2008年11月5日水曜日

それは誰のストレスかを知ることの距離感

忘れないうちに、最近の気づきを・・・


「周囲の人のストレスを、自分のストレスにしない」


患者さんのストレスを傾聴しながら、逆転移で自分のストレスにすると、
とても深く共感できるのですが、ちょっと危ないやり方だそうです

でも、さすがに医師患者関係はどこか客観的になる距離感なので、
そこまで患者さんのストレスが巨大でない限りやられないのですが・・・


ちょっと近い人のストレスが、
最近強くてそれを自分のことのようにストレスに感じていました


感じなくてもよいのに・・・

familyもcommunityもほとんどのcontextが順調なのに、
なんだこの疲労感??と思っていたのですが、
一緒に居る人のストレスが高いと、その影響も強いことを自覚しました


今の立場でそこまで強く感じなくてもよいストレスを貰いすぎていました・・・
しかも、その人たちもそこまでのストレスと思っていないかもしれないのに・・・


気づいてよかったけど、どう考え・距離をとるべきか・・・


同期は「楽しんで眺めたらいいよ」と言ってくれました
見方・距離感をどう捉えるか


扇子一本置いて心の中に敷居を作るように、
自分で境界線を引く作業をしないといけないのでしょうね

情報過多の時代に、自然に情報を取捨選択しているように、

他人のストレスも、
察知と理解をして気遣うところと、
巻き込まれて傷つくからあえて触れないところに分ける

そんな線を引かないといけないのかもしれません・・・
さて、それは直線なのか、点線なのか・・・


そして、発想を変えてみると、
「自分のストレスを、周囲の人にあげないように!」しないとな・・・と思いました

2 件のコメント:

Tag さんのコメント...

こんにちは、初めてコメントします。

「人のストレスを、自分のストレスととらえない」というのは、全般性不安障害や神経症といわれる患者さんによく伝える言葉の一つです。

子供の進路が心配で眠れないとか、家族の介護で疲れてしまってとか。

誰にでも、困難なことや面倒なこと、避けられないことが降ってわいてきます。何で自分が、と思いたくなるようなことも、たくさんあります。

家庭医だと、ついその辺を一緒に背負いたくなっちゃうんですよね。

でも、誰かの困難は、その人の人生における「課題」であり、その人が解決しなければ意味のないこともあります。代わりにその「課題」を背負ってあげることは、多くの場合できません。

周りの人がいらいらしたり、ストレスを感じているときに、自分自身の心理状態に影響を及ぼされているときには、自分と他人が一緒になっちゃってるかも知れません。
逆に、「あなたがいらいらしているから、こっちまでいらつくわ!」っていうコメントは、こちらのイライラを、相手の人が(ある意味)勝手に背負っているわけで、そんなに気にする必要はないのかもしれません。

日本の社会は、個々人というより、個人と個人の「間の関係性」に非常に重きをおく文化と指摘されており、気分の波の伝播というのは、よく見られることなんでしょう。

いい意味で、「あの人の問題は、あの人が解決しないといけないこと。自分には、十分解決しなくちゃいけない問題があるので、それに一生懸命になる」様にして、余裕があればサポートするいうのが、結果としていい形を生み出すのかもしれないなーなんて、思います。

松井善典 さんのコメント...

tagさんコメントありがとうございます

感性深い文章ですね

・・・困難は課題・・・
・・・勝手に背負っている・・・
あたり、
なるほどな~と思って読んでいました

いい意味での距離感を後期研修中に模索していたので、また一つヒントが増えました

ありがとうございます!!