習者を知るときにその人のクラブ活動(部活動)の様子を聞いて、学習スタイルを探る」
*その親友とは学習スタイルも、部活の様子も同じだったので・・・ヒントになるかも!!と盛り上がりました

「手渡しではなく、自分の机に課題を置いておいて取りに来てもらう」
*自分の机を“ショーケース”として、推薦図書や資料のまとめ方の参考になれば・・・という淡い願いをこめる

「“気づき”が少ない人は、自分の言動を覚えていないことが多いので、一緒にいる機会を増やして観察したことを伝える」
*いわゆる”人間ビデオカメラ”作戦

「学習課題に個別性を出しすぎると、意図的過ぎて逆にうまくいかないので、ある程度どの学習スタイルでも学べるような複数の学習課題をパッケージとして提供する」
*本輪西を思い出すとそうだった!!との結論になりました。しかもパッケージとして提供されていることで、『こういうものなんだ』と受け止めて乗り越えやすいかも・・・

などなどのアイディアが出てきました


S君という初期研修時代からの親友なのですが、
話題への応答や教育ポートフォリオを見て、彼と出会った頃と同じような尊敬の念を覚えました

3月にもう一度開催するので楽しみです


その後のNLPの補講でも感じたのですが、

やったことをもう一度Reviewする大切さを感じた週末でした

2009年2月19日木曜日

一度の生の体験が、ずっとの生きた想像力を生む

最近はプロフェッショナル+当直の組み合わせが多いです・・・


前半がcallで見られなかったのですが、
後半は見ることができました

堀井不二夫さんというべテラン航空管制官のお話でした


印象的だったのは、管制官として自信をつけていた頃、
若手パイロットとの同乗体験を契機に「飛行機を捌くという管制」から、
「共に空を飛ぶ管制」に変容されたシーンでした


着陸前の緊張状態、操縦手技の多さ、それらを目の当たりにして考えが変わったそうです

それらを想像し、思い描くことで、タイミングよくパイロットに役立つ指示が出るそうです
堀井さんが管制すると、パイロットから「丁寧な指示をありがとう」と声が返ってくることが、
安心と信頼のある管制の何よりの証拠でした


『今、どういう気持ちでパイロットは飛んでいるのだろうか?』
管制技術に、その思いやりが溶けた瞬間、
それは最高の技術と態度となってパイロットを支えるものになるんだと感じました

声だけのやり取りだから、
声だからこその思いやりを強さを持っていないといけないのかもしれません



生の想像力を身につける

・・・患者さんがどういう気持ちで今入院しているのか?
・・・どんな気持ちで今日ここに受診してきたのか?

医療の知識や技術を提供するときにも、より伝えるために必要な想像力だと思いました

きっとこれって共感レベル3です

2009年2月3日火曜日

出会っていた人と新たに出会う喜び

今日は借りていた本を返しに、院長室に行きました
その時に、院長先生の今までの歴史や趣味や熱い思いを聞いて嬉しくなりました

院長先生とはかれこれ3ヶ月前から時々お話しさせて頂き、
初対面ではないのですが、嬉しさからか初対面のような新鮮な出会いを経験しました

すでに知っている人の新たな面を発見する“出会い”っていいですね!!


隣の外来の様子を聞いたことがあり、お人柄や尊敬されている方とは存じ上げてはいたのですが、
その背景や信念を聞くと、新しい出会いという感覚が生まれます


その人の背景や、人生を支えている信念と出会うことは外来でも喜びになったり、
診療の大切なモチベーションになったりすることをよく感じます


『出合った人との“新たな出会い”を大切にし続ける』
家庭医として大切な心構えなのかもしれないなと感じた出来事でした

2009年1月29日木曜日

組織としての振り返りって良いもんだと思った夜

今夜は当直+小児二次救急当番です
指導医と虫垂炎の話題からとある医局の話題になりました

その医局では、毎年年報を出版して、
関連病院はもちろん紹介元の病院(診療所)に送ってくるそうです

指導医からその年報を見せてもらいました
堅い表紙ですが、開くと素敵な年報でした



何より凄いのは、その年報と共に、

「われわれの活動の一端を知って頂ければ幸いです」
というPRから始まり、
「日ごろはいろいろとお世話になっております」
というお礼や、
「目標としていた○○を達成できたのも紹介いただきました諸先生方のお陰」
という感謝、そして
「患者さんのQOLを高め、研修医の教育に力をいれます!」
「これまでと変わらぬ支援を」
というメッセージが教授から述べられたレターが同封されていたことです


年報も、
・教授からのメッセージ
・外部からのメッセージ
・スタッフのエッセイ
・研修修了した研修医からのメッセージ
・診療統計(症例数など)
・関連病院便り
・名簿
・学術活動の記録(論文、学会発表、受賞、講演)
・スポンサーCM
と盛りだくさんで、測ってみたら2mmくらいの薄いB5の冊子なのですが、内容は濃厚でした



これは凄い!!


年間の活動を振り返り、記録を残し、それぞれの立場から組織について思いや目標を書き…

これは組織としての振り返りだ!と感じました



そして、年報そのものが持つ機能
・記録として
・広告として
・メッセージとして
・礼状として
・・・
を感じ、その人間味とぬくもりを感じました


これを貰ったら、
この組織への印象が良くなり、関係が深まり、親近感が沸く…
そんな、印象的な冊子でした


教授のお人柄なのでしょうか…


関連病院便りでは、
かつてお世話になったN病院の指導医のH先生の記事があり、
病院とは違った側面を感じました 
愛に満ちた指導医だったんだな~と感じる文章でした


こんな素敵な年報、是非北海道家庭医療学センターでも出して欲しいです
するなら是非お手伝いしたいです
4月からチーフだし提案してみようかな…

“教えることは学ぶこと”を共有したひと時

週末に精神科の後期研修をしている友人と
「2008年度の教育歴振り返り」と称して一年(弱)を「教育」を中心に振り返ってみました

互いに初期研修医の教育に関わることが多かった一年だったので、
たまたま年始に電話したときに企画を思いつきました



やはり「評価」って難しいねという話になりました
特に彼の場合は事前の目標設定がない困難さを痛感しているようでした



そんな中でも現場やシステムの限界まで彼が奮闘してよりよい研修医教育をしようとしている様子が知れました
ただ、システムや現場の限界を改善することは後期研修医の身分を超えることもあり…
裁量を持っている中で、どんな教育のリソースがあるのかについて話題が進みました

そして、後期研修医とコメディカルとの情報交換や協働を、
初期研修レベルでも体験してもらうことは、僕らの裁量の中でできるよね~という発見ができました



僕自身は怒涛のレクチャーをした一年でしたが、
『参加者の背景やニーズを知ることが、モチベーションになって、これだけできた』
という事に気づかされました

彼は「オートクライン(=自分で話したことを聞いて気づく行為)」だねと言っていました
今後、困難なレクチャーがあっても背景やニーズを知る作業をまず大切にしたいと思います


個人的に気づいた弱点は、
レクチャーするときに『抽象的な話をするときに具体的な物語を挟むこと』
が足りないことです

よくよく思い出せば、作成中のレクチャーを人に見せたときによく指摘されたことでした


この「大局的な構図」+「象徴的な物語」の組みあわせも忘れないようにしたいです
聞いている人にとっては聞きやすいバランスを提供できそうです



初期研修中によく相談してもらっていた友人だったので、
いろいろ気兼ねなく話せて楽しくも学びに満ちたひと時でした

ピアメンターというべきかもしれません


2月はトピックについてSEAをして、3月は2009年度の教育目標を立てようということになりました
久々のコラボでしたが楽しい二時間でした

2009年1月14日水曜日

どちらがよいか、でなく何が大切か

人生の選択の話です



毎朝選択していることがあります
「車で行くか、地下鉄で行くか」

車なら時間がかからないし、地下鉄なら渋滞なく時間が確実に読めます

その日の積雪、路面状況、出勤時間、除雪の作業時間など、
一瞬考えて決めて「いってきます」を言います

一瞬の迷いは生まれますが、
時刻と天気で自ずと答えが見つかります

どちらかがストンと落ちてきます



30年弱を振り返っても、人生は選択と決断の連続・・・

☆中3 塾で目標にしていた京都の私立高校でなく、滋賀の公立高校にしたとき
○高3 長年の夢だった教育学部を前期後期で受験、医学部を推薦受験にしたとき
△医学部6年生 憧れの本州の病院でなく、北海道の病院にしたとき

迷いはしたけど、
☆「地元の友人・人間関係が大切」「勉強一色でなく部活などにも励みたい」
○「教師か医師か決められない、運を天に任せよう」「合格した方が使命だ」
△「HCFMで医師としての大切な態度や姿勢を身につけたい」「北海道の先輩達から学び、仲間達と仕事をしたい」

と、それぞれ大切なものが見えて
(高校のときは本当にどちらでも同じキャリアアンカーであるということが見えて運を天に任せて)
答えがストンと出ました



そして、再び選択の時期が訪れています

ついこの間まで、
二者択一だったのに、さらに偶然にも選択肢が増えました
それぞれに思い入れもあり、どう考えても同等の価値を見出してしまいます

「計画された偶然性」と認識し、偶然を優先するなら決まり!

ですが、
そう飛び乗るよりも、時間が許されている範囲で悩みたいと思います


きっとどれになっても良いのでしょうが、
その前に、今気づいていない大切なものを見つけたいです
新しい価値観や目標があってこその選択だと思っています


う~ん…そうではなくて結局は覚悟なのか、環境なのか・・・


この迷いは、迷いのままで抱えることで大切な時間をすごせそうです

決断することも重要ですが、決断への過程でのコミットメントやモチベーションを構築することが、
その決断を肯定的に支持する自分になるための大切な作業のように思うのです


どちらにせよ、
「挑戦できる舞台で、学び続け、専門性を深めながら、組織と現場に貢献する!!」
一生やり続けたいことですね・・・

2009年1月12日月曜日

一瞬も 一生も そして時に一生を感じる一瞬を

年始の企業広告で忘れられないものがあります


一瞬も 一生も 美しく


企業広告の中で、資生堂のコーポレートメッセージの一面広告です
http://www.shiseido.co.jp/corporate-ad/090101ad.htm


素敵な言葉で、
コピーという言葉がもったいないくらい、
大切なメッセージを感じます


「美しい」という形容詞ではなく、
「美しく」という副詞(正確には形容詞の連用形!?)にしたことで、

「美しい-美しくない」という世界から
「少し美しく-より美しく-もっと美しく-さらに美しく」というベクトルの世界になっていることが印象的でした


形容詞で断定するのではなく、副詞で可能性を開く
見る人にとって普遍的可変的なメッセージになっている気がしました



このメッセージをみてスグにおもったことが、


一瞬も 一生も 勉強


瞬間、瞬間の出来事の振り返り
今日までの人生の積み重ね
家庭医としての学びに満ちているということを感じます


そして、ある判断、ある外来の一瞬にこそ、今日までの人生が詰まるときがあるとも感じており、
今の年齢での人生を感じる一瞬を味わいたいと思います


今年もそんな日記を続けたいと思います