2008年11月29日土曜日

ストレッチする経験と時間をおいた再会

来る12月6日、7日に京都大学で家庭医療の勉強会に参加します

学生さんが主体で開催してくれている勉強会で、今年で五回目になります

一回目は学生として主催者
二回目は初期研修医としてWSの演者
三回目は後輩達のWSの統括、仲間とのOBセッションの開催
四回目は後輩のOBセッションのコーディネート
と歴史を振り返っても思い出多い勉強会です


そして、今年こそは欠席かと思っていましたが、
性懲りも無く参加することになりました(実は参加したかったのですが・・・)


今回は、90分の枠を目いっぱい使って物語を語ろうと思っています


先日の夏の総合診療セミナーで初期研修医のS先生が、
物語風にWSをやったのが魅力的だったので、一度やってみたいと思っていました


物語の主人公は、医師人生の4年間の中で忘れられないNさんと、その家族との4ヶ月です


ただ淡々と日記を読むように、物語を編むように、エッセイを綴る様に話す

チャレンジングなWSですが、Nさんとその家族との4ヶ月はその価値が十分に詰まっていて自信を持って臨めそうです



準備をしながら、
何度も何度もあのときのNさん、家族の皆さんと再会したような気分になりました

そして、そのときの自分とも再会したような感覚になりました


指導医から「家庭医としての宝物として経験」と表現されたのも納得です


今振り返っても、多くの意味や学びに満ちた経験だったと改めて思います





時間がたっているからこそ、再会は意味を深めるような気がしました




実は、先日14年ぶりに大切な人との再会があり、
その年歳月が経っているからこその、再会の味わい深さを覚えました


ただ懐かしいというよりも、喜びと切なさを混ぜたよう“懐かしい”という感覚でした



今、Nさんとその家族の物語をたどっていた中でも、
複雑で葛藤もあり苦い部分もありつつ、
その苦さのなかの豊かな香りや味わいのコクが、
熟成されたテイストになっているイメージを覚えました




一つの感情では記憶できていないと言うことが、大切な出来事の証拠なのかもしれません

と気づいた夜でした

2008年11月28日金曜日

回復と再構成 ゼロの意味とゼロの設定とは?

印象的な一週間でした

しばらく声が出なかった人の“声”を聴いた瞬間
帰れないかもと思っていた方の帰宅の方針が固まった会議


話すことも、家に住むことも
多くの人にとっては「当たり前」のことなんですが、

この仕事をしていると、「当たり前」や「普通」に霧がかかり、
切り離された方々との出会いが多くあります


その中で、多くはそのままですが、
今週のように「回復」する過程を経験して、この上ない喜びを感じました


多くはそのままですが、と書きましたが、
時間が経つと「回復」ではなく「再構成」を経験することは片手くらいありました・・・
「再構成」は喜びというよりも感銘を受けます


医師になろうと思ったとき、
当初は「その人の人生の軌道が、病でズレたときにもとに戻す仕事」と考えていましたが、
家庭医を目指すようになって、「病でズレたときにその新しい軌道を支える仕事」と思うようになっていました

その中でも、やはり「回復」や「もとに戻りつつある過程」を経験することはは嬉しいことでした

マイナスをゼロに、ゼロをプラスに、
回復の過程も、再構成の過程も、サポートできる存在でありたいと思った一週間でした



昔父親に、「今が幸せなんやで。明日虫歯で痛くなったら、つらいけどその後今日みたいに痛くなかったら、『なんていい日なんや』って思うやろ?」って言われたことを思い出しました。


幸せはいつも相対的で、ゼロの設定がどこにあるかが大切だと改めて思いました