2013年10月6日日曜日

施設での看取りの進化と出会う

昨年4月から密に関わっている施設では、
組織文化、看取り数の増加、そしてスタッフの思考錯誤などなどを背景に、
今年は看取りのケアが進化しています。

なんというか思いや気持ちがケアにつながっている感じ。
思いや気持ちはともすれば、いろいろな障害で形にならなかったり、ひとりで空回りしたり・・・
それが、目に見えてケアになっています。

看取りの時に主に使われる部屋があるのですが、それが毎回その人の家の個室になる感じ。
すごいな~と思って最近見ています。

というのも、回診時に自分のその部屋からもらう温もりで、パフォーマンスが変わるからです。

過去を知る展示があり、その人に接する際の敬意が湧いて来たり、
家族の写真から、大切な家族の一人だと再確認したり、
○○が好きだったんですね、○○が上手だったんですねと声をかけたり・・・

部屋自体が、良き看とりのアフォーダンスを生んでいるんです・・・



家庭医療のケアは「標準的な医療の個別化」という、矛盾にも聞こえる、ケアをすることだと思っています。
その施設でも、標準的な看取りのケアを究極に個別化していると感じました。

在宅ではその方の長年の住まい=その方らしい空間で看取るのですが、
看取りの時には、その施設の標準的な(老舗なので昔の)病室みたいな施設の部屋が、その方らしさに満ちた空間に設えられているのです。
その過程を想像し、その空間でのケアのやりとりを考えただけでも・・・。

その人の人生、生きてきた道のり、その人を見送る家族の思い、
それぞれに配慮し、斟酌し、出たり引いたり、工夫したり、でも反省して修正したり、
その揺れるケアの中で、豊かな時間が編まれ育まれている感じがしました。

在宅医療も行っていますが、亡くなる場所にベストはないと思っています。
在宅でも病院でも施設でも良いと思っています。

この施設には亡くなる場所のベストとなるエッセンスがあると思いました。
施設看とりが確実に増える時代に、この施設でのケアは一つの希望かもしれません。

間違いなく、人が人を支えることがより大切になる時代に、この施設で育つ人材がこれからの看取りを支える大切な一人ひとりになると感じました。

凄く勉強になる温かさを看取りの部屋から感じます。
燃え尽きず、継続できる温度で、この温かさが続いて欲しいです・・・。

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