2008年3月18日火曜日

家庭医療とは?日本でも根付く感覚で・・

家庭医療の幸せは、
その言葉の曖昧な感じが故に、
「家庭医療とは・・・」を真剣に考える作業が必要なこと

子供を診るから小児科、お腹を切るから消化器外科医、
他の専門医の名前には曖昧さが無い・・・

家庭を診るから・・・ってだけでもない・・・し・・・
うーん、何だ?家庭医療?と、
学生時代からずっと名前の持つ曖昧さに悩んでいました・・・

人に聞かれても「地域医療の専門」とか「昔の町医者の学問」とかそれらしいけど、
なんかイマイチな感じでした

最近は名前でなく、
機能から定義や説明ができるようになり、
ちょっと自分なりにも納得できるようになりました


先日の日記には外国の教科書での勉強会について書きましたが、
考えてみると、でも実は、日本にもぴったりの医療のように感じます

(家庭医と名前が付いてないだけで、 
 同じ機能・似たような働きをもつ先生や診療所がいっぱいですしね)

それは「小さいけれどマルチファンクション」なものが日本人好みだということという感覚
iPodのように・・・十徳ナイフのように・・・

日本家屋のお茶の間のように・・・
日本人って小さくても機能がいっぱいなのものが好きなのでは?

診療所という「狭い空間」でありながらも、
様々な医療を提供することが可能で、
工夫があふれている多機能な空間になっているということ

愚痴を言ったり、
社交場になったり、
診療所のスタッフに会うのを楽しみにしたり・・・

時間の流れと共に、
その人なりの機能や意味を持つ場に診療所が変化していることもあります

僕自身も、
家庭医として小規模だけどマルチファンクションに生きがいややりがいを持って、
精進しているように思いました


多機能でありながら質が高いなんてかっこいいなと思っています
あいまいさも受け入れながらなんですが・・・

2008年3月17日月曜日

言葉の位置エネルギーを深め、高めるReflection

土曜日に指導医と会話し
こっそり課題をもらいました

日曜日に後輩のブログを読み、
それをなんとなく表現できるようになりました


上手く言えたかわかりませんが書きます


もらった課題は、
「自分の中に在るものを、外に動くものにする・・・」
「自分の中に在るものを、動きのあるものとして表現する・・・」
ということです

つまり、 自分の内部に在る知識や信念を、
外への発言や姿勢として変換するとき、
そのエネルギーをより大きくする大切さ -に気づきました

指導医との会話は雑談のようなテーマでしたが、
雑談に流れる深い議論に、 これはNHKよりも、大学教授よりも、的を得ている!!
という確信がありました

フル時間通じて指導医の言葉や姿勢から、
深みと高みからのエネルギーを感じました

これらの雑談のテーマは自分なりにも考えていて意見もあったけど、
その在るものの位置が浅かった+低かったな・・・と感じました


背景を深く読み、分析を高みから進めて、
振り返りをすると、 もっと深く、もっと高いところに在ってもいいはず!!

自分の中に在るものを 深く下げ、高く上げる
そうすると言葉にした瞬間、 相手の中で運動をはじめ・・・ 熱を持ち・・・ 光を放つ・・・
その位置エネルギーを内的に貯める作業は、
おそらくKolbの学習サイクルでの 「観察と振り返り⇒概念化と一般化」 の矢印なんでしょうね
もう一段階深める思考 もう一歩高みへの思索

足りない所への課題・・・ですね

~~~~~~~~~~~~~~~~
自分の中のイメージとしてはコップの水
・水をためる=input
・あふれてこぼれる=output
・底に穴を開ける=もうひとつのoutput
この時に、 幅広のコップの淵からこぼれたり、
とても縦長のコップの底から流れたり、
すると勢いがいいな~というイメージでした