2012年10月11日木曜日

滋賀医大の講義の反復の中で感じたこと。


今日は久々の滋賀医大の講義でした。

いつものように家庭医とは、家庭医療とはは一切語らず、事例を選んでもらって2Caseのプレゼン×ディスカッションをしました。

以下学生さんが講義で感じた「家庭医に必要な能力とその理由」です。
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・今までは家庭医は訪問して、いつもの処方してということの繰り返しで、家庭医に行く分患者さんに密着しているとは思っていましたが、ここまで考えて仕事をしているとは思いませんでした。患者さんそれぞれにストーリーがあって、疾患だけを見るのではなく、背景も見る、むしろ背景のほうが重要視されているんではないかと思いました。家庭医に必要なのは医師でありながらも、その人に隠された背景を読みとったり、入り込めるような人として才能も大切なのかなと思いました。なぜなら家庭医は患者さんや家族に信頼されることが第一歩だと感じたからです。そのためには患者さんのことを知らなければいけないし、そういった人柄であることが一番大切だと思いました。

・単に臨床能力だけではなく、患者さんや家族と良好な関係を維持するコミュニケーション能力(関係を作ったり、保ったり、医師患者関係を崩さない)が家庭医には必要だと思います。プロとして良好な関係を保つというのは、患者を治療するうえで必要なことですし、また一線を引いて自分を守る上でも大切だと思います。

・家庭医は病院にいる医師よりもさらに「患者に寄り添う」「患者の人生に関わる」要素が多くなる医師だと感じました。もちろんどこにいても大切なことですが、家庭医は具体的に実際にその患者さんの人となりを知って生活を知って、また家族をとりまく環境も知ることで、その患者さんにあったゴールを考えることができる、考えてしまわざるを得ない状況にいることができるんだと思いました。だからこそ、患者さん一人ひとりにあった方法を考えるために医学的知識を十分持っている必要があるし、またそういった患者さんの人生に関わるといった覚悟も必要だと感じました。また患者さんだけでなく、家族のケアというのも家庭医のすることなのかなと感じました。またこれだけ関わってくると、自分の精神面にも負担が来ることも多いと思うので、どこかで線引きをすることも大事だし、息抜きも大切だと思いました。家庭医になるには、人間的にも成長するのが大事だなと思いました。

・幅広い医学的知識を持つことが前提としてまずあると思う。それがないと今日行ったようなディスカッションは行えないと思った。その上で単に疾患を治療するということだけでなく、患者さんの生活背景やキャラクター、家族などの周囲の取り巻く環境を加味して、最善を判断する能力が必要だと感じた。なぜなら基礎なる知識がないと何もできないし、患者さんの生活に触れて考えることが多いと感じたから。

・老若男女問わず、幅広い疾患に対応できる臨床能力(とそれを得ようと日々努力する)・姿勢が最低限必要。そのうえで患者さんの考え方や生活背景などもふくめて、バランスのよい視点を持って診療に当たらなければならないと感じた。現状では専門医志向が強く、家庭医を最初から志すにはスタンダードとは言い難いので、その分野で一人前になるには、他人とは異なる道を歩むバイタリティや向上心、意思の強さも重要かもしれない。
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講義も3回目で、過去2階よりも場に没頭と俯瞰のバランスを持ちながら、柔軟に展開できるようになってきた感覚があります。

また、今日はより一層ローテ済の科や前日等の直近の臨床実習の影響があることも把握できたので、それらを確認したり、まだ研修してない科の内容でイメージしにくい事例であればもう少し写真や解説で前提の共有をもう少し手厚くしたいという課題も発見できました。

あと難しかったのは、「家庭医=性格や才能」扱いかな。
「外科=器用」ではなく、トレーニングで誰もがなれるし、確かに向き不向きはあっても、性格や才能ではないという話を図書館から書籍や文献を集めて最後にお話したのですが、いくつかの要素が重なって、やや力不足でした。

難しい医師患者関係、今の日本では一般的にスタンダードでないキャリアを選ぶという困難、地域での住民や行政との対立で医師が去ることになったニュースについての質問などがあり、家庭医の良いところだけでなく、大変なところ、深い部分、プロとしての厳しさにも関心が集まってよかったです。

学生の皆さん、Deepな事例と議論を3時間お疲れ様でした。