2008年3月13日木曜日

育ちの場からの巣立ち、出会いの偶然が別れの必然に変わる時

昨夜はクリニックの送別会

この3年間
家庭医をめざして、 家庭医として、
修行し、学んだクリニックでの最後の会でした

メンバーは初期研修医や現スタッフ、旧スタッフでおよそ30人くらい・・・

昨日は退職や転勤するスタッフの送別だけでなく、
そして今までのクリニックとの別れの会でもありました・・・

今勤務している診療所はこの3月で廃院、 そして4月から新たな診療所となって生まれ変わります
最近その終了と開始の準備が忙しいのです・・・
が、 昨夜の懇親会は、そんな慌しい3月に丁寧に流れる時間でした

皆の挨拶にジーンとして、 それぞれがこのクリニックで大切に時間をすごしていたと教えられました


最近患者さんたちから
「来るとホッとするんだよね」
「皆さんの雰囲気が好きです」
「ほんとに安心する空間ですよ」 と、
言葉をもらっていて思ったことがあります   


・・・これは、このクリニックの持つ『場』の力だ!・・・と   


多賀大社でピンと神聖な気持ちになったり、
琵琶湖岸でスーッと心癒されたり、
おみこしを担いでは通ってはいけない道があったり、
故郷での18年間で、『その場』の力があると思っていました


患者さんの言葉と懇親会の時間でクリニックの『場』の力・・・を再確認・・・

この『場』を作ってきた今までの歴史に敬意を表し、
この『場』で学べたことに感謝を覚えました


いつも出会いは偶然なのに、
その別れは必然という真実を再確認しながら、
育った場所を巣立つ淋しさと、
でも温かい思いが混ざった心持ちで、
二次会は酔ってました


そして何より・・・ 指導医の言葉無き涙と、
思いが込められた言葉 が、
酔いと覚醒を同時に加速させた夜でした
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2008年3月10日月曜日

深く「浅井」を感じ、無意識をまとった意識を感じる・・・

「浅井」という名前が僕の故郷の名前でした
戦国武将の浅井長政が名前の由来です
歴史は繰り返し、今は「長浜」という地名に変わりました

今年になって故郷の同級生達と会う機会が多く、
その中で自分の原型を再確認する感覚を数多くしました

そして、それを加速させた今夜の親との電話・・・
湖北弁丸出しの会話の中でふと祖母の言葉を聞きました



「なったことをよしとさんせ」
(訳:起こってしまったことを、良かったとしましょう)



と、祖母は父によく語っていたみたいです

祖母は僕が小学一年生の時に亡くなったのですが、
この言葉が自分の中に、言葉以外で息づいていたことを感じました

北海道家庭医療学センターの後輩の日記にも書いたように、
「自分についての知識がいろんな分野の知識の中で、最も知ることが困難である」と思っています

その中で、自分の周囲の人から自分を知る機会をもらっているように感じました・・・
感謝です


そういえば、日本の昔話では、 「お父さんとお母さん」の登場はなく、
「おじいさんとおばあさん」が良く登場しますよね

それって、昔話に込められた精神性や感性に通じ影響する存在なのからなんでしょうね・・・
きっと・・・

初めて言います 「おばあちゃんありがとう」

健康にも原因があるという それを家庭医としてどう生かす?

高校時代の友人と札幌で初めての再会
故郷が同じ人とまさか札幌で・・・とは・・・
気づきと学びに満ちた数時間でした


そして、 「健康の謎を解く」という名著を、札幌往復で読破!!
スーパー北斗は乗り心地がいいね!
気持ちよく読書が出来ました!




ジェットコースターに久しく乗っていないのですが、
友人と会って、この本を読んで、
ジェットコースターについて考えました


ガンガンと徐々に高度を上げ、
フッと一瞬の空白、
直後の急降下
その後はグングン上下左右に体を振られ、
グルグルめまぐるしく変化する視界


小学生の時に、「楽しい!!」と言って、
同じコースターに乗り続ける友達がいました



「なんで楽しいのか?」 ちょっと想像してみました

これが、道を歩いている途中に突然体が浮いて、
ジェットコースターと同じ動きが空中で起こったら、
楽しいどころか、かなりの恐怖体験・・・になるな~と


と、考えると、 ジェットコースターが楽しいのは、
認識可能なレールの上を走り、
数分間で終了するという信頼感のおかげ?


信頼感とは、 「どうなるのか」という予測と「なんでなのか」説明がつくこと
つまり、 「何が起こっているのかわかる」という現実把握感があること、
が大切になります


人生も「何が起こっているのかわかる」=予測と説明がつく感覚が、
より健康と感じるための要素になる と、この本にありました


わかること=認識可能→対処可能となります
認識+対処→有意義、有意味と感じます


軽症でも病気になると、 ストレスを感じ、不安や、混乱に陥ります
その中で「何が起こっているのかわかる」ように家庭医としてサポート出来ると、
その人なりの対処が可能となって、
健康の支えになれるのでは…と思いました


う~ん どんなサポートできるのかな・・・
・不明なこと不安なことを話しやすい雰囲気作り
・丁寧でわかりやすい説明
・病態生理を噛み砕いて話す力
・医学の不確実性を共有して共に耐える作業
・その基盤となる医師患者関係
など・・・
かな・・・


もともとその人の中にあるものなので、直接変化を起こせるわけではないと思いますが、
家庭医として長期的なかかわりができるようになれば、
何か変化につながることがあるかもしれないと思いました