メルマガで読んでいる『安岡正篤 一日一言』
難解な日もありますが、ヒットすることもしばしば
茶道の御軸拝見から読み始めた禅語や、
最近読み始めた論語が染みるときもあり、
仏教や四書五経って大切な教養なのかも・・と思っています
まだ心の敷居は高い状態なのですが・・
さて、今日の言葉は、
『反省は統一に復(かえ)ろうとする作用である。
哲人程内省的であり、統一に復る程幽玄(ゆうげん)である。』
とありました。
ほほう。
分割して発展した各科専門医学の反省・反動から、統一に復ろうとして興った家庭医療
ということは家庭医療は幽玄なのでしょうか?
幽玄といえば和歌や能を形容する表現というイメージだったので、
早速「幽玄」を調べてみました
*言の葉庵というHPの“【日本文化のキーワード】第三回 幽玄”より
『どの芸術にもその神秘さ、精神的リズム、日本人のいわゆる〔妙〕が存する。
(中略)妙はときとして日本文学において〔幽玄〕と呼ばれる。』
確かに医学でも〔妙〕なるものを感じます。
言葉にはならないけれども、患者さんとえもいわれぬ時間が流れたり、
混乱した現場が徐々に整理されていく力が動いたり・・・
『「幽玄」とは「具体的感情の混沌を律動的芸術形式」へと統一する
「情趣創造的形成の原理としての意義」をもつものと説きます。
まとまらない感情の動きを、リズムをもつ形式に統一して示す、
芸術創造の原理になっている。』
これはPCCMの成り立ちに合致します
医師という人間と患者という人間が出会い混沌とし、まとまらない動きの観察や研究から、
PCCMという律動的形式に統一されてきた・・・
そしてそれは新たなモデルとしても変化し続けている・・・
芸術だけではなく、『学問創造の原理』としても読み取れました
一番すっきりしたのは、
『「幽玄」の七つの定義。
(一)何らかの形で隠され、蔽われていること
(二)仄暗く、朦朧で、薄明であること
(三)静寂であること
(四)深遠であること
(五)充実していること
(六)神秘性、または超自然的であること
(七)非合理的、不可説的、微妙であること』
人間の臓器や細胞ではなく、人間そのものや、関係を主に対象とするからこそ、
(一)~(七)という特徴があるのかもしれません。
とはいえ人間を分割し続けても失われる特徴でもないので、
(一)~(七)の特徴はどこ分野にも当てはまるのかもしれません。
ただ家庭医としての専門性が深まった!!という感覚がもてないでいるのは、
『幽玄』な世界だからこそなのかもしれませんし、
家庭医の大先輩達に圧倒されるのも、
『幽玄』な姿だからこそなのかもしれません
最近始まったの臨床研究フェローシップで、
日本らしい家庭医療ってなんだろう??と考える機会が多かったので、
小難しく考えてみましたが、上手く言い表すことができませんでした
『幽玄』だからなのかもしれません
いや、未熟者だからでしょう…
修行は続きます