仕事からの帰り道
ヘッドライトの反射を見て『今日は凍結してないな・・・』と思って家路を急ぐ・・・
・「言葉は意味付け、言葉は解釈、それは一つのデザインになる」
と、朝つけていたままの、NHK第二放送から流れてきた言葉が心に留まった。
3年前、同期と議論したことを思い出した。
テーマは「言葉で全て説明できるか」
彼は、『無理だ』と言った。
僕は『できる』と言った。
あの頃は、言葉の可能性を信じていたのかもしれない。
今だったら、彼にこういうと思う。
「できる・・・かもしれないね・・・」と。
今は、できれば言葉の可能性を信じたい。
そして、2日前の後輩のビデオレビューを思い出した。
ビデオレビューとは患者さんの協力の下、
自分の診察をビデオに撮って客観的に振り返る方法だ。
医師になってすぐの4月に、このビデオレビューを初めて経験した。
覚えているのは、
ただただ一生懸命で患者さんにぐいぐい近づき(それで、患者さんがのけぞり・・・)、
でも説明や反応する言葉に自信がなく小さい声だったこと。
この描写のように、その当時は患者さんとの距離と、声の大きさ以外の表現方法を知らなかった。
今は、視線の高さだの、カルテの位置だの、有効な沈黙だの・・・はもちろん、
医学的な内容は・・・だの、患者さんの満足度は・・・だの
目標にしていることで、出来ているところは・・・だの
今後の課題は・・・だの
今使った面接技法は●○だの・・・
言葉が増えすぎて、どれをFeedbackしていいのか、迷ってしまう。
その分、非常に面白く・興味深く後輩のビデオを見ることができた。
いろんな状況を説明する言葉に満ちている。
そして、先輩・指導医は、さらに僕の知らない言葉に満ちていて、
はっとさせられる。
言葉が増える分、意味も変わるし、解釈も変わる。
それは、ラジオが言うように、デザインの変化なんだろうな。
家庭医としての日々の経験。その振り返り。そして学問としての学び。
この言葉の蓄積が、自分の中の家庭医療のデザインなのかもしれない。
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