HCFMの先輩が以前TFCで「なぜ家庭医療は『家庭』医療と命名されたのか?」という疑問を投げかけておられました。
それは面白い!と思い調べましたが、今一つゴールが見えませんでした。
ただ、自分なりに集めてきた史料・情報でひとまず整理してみました。
その後、FacebookやTwitterで頂いた情報、更なる情報収集で更新されています。
現在の史料では昭和34年(1959年)が最古の【家庭医】の登場です。
そして米国でも同じく1959年に【Family Physician】と【Family Practice】が正式に誕生しています。
その用語は1958年に使用され始めたようです。
ドキドキですが、歴史の共時性なのでしょうか?
関連する年表と【】で当時の使用名詞の整理から。
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(1947年 AAGP:American Association of General Practice設立)
(1948年 NHS: National Health Service開始)
(1957年 AAGPにMUSE委員会:Minimum Uniform Standards of Education for General Practiceが設立)
(1958年 MUSE委員会がAAGP学会に“専門医の保証がないことが、養成プログラムの発展を阻害し、医学部卒の若い医師が現状のGPのプログラムに入る気を無くさせている”と主張。)
*この主張で【family physician】【family practice】【family practice programs】の用語が使用。
1959(昭和34)年 医療保障委員が医療制度の改革についての最終報告を答申(3月)
*答申書に【家庭医制度】が登場。「・・・②診療所の医療費は,家庭医制度の助長を図るよう決められるべきで,医療費の一括払いも考えられる。・・・」昭和36年4月からの国民皆保険実施を前にして,医療の社会化の必要性を指摘して医療制度の改革と整備が提言。
(1959年6月 AMA:Americal Medical AssociationのGP準備委員会がMUSE委員会の報告書を承認)
*“The committee then designated such a physician "Family physician," and the field as "family practice".”とあり…“The committee recommended development of a new graduate educational program for family practice,・・・”と続く。史料によると、同年にインディアナ大学、アーカンソー大学、ミシガン大学、ノースカロライナのBowman Gray医学校にパイロットとしての家庭医療プログラムが誕生している。
*米国ではGPの卒後教育に関するGP学会と医師会の委員会から正式にFamily Practiceが誕生した。
1960(昭和35)年 史料最古の【家庭医】の登場(現在資料収集中…どういった経緯で使用されたのか?インタビューしたいです…)
*永井友二郎.疾病初期の医学を育てよう,日本医師会雑誌(44)7.1960
(以下、この投稿について~「人間の医学」への道より~抜粋)
…私は開業後、まず「風邪」をはじめとする、ごくありふれた「日常病」の診療をどうするのがよいか、知りたいと思った。また、まだ症状が軽微でふぞろいの「疾病初期」の診療をどうしたらよいか、教えてもらいたいと思った。さらに、患者さんが持ち込んでくるいろいろな相談ごとにどう答え、どう説明したらいいのか、よくわからなかった。そして開業した私は孤独で、相談相手がなく、開業医の学会も研究会もなかった。
私は仕方なく、自分自身で診療上の問題点を少しずつメモし、また参考となる文献の抜き書きを書きためていくことにした。そして一方で、「実地臨床医のために医学雑誌の誌面を提供してほしい」(『医学のあゆみ』第33巻第6号)、あるいは「疾病初期の医学を育てよう」(『日本医師会雑誌』第44巻第7号、昭和35年)などと訴えてもみた。しかし、ことは進展しなかった…
1963(昭和38)年 実地医家のための会設立(永井,原,浦田,村松、2月)
実地医家のための会 第3回会合にて「家庭医でないとできないこと、人間関係に基づいた仕事、長期にフォローアップする仕事、『総合』が一つの大きな柱であること、数多い研究発表の中から実地臨床に結びつく珠玉を選びたすこと、情報の取り入れ方や統計学的考え方などが重要である」など、会の方向性について討論。
*ここでも【家庭医】が登場している。
(1966年 Millis報告(The Graduate Education of Physicians)
Willard報告(Meeting the Challenge of Family Practice)
【この報告がFamily Practiceの誕生??~】
Calgary大学・McMaster大学・Western Ontario大学にて家庭医療のレジデンシーが創設)
(1967年 STFM:Society of Teachers of Family Medicine設立、CFPC:College of Family Physicians of Canada設立)
1968(昭和43)年 インターン制度廃止
(1969年 American Board of Fmamily Medicine発足:米国20番目の専門医制度)
(1972年 WONCA:World Organization of Family Doctors設立)
1973(昭和48)年 医師研修審議会が厚生省へPrimary Careを重視した臨床研修についての建議書提出
*この建議書では【Primary Care】
1974(昭和49)年 実地医家のための会 第74回例会「家庭医からみた離乳」(9月)
*例会で【家庭医】の名前が登場する
日本医事法学会発足(12月)
1975(昭和50)年 建議書に則り、医師研修審議会が「卒後臨床研修の目的と内容について」意見書提出(日野原)
*この意見書では【プライマリーケアー】【個人や患者の継続的な主治医】
1976(昭和51)年 天理よろず相談所病院に総合外来と総合診療方式によるレジデント制度開始
1978(昭和53)年 日本プライマリ・ケア学会設立(6月、実地医家のための会創立15周年)
医師研修審議会が「プライマリ・ケアーを修得させるための方策」意見書提出(日野原)
佐賀医科大学に総合診療部設立 *国立大学病院に初めて総合診療部が設置
(アルマ・アタ宣言、9月)
日本医師会の武見会長、アメリカでのプライマリ・ケア研修を提唱,厚生省起案
1979(昭和54)年 厚生省アメリカでのプライマリ・ケア研修国費を予算化
1980(昭和55)年 厚生省「臨床研修指導医海外派遣制度」開始(福井,木戸,伴,福原ら10数名)を派遣
1981(昭和56)年 自治医科大学地域医療学講座開設、川崎医科大学総合診療部設立
1984(昭和59)年 厚生省が家庭医制度創設のための調査・検討費を予算計上(8月)
季刊雑誌「家庭医」創刊(7月)
第1回家庭医学セミナー(11月、自治医科大学地域医療情報研修センター)
*総合司会 前沢政次氏
家庭医学の概念・卒前教育(津田司)、家庭医学の基本概念とその発展(木村隆徳)
家庭医学の卒後教育(石川雄一)、家庭医の認定制度をめぐって(中木高夫)
をテーマに二日間開催。80名参加。
1985(昭和60)年 医療関係者審議会臨床研修部会で「総合診療方式による研修目標」が設定(3月)
「わが国における家庭医の定義と目標」ワークショップ開催(前沢,楢戸,津田,福井、3月、医学教育出版社会議室)
*このWSにて【家庭医療】【家庭医療学】が登場。
“Family Medicineは「家庭医学」と表現するよりも、「家庭医療学」の方が的確でないか”
“Family Practiceつまり「家庭医療」とは何か?それを研究していく体系づけていくのが「家庭医療学」ですね”
第2回家庭医学セミナー(4月、自治医大)
*「家庭医の必要性」「家庭医療の定義と家庭医の基本的能力」の二つをテーマに開催。
*このセミナーを受けて、名称が家庭医療学セミナーに《現在の家庭医療学夏期セミナーに至る…(は間違いでした。)》
家庭医に関する懇談会を設置(6月4日)
*この懇談会では【家庭医】と【家庭医機能を担う医師】が使用
第3回家庭医療学セミナー(7月、自治医大日光研修センター)
*このセミナーは今の家庭医療学夏期セミナーとは別物
第25回全国国保地域医療学会「家庭医制度のあり方について」自由討議
1986(昭和61)年 訳本「世界の家庭医」出版(1月)
*Family Practice-An International Perspective in Developed Countries-を当時の厚生省若手幹部が翻訳
地域医療振興協会設立(5月)
家庭医療学研究会(後に日本家庭医療学会)発足(11月)
1987(昭和62)年 「ラケル プライマリ・ケア―家庭および地域包括医療の実践」出版(2月)
*原著は「TEXTBOOK OF FAMILY PRACTICE」
家庭医に関する懇談会報告書(4月)、家庭医促進協会設立(10月)
1988(昭和63)年 懇談会報告書を受けて家庭医機能モデル事業及び家庭医機能モデル研修実施調査を実施
1989(平成01)年 季刊雑誌「家庭医」休刊(5月、津田先生の資料では2月)
第1回家庭医療学夏季セミナー(学生・研修医向け)開催(8月)
1990(平成02)年 自治医科大学地域医療学講座の初代専任教授に五十嵐正紘就任
1991(平成03)年 プライマリケアと総合診療のためのJIM(Journal of Integrated Medicine)創刊
「提言 日本に『家庭医』を」家庭医促進協会より出版
*当時、企業や市民を巻き込んだ動き?
1992(平成04)年 家庭医療学研究会機関紙「家庭医療」創刊 第1巻1号が発行(9月)
1993(平成05)年 総合診療研究会(後に日本総合診療学会)発足
外来小児科研究会(後に日本外来小児科学会)発足(9月)
1994(平成06)年 プライマリ・ケア学会認定制度開始
プライマリ・ケアをテーマにした出版社、プリメド社創立(12月)
1995(平成07)年 奈義ファミリークリニック開設
1996(平成08)年 北海道家庭医療学センター設立(4月)
1997(平成09)年 北海道家庭医療学センターにて家庭医療学専門医コース開始(5月)
1998(平成10)年 TFC_MLがスタート
揖斐郡北西部地域医療センター山びこの郷開設
名古屋大学付属総合診療科に伴信太郎教授着任(10月)
1999(平成11)年 札幌医科大学地域医療総合医学講座開設、山本和利教授着任(2月)
2000(平成12)年 PCFM(プライマリケア・家庭医療の見学実習・研修を受け入れる診療所医師の)ネットワーク設立(内山,武田,安田,白浜、8月)
亀田メディカルセンターにて後期専門研修プログラムが開始
2001(平成13)年 プリメド社より「家庭医プライマリ・ケア医入門」「21世紀プライマリ・ケア序説」が出版
プライマリ・ケア学会専門医制度開始
北部東京家庭医療学センター設立 家庭医療の教育・研究開始
2002(平成14)年 「家庭医療-家庭医を目指す人・家庭医と働く人のために-」出版(葛西、7月)
家庭医療学研究会の将来を語る 徹底討論(8月)
亀田メディカルセンターの後期専門研修プログラムディレクターに岡田唯男着任(9月)
家庭医療研究会から日本家庭医療学会に(11月)
2003(平成15)年 実地医家のための会創立40周年「日本の開業医」出版(2月)
2004(平成16)年 「プライマリ・ケア何を学ぶべきか」出版(亀谷ら、8月)
若手家庭医部会発足(秋、後2005年5月に日本家庭医療学会の下部組織として承認)
出雲家庭医療学センター設立
2005(平成17)年 本格的な指導医養成プログラムHANDS-FDF:Home/Away Nine Days-Faculty Development Fellowshipの第1回(3月、川崎)
日本生協連医療部会(現・医療福祉生協連)内に家庭医療学開発センター(Centre for Family Medicine Development: CFMD)が設置(4月)
三重大学に「家庭医療学講座」開設 *家庭医療学講座の1号?
WONCAアジア太平洋学術大会・3学会合同開催(5月、京都)
「スタンダード家庭医療マニュアル」出版(5月)
第1回家庭医療後期研修プログラム構築のためのワークショップ(10月)
2006(平成18)年 特定非営利活動法人 日本家庭医療学会 登記(2月)
福島県立医大 地域・家庭医療部開設 部長・医学部教授に葛西龍樹就任 *家庭医療学を専攻する博士課程と並行したレジデンシーの誕生
2007(平成19)年 日本家庭医療学会 後期研修プログラム認定開始
高知大学医学部に家庭医療学講座開講(7月)*家庭医療学講座の2号?
2008(平成20)年 滋賀医科大学に家庭医療学講座が新設(1月)*家庭医療学講座の3号?
医療法人北海道家庭医療学センター独立(4月)
*家庭医による家庭医療のための医療法人の誕生
2009(平成21)年 第1回日本家庭医療学会認定家庭医療専門医が誕生;14名
2010(平成22)年 JIM創刊20周年
第1回日本プライマリ・ケア連合学会の家庭医療専門医が誕生;54名
【参考資料】
日本医師会創立記念誌─ 戦後五十年のあゆみ
永井友二郎編著「日本の開業医」実地医家のための会,2003年
厚生省健康政策局総務課編集「家庭医に関する懇談会報告書」第一法規,1987年
紀伊國献三ら監訳「世界の家庭医」日本医事新報社,1986年
家庭医促進協会編「提言 日本に『家庭医』を」第一書林,1991年
前沢政次ら:わが国における家庭医の定義と目標.家庭医,1(1):45-52,1985
永井友二郎:「実地医科のための会」の歴史.家庭医,1(2):163-170,1985
水野肇:「誰も書かなかった日本医師会」草思社,2003年
徳田安春インタビュア:ジェネラリストの心得-日野原先生に聞く.日本プライマリ・ケア連合学会誌,33(2):194,2010
葛西龍樹「家庭医療」ライフメディコム,2002年
PCFMネットとは設立趣意書,http://www.shonan.ne.jp/~uchiyama/PCFM.html(2010年11月15日)
HANDS-FDF 2005年の概要,http://mywiki.jp/familydoc/HANDS-FDF+%2528Faculty+Development+Fellowship%2581j/2005%2594N%2582%25CC%258AT%2597v/(2010年11月15日)
北海道家庭医療学センターHP,http://www.hcfm.jp(2010年11月15日)
奈義ファミリークリニックHP
TFCメーリングリスト規約 http://www.interq.or.jp/cool/uro/tfc_w/me.html(2010年11月15日)
2010年11月15日月曜日
2010年9月5日日曜日
100年前の報告書が今も影響していることの学び
フレックスナー報告という名前は聞いたことがありました
明日の人間と医学の勉強会の準備で、いろいろ調べてみるとはまってしまいました。
明日は30分しか持ち時間がないので、ここに書き残したいと思います。
【フレックスナー報告とは】
1910年に出された報告書で、全米とカナダの医学校の外部評価を行い、
現在の医学教育の基盤(理系学生の入学、基礎医学と臨床医学の体系、基礎医学では実験室の導入、臨床医学では病院を教育の場に設定)を確立した報告書
当時44歳、二年間で全米・カナダの150もの医学校(300といううわさも)を訪問し、ABCの三段階で評価を行いました。報告書は360ページもの枚数で驚きました(ネットで手に入ったのも驚き・・・)
【フレックスナーとは】
調べてみると、フレックスナーは中学校(しかも自分で設立した)の先生で、当時野口英世が研究していたロックフェラー研究所のフレックスナー所長の弟さんにあたります
当時はドイツの高等教育の研究をしており、医学教育を立て直したいと思っていたアメリカ医師会の委託を受け、発足したカーネギー財団がフレックスナーに白羽の矢を立てたのでした
【当時の医学教育】
そのころの医学は、今主流の薬物治療もあれば、整体療法もあり、中には自然治癒療法もありました。
またその教育は、ジョンズホプキンスやシカゴ大学のような病院中心の教育もあれば、小さなクリニックや寺子屋みたいなところでの徒弟制の教育もあったそうです
フレックスナーは病院中心でかつ科学的な医学教育を推し進め、当時の医学校が半分になったということです
(まさに事業仕分けで、AはOK、Bは一年の猶予を与え再評価、Cはお取りつぶしだったそうです。)
【ちょっとした裏話??】
うがった見方をすれば、カーネギー財団はロックフェラーからの資金を受けており、関連するロックフェラー研究所とそこから設立された製薬業界の発展に貢献したともみることができます
ただ、フレックスナー自身は誠実にプロジェクトに取り組んでおり、医師が社会情勢によってその役割を変えることの重要性などについても報告書で言及しています
【今日に至る報告書の影響】
このフレックスナーモデルは、僕が受けた医学教育そのものです
もちろんまだ100年しか経っていないので変わらない部分もありますが、医学(そしてそれを取り巻く社会情勢)は大きな変化をしています。
逆に100年も不動のモデルとして今も医学教育に大きな影響力を維持していることにハッとさせられました。
このフレックスナーモデルでは科学者としての医師・専門医が要請され、論理的・科学的な信頼を高め・学問としての発展に貢献しました
ただ、一方で文系的な側面・アートとしての医療に関して医学教育で学ぶ機会が極めて少ないことが弊害になっています(そのあたりが不安・不満でした)
現にフレックスナーは「ケアの断片化」と「医師患者関係の劣化」を引き起こしたと後悔のコメントを残しているそうです
ただ、これだけの影響力を残している報告書ってすごいな~と純粋にフレックスナーのことを尊敬できたのが何より勉強になりました
明日の勉強会でのディスカッションが楽しみです
*間違いや勘違いがあればご指摘をお願いします。
明日の人間と医学の勉強会の準備で、いろいろ調べてみるとはまってしまいました。
明日は30分しか持ち時間がないので、ここに書き残したいと思います。
【フレックスナー報告とは】
1910年に出された報告書で、全米とカナダの医学校の外部評価を行い、
現在の医学教育の基盤(理系学生の入学、基礎医学と臨床医学の体系、基礎医学では実験室の導入、臨床医学では病院を教育の場に設定)を確立した報告書
当時44歳、二年間で全米・カナダの150もの医学校(300といううわさも)を訪問し、ABCの三段階で評価を行いました。報告書は360ページもの枚数で驚きました(ネットで手に入ったのも驚き・・・)
【フレックスナーとは】
調べてみると、フレックスナーは中学校(しかも自分で設立した)の先生で、当時野口英世が研究していたロックフェラー研究所のフレックスナー所長の弟さんにあたります
当時はドイツの高等教育の研究をしており、医学教育を立て直したいと思っていたアメリカ医師会の委託を受け、発足したカーネギー財団がフレックスナーに白羽の矢を立てたのでした
【当時の医学教育】
そのころの医学は、今主流の薬物治療もあれば、整体療法もあり、中には自然治癒療法もありました。
またその教育は、ジョンズホプキンスやシカゴ大学のような病院中心の教育もあれば、小さなクリニックや寺子屋みたいなところでの徒弟制の教育もあったそうです
フレックスナーは病院中心でかつ科学的な医学教育を推し進め、当時の医学校が半分になったということです
(まさに事業仕分けで、AはOK、Bは一年の猶予を与え再評価、Cはお取りつぶしだったそうです。)
【ちょっとした裏話??】
うがった見方をすれば、カーネギー財団はロックフェラーからの資金を受けており、関連するロックフェラー研究所とそこから設立された製薬業界の発展に貢献したともみることができます
ただ、フレックスナー自身は誠実にプロジェクトに取り組んでおり、医師が社会情勢によってその役割を変えることの重要性などについても報告書で言及しています
【今日に至る報告書の影響】
このフレックスナーモデルは、僕が受けた医学教育そのものです
もちろんまだ100年しか経っていないので変わらない部分もありますが、医学(そしてそれを取り巻く社会情勢)は大きな変化をしています。
逆に100年も不動のモデルとして今も医学教育に大きな影響力を維持していることにハッとさせられました。
このフレックスナーモデルでは科学者としての医師・専門医が要請され、論理的・科学的な信頼を高め・学問としての発展に貢献しました
ただ、一方で文系的な側面・アートとしての医療に関して医学教育で学ぶ機会が極めて少ないことが弊害になっています(そのあたりが不安・不満でした)
現にフレックスナーは「ケアの断片化」と「医師患者関係の劣化」を引き起こしたと後悔のコメントを残しているそうです
ただ、これだけの影響力を残している報告書ってすごいな~と純粋にフレックスナーのことを尊敬できたのが何より勉強になりました
明日の勉強会でのディスカッションが楽しみです
*間違いや勘違いがあればご指摘をお願いします。
2010年2月20日土曜日
生涯学習における”旅”の有用性
旅が学びのきっかけになる…
昨日HCFMのレジデント向け勉強会が開催されました。
勉強会では指導医のH先生から、生涯学習におけるCritical Self-knowledgeの大切さと、
それを引き起こす様々なものを紹介してくださいました。
その中に“旅”があることを知りました。
出典はMcWhinneyのA Textbook of Family Medicineの23章[2版p425の下あたり]です。
HCFMのレジデンシーでは各診療所ローテーションと病棟研修、選択研修という仕組みそのもののように感じました。
『そんなに遠くでなくてもよい』と本には書いてありますが、確かに北海道内といっても多種多様です。
3年間で、道内5ヶ所の診療所と2ヶ所の病院で働き、離島、農村、郊外、郊外、地方都市、大都市と様々な地域で生活しました。規模も診療所なら有床、無床、病院も大病院、中小病院と様々でした。
“旅”としては長期滞在ですが、その土地を知り、馴染む“旅”になっていたと振り返って思いました。“旅”先では、出会う人も、文化も少しずつ異なります。
漁村では狩猟民族性?農村では農耕民族性?という地域性の違いからの病気への向き合い方の違いを感じたり、紹介一つにしても判断基準が違ったり・・・
何より現場が変わることで、提供する医療の範囲、使える地域資源の種類、地域に根ざしている大きなContextが変わる経験をすることができました。
地域が変われば、家庭医療も少し変わる。
少しというのは、変わらないものもあるからです。
家庭医の基盤となる見方やアプローチのコアはどこでも同じでした。
医師患者関係の構築も、地域の背景を知り医療資源を駆使することも、差異はわずかにあれどほぼ一緒だったように思います。また、その土地の歴史や文化を学ぶことで、その土地の人とラポールが深まる経験も積むことができました。
そんな診療を繰り返すことで、土地に生き住む人たちへの敬意が沸いてきます。家庭医としての大切な姿勢が醸成されるような感覚になりました。
かつてミシガン大学のマイク先生から、家庭医にとって“pluripotency(=分化万能性)”が大切と教えてもらいましたが、まさにその“pluripotency”を学べるようなレジデンシーのような気がしました。
何が変わるもので、何が変わらないものなのか・・・。
まだまだ未熟ですが、長く働く地域と出会って根差した時、その地域に必要とされる家庭医に分化できる力をためているような気がします。
また選択研修も最高の“旅”の機会になっています。
十勝、滋賀、岐阜で10年以上同じ地域で働いている先輩医師との出会いとインタビュー、レジデンシー東京のレジデントデイでの学びの共同体の見学など、自分に無いものを、自分が必要だったけど手に入らなかったものにチラッと出会える機会になっています。
まさにCritical Self-awarenessを多く経験できる機会になっています。
極端なことをいうと、外部との対話、外部からのメッセージは全て“旅”の要素がありそうです。
家族や友人との何気ない会話、読書、映画、すべて“旅”なのかもしれません。
最近『拡張による学習』にはまっています。これも確かに“旅”ですね・・・。
これからも“旅”を大切にしながら家庭医療の学びを深めたいと思います。
昨日HCFMのレジデント向け勉強会が開催されました。
勉強会では指導医のH先生から、生涯学習におけるCritical Self-knowledgeの大切さと、
それを引き起こす様々なものを紹介してくださいました。
その中に“旅”があることを知りました。
出典はMcWhinneyのA Textbook of Family Medicineの23章[2版p425の下あたり]です。
HCFMのレジデンシーでは各診療所ローテーションと病棟研修、選択研修という仕組みそのもののように感じました。
『そんなに遠くでなくてもよい』と本には書いてありますが、確かに北海道内といっても多種多様です。
3年間で、道内5ヶ所の診療所と2ヶ所の病院で働き、離島、農村、郊外、郊外、地方都市、大都市と様々な地域で生活しました。規模も診療所なら有床、無床、病院も大病院、中小病院と様々でした。
“旅”としては長期滞在ですが、その土地を知り、馴染む“旅”になっていたと振り返って思いました。“旅”先では、出会う人も、文化も少しずつ異なります。
漁村では狩猟民族性?農村では農耕民族性?という地域性の違いからの病気への向き合い方の違いを感じたり、紹介一つにしても判断基準が違ったり・・・
何より現場が変わることで、提供する医療の範囲、使える地域資源の種類、地域に根ざしている大きなContextが変わる経験をすることができました。
地域が変われば、家庭医療も少し変わる。
少しというのは、変わらないものもあるからです。
家庭医の基盤となる見方やアプローチのコアはどこでも同じでした。
医師患者関係の構築も、地域の背景を知り医療資源を駆使することも、差異はわずかにあれどほぼ一緒だったように思います。また、その土地の歴史や文化を学ぶことで、その土地の人とラポールが深まる経験も積むことができました。
そんな診療を繰り返すことで、土地に生き住む人たちへの敬意が沸いてきます。家庭医としての大切な姿勢が醸成されるような感覚になりました。
かつてミシガン大学のマイク先生から、家庭医にとって“pluripotency(=分化万能性)”が大切と教えてもらいましたが、まさにその“pluripotency”を学べるようなレジデンシーのような気がしました。
何が変わるもので、何が変わらないものなのか・・・。
まだまだ未熟ですが、長く働く地域と出会って根差した時、その地域に必要とされる家庭医に分化できる力をためているような気がします。
また選択研修も最高の“旅”の機会になっています。
十勝、滋賀、岐阜で10年以上同じ地域で働いている先輩医師との出会いとインタビュー、レジデンシー東京のレジデントデイでの学びの共同体の見学など、自分に無いものを、自分が必要だったけど手に入らなかったものにチラッと出会える機会になっています。
まさにCritical Self-awarenessを多く経験できる機会になっています。
極端なことをいうと、外部との対話、外部からのメッセージは全て“旅”の要素がありそうです。
家族や友人との何気ない会話、読書、映画、すべて“旅”なのかもしれません。
最近『拡張による学習』にはまっています。これも確かに“旅”ですね・・・。
これからも“旅”を大切にしながら家庭医療の学びを深めたいと思います。
2010年1月21日木曜日
後期研修後のFeedbackをどうデザインするか?
最近の悩み事・・・
後期研修を終わってから、誰にFeedback貰うか?
今までは有難いことに指導医からや360°で貰っていました・・・
後期研修が終わった来年度からは??という悩み
結局答えは、自分・・・
自分で改善点に気づいて、自分で修正する学習サイクルを回せばいいと考えていました
が、それだけでいいのか?
やはり、客観的な視点は大切・・・(それを感じる後期研修でもあったし・・・)
特に怖いのが、「○○らしい」「○○の味」という、妙な納得や諦観をされてしまうこと・・・。
それが天井になって、それ以上の成長がないと・・・と考えてしまいます。
そういった意味では、HCFMのフェローシップは“フォロー”シップにもなっているので楽しみです
私淑している中原先生のブログの記事にこんなことが書いていました。
=================
専門家がフィードバックループ(自分の活動を修正するためのフィードバックを誰から得るのか)をいかにデザインするか、という話。
よい学習者とは、自分自身の活動に対する他者からのフィードバックの機会を、自らデザインし、そこで得たフィードバックを自己の活動の変化に役立てることができる人をいうのかな、と思う。
他者からフィードバックをもらう機会や関係を意図的に自分でデザインしなければ、自分の活動には、なかなか修正がかからない。
=================
『他者からのfeedbackを自らデザインする』
この一言にやられました。欲しかった言葉でした。
そう考えると、大学時代のテニス部は『他者からのfeedbackを自らデザイン』がありました。
それは試合が終わると、後輩にも「アドバイスお願いします」と試合の評価を貰いに行くというルーチン。
当時、試合にも出ていないのに、大先輩のレギュラーからこの言葉を言われて困っていたのですが、徐々にそう聞かれるから観察しよう!という状態になっていました。
後輩が先輩に、イレギュラーがレギュラーに本来は言い難いアドバイスを、貰えるデザインでした
さて、方向は見えたものの具体的にどうデザインするか?が課題ですね・・・
結局はビデオレビューが強力なツールになりそう
診療ビデオレビュー
会議ビデオレビュー
教育ビデオレビューなど・・・
生の様子を観察してもらって、気づいていない自分に気づき、
他者からのFeedbackをデザインするには最適かもしれません・・・
あとは、日々の患者さんやスタッフの反応でしょうか・・・
しっかりキャッチしたいものですね・・・
そして、責任を持って行動したことの結果そのものでしょうか・・・
後期研修を終わってから、誰にFeedback貰うか?
今までは有難いことに指導医からや360°で貰っていました・・・
後期研修が終わった来年度からは??という悩み
結局答えは、自分・・・
自分で改善点に気づいて、自分で修正する学習サイクルを回せばいいと考えていました
が、それだけでいいのか?
やはり、客観的な視点は大切・・・(それを感じる後期研修でもあったし・・・)
特に怖いのが、「○○らしい」「○○の味」という、妙な納得や諦観をされてしまうこと・・・。
それが天井になって、それ以上の成長がないと・・・と考えてしまいます。
そういった意味では、HCFMのフェローシップは“フォロー”シップにもなっているので楽しみです
私淑している中原先生のブログの記事にこんなことが書いていました。
=================
専門家がフィードバックループ(自分の活動を修正するためのフィードバックを誰から得るのか)をいかにデザインするか、という話。
よい学習者とは、自分自身の活動に対する他者からのフィードバックの機会を、自らデザインし、そこで得たフィードバックを自己の活動の変化に役立てることができる人をいうのかな、と思う。
他者からフィードバックをもらう機会や関係を意図的に自分でデザインしなければ、自分の活動には、なかなか修正がかからない。
=================
『他者からのfeedbackを自らデザインする』
この一言にやられました。欲しかった言葉でした。
そう考えると、大学時代のテニス部は『他者からのfeedbackを自らデザイン』がありました。
それは試合が終わると、後輩にも「アドバイスお願いします」と試合の評価を貰いに行くというルーチン。
当時、試合にも出ていないのに、大先輩のレギュラーからこの言葉を言われて困っていたのですが、徐々にそう聞かれるから観察しよう!という状態になっていました。
後輩が先輩に、イレギュラーがレギュラーに本来は言い難いアドバイスを、貰えるデザインでした
さて、方向は見えたものの具体的にどうデザインするか?が課題ですね・・・
結局はビデオレビューが強力なツールになりそう
診療ビデオレビュー
会議ビデオレビュー
教育ビデオレビューなど・・・
生の様子を観察してもらって、気づいていない自分に気づき、
他者からのFeedbackをデザインするには最適かもしれません・・・
あとは、日々の患者さんやスタッフの反応でしょうか・・・
しっかりキャッチしたいものですね・・・
そして、責任を持って行動したことの結果そのものでしょうか・・・
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