2008年2月29日金曜日

家庭医療とスターバックス

三条大橋西のスタバに好んで通っていた
鴨川と東山とちょっと異国情緒

スタバの居心地は、
家庭医療の提供しようとするものに ほんのり似ていると
以前から思っていた

Penという雑誌のスタバの紹介の文章を下記のようにいじってみた

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家庭医療
家庭医がつくる、新しい医療文化

北海道の工業都市、室蘭に、 家庭医療の教育施設が生まれて11年になる。
診療所で働く若手の家庭医は、 適切な医療を実践するだけでなく、
通って来る患者さんとの自然な会話を通して、 よりよいマネージメントを提供する。

家庭医を頼ってさまざまな訴えたや相談が持ちかけられ、
誰もが健康に、幸せな人生を過ごし、 やがて地域のコミュニティが形成される。

どんな健康相談にも笑顔で応じて、 独自の方法で問題解決を可能にする家庭医。
そんな家庭医たちがつくる、新しい医療文化とはどのようなものか、
本場室蘭からレポートしよう。
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なんてね。かっこよすぎやね。
理想を書くならこうで、こうを目指しているのは事実かな。
現実はもっと悩んだり、困ったりなんだけどね・・・。

現在スタバの「グリーンエプロンブック」なるもの読書中。
ますます家庭医療との共通点を発見している…。

医療なので、こんなに徹底した顧客志向な訳ではないけれども、
サービスのパラダイムシフトを起こしたスタバは、
医療のパラダイムシフトを起こそうとしている家庭医療にやっぱり似ている。

「関係性からの人間性の回復」という点で。

2008年2月26日火曜日

先が見えないときは、先を見るといい

NHK:Professional/file020 encore;「直感は経験で磨く」 棋士 羽生善治 メモ

・散歩する時間を大切にする
・将棋の勝負の前に必ず思い出す言葉『玲瓏』=雑念にとらわれず澄み切った心境

・当初は「一手前に千手読む」と言われたが、今は敢えて「手を読まない」
・今は勝負の流れを読むことを大切にしている…
・数十年の戦いの中の勝負所を読んでいる姿勢「ホームランを打たれても、直球で行く」感覚 
・拠り所にする流儀は「直感を信じる」
-まさに熟達化を述べている

10代と30代との内なる変化…
『年数を重ねると、いろいろ積み重なって葛藤がでてきた』
『選択肢が増えたが、迷いや恐れがでてきた…確信がもてない中でも決断しないといけない』
『だから、年をとるとぶれない心が大切になる』
-成人のライフサイクルで過渡期の言葉なんだろうな・・・

棋士になって10年目に7冠制覇
その後に「この先、どうなるのか…」という不安が出てきた
その不安の中、先輩棋士の姿に見つけた生きる道…『才能とは努力を継続する力』
「情熱を持って続けることは当たり前だが、それは難しいこと」
-家庭医として生きることは今は当たり前と思っているが、きっと困難にあたるんだろうな
 それを、乗り越えるのは臨床の質、教育、研究と述べた浮間の先生の言葉を思い出した
 ロールモデルを持ち続けることを大切にしないとね

2008年2月24日日曜日

流れる言(こと)からすくうのもの(者)・・・

同期が選択研修で行っためぐみ在宅クリニックがNHKに出ると紹介されて
NHKスペシャル「最期の願いをかなえたい~在宅でがんを看(み)取る~」をみた。


訪問時、小澤医師は少なくとも30分は患者・家族と会話する姿勢に驚いた
そのときの詳細な会話が記録されていてまた驚いた

後に、看護師が傍らで記録しているシーンがあり納得

記録の中に刻まれた不安…苦しみ…
その会話分析をする姿勢は緩和ケア医として霊的な痛みを取り除くための読影に見えた


○夫を気遣う癌の末期の女性の“痛み”
「夫が楽をしていない。ずっと働き通し…」との言葉

『家族に迷惑をかけたくないという苦しみは大きい。苦しみの中でも大きな苦しみのひとつ…』と小澤先生は述べていた
苦しみを口にされたとき、それに真摯に向き合うことが家庭医に求められていると実感

その後の訪問で、彼女は訥々と語りだした
「…昨日はね、私、夜はほとんど一生懸命自殺の仕方考えてたの」
「こういう風にすれば完全に死ねるな…って」
「もうそろそろしなきゃいけないなって思うの。違う?違う?」
「人の面倒は見ても、人に面倒見られるのはイヤ」
霊的な痛みのこもった言葉

訪問入浴をきっかけに徐々に生きる力を取り戻す様が映されていた
残された希望を大切にかなえることが、痛みを和らげた様だった


○30代の胃癌末期の患者
毎回お洒落をする彼に、孤独の苦しみを感じた小澤先生

実は両親もどう接して良いのかわからないで悩んでいた
当初、在宅緩和を選択した彼にたいして、両親は積極的治療を希望していた

治療方針で食い違った経緯
近づこうとするほど遠い関係になっていた

『患者と患者を看る家族が気持ちが通じ合っているわけではない…』と小澤先生
『気遣いや遠慮が関係を難しくしている…』と

もちろん親としても子を失う苦しみを抱えていた…からこその積極的治療
当初は死の宣告を甘んじて受けた…と憤りを感じていた両親が、
彼の死後、「誇りを持って生きた」と語っていたのが印象的だった

痛みや苦しみに真摯に向き合う医師
その関係性から生み出される時間と、その先の癒しを垣間見た