忘れないうちに、最近の気づきを・・・
「周囲の人のストレスを、自分のストレスにしない」
患者さんのストレスを傾聴しながら、逆転移で自分のストレスにすると、
とても深く共感できるのですが、ちょっと危ないやり方だそうです
でも、さすがに医師患者関係はどこか客観的になる距離感なので、
そこまで患者さんのストレスが巨大でない限りやられないのですが・・・
ちょっと近い人のストレスが、
最近強くてそれを自分のことのようにストレスに感じていました
感じなくてもよいのに・・・
familyもcommunityもほとんどのcontextが順調なのに、
なんだこの疲労感??と思っていたのですが、
一緒に居る人のストレスが高いと、その影響も強いことを自覚しました
今の立場でそこまで強く感じなくてもよいストレスを貰いすぎていました・・・
しかも、その人たちもそこまでのストレスと思っていないかもしれないのに・・・
気づいてよかったけど、どう考え・距離をとるべきか・・・
同期は「楽しんで眺めたらいいよ」と言ってくれました
見方・距離感をどう捉えるか
扇子一本置いて心の中に敷居を作るように、
自分で境界線を引く作業をしないといけないのでしょうね
情報過多の時代に、自然に情報を取捨選択しているように、
他人のストレスも、
察知と理解をして気遣うところと、
巻き込まれて傷つくからあえて触れないところに分ける
そんな線を引かないといけないのかもしれません・・・
さて、それは直線なのか、点線なのか・・・
そして、発想を変えてみると、
「自分のストレスを、周囲の人にあげないように!」しないとな・・・と思いました
2008年11月5日水曜日
2008年10月19日日曜日
その人を知るための大切な過去
今週は新しい職場の初日
本来5名体制が3名体制という思いがけず波乱の幕開けも加わり、
種々のテンポがつかめなかったと反省・・・
それでも、状態把握や課題整理、
冬期セミナーに向けての会議も大いに進められました
来週から加速します
さて、一昨日帰宅直後にふらっとつけたNHK
「その時歴史が動いた」で思いがけず涙しました
19歳という若さでアイヌの女性が、
「アイヌ神謡集」というアイヌ民謡の翻訳・編纂を行った物語でした
彼女の名前は知里幸恵
その原稿の校正を終えた日に、まさに命を燃やすように亡くなってしまったという突き刺さるエピソードもありました
そして何よりも、
自らのアイヌとしてのアイデンティティの再構築の過程が、
今まで大切にされてこなかったもの、見過ごされてきたものへの愛と自信に変わる姿がとても印象的でした
彼女の命を賭けた本は、その後アイヌ民族の復興と再評価への礎となったそうです
すごい19歳だと感じました
その後調べた、「アイヌ神謡集」の序文に感動しました
----------------
序
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.
天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀《さえ》ずる小鳥と共に歌い暮して蕗《ふき》とり蓬《よもぎ》摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝《かがり》も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円《まど》かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.
平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.
僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.
しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.
激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮《あけくれ》祈っている事で御座います.
けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.
大正十一年三月一日 知里幸惠
----------------
やっぱり、すごい19歳です
番組を見ていて、自分は過去の大切なものを忘れて生きているんだな…と感じました
ノスタルジーや温故知新といってしまえば、それまでなのですが、
数年前、数ヶ月前、数日前に感じた複数のものとオーバーラップしました
ひとつは、西洋医学の限界から興った、医学における人間性の回復をひとつのコアとしている家庭医療を学びながら感じていること
そして、「学習する組織」「システムシンキング」などで最近は読み進めているピータ・センゲの最近の著書『出現する未来』でも述べられた、現代を新しく生きるための“仏教的”思考で思ったこと
最近では、実家に帰って、自分を構成してきた過去と再会する日々を過ごして体感したこと
それら、全てが、(のぼせない程度に)
「大切な過去を思い出す」ことの大切さを教えてくれました
今日の番組はとどめですね・・・
過去を振り返らない、前だけ向いて進むとき。
人は大切なことを忘れて、しまっているのかもしれません
辛い過去も引き連れて生きるときこそ、
過去の辛さが幸せとなって自分を有るときから支えてくれるのかもしれません
「大切な過去を思い出す」を大切にしたいです
それは、自分も、相手も同じで・・・
本来5名体制が3名体制という思いがけず波乱の幕開けも加わり、
種々のテンポがつかめなかったと反省・・・
それでも、状態把握や課題整理、
冬期セミナーに向けての会議も大いに進められました
来週から加速します
さて、一昨日帰宅直後にふらっとつけたNHK
「その時歴史が動いた」で思いがけず涙しました
19歳という若さでアイヌの女性が、
「アイヌ神謡集」というアイヌ民謡の翻訳・編纂を行った物語でした
彼女の名前は知里幸恵
その原稿の校正を終えた日に、まさに命を燃やすように亡くなってしまったという突き刺さるエピソードもありました
そして何よりも、
自らのアイヌとしてのアイデンティティの再構築の過程が、
今まで大切にされてこなかったもの、見過ごされてきたものへの愛と自信に変わる姿がとても印象的でした
彼女の命を賭けた本は、その後アイヌ民族の復興と再評価への礎となったそうです
すごい19歳だと感じました
その後調べた、「アイヌ神謡集」の序文に感動しました
----------------
序
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.
天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀《さえ》ずる小鳥と共に歌い暮して蕗《ふき》とり蓬《よもぎ》摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝《かがり》も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円《まど》かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.
平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.
僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.
しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.
激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮《あけくれ》祈っている事で御座います.
けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.
大正十一年三月一日 知里幸惠
----------------
やっぱり、すごい19歳です
番組を見ていて、自分は過去の大切なものを忘れて生きているんだな…と感じました
ノスタルジーや温故知新といってしまえば、それまでなのですが、
数年前、数ヶ月前、数日前に感じた複数のものとオーバーラップしました
ひとつは、西洋医学の限界から興った、医学における人間性の回復をひとつのコアとしている家庭医療を学びながら感じていること
そして、「学習する組織」「システムシンキング」などで最近は読み進めているピータ・センゲの最近の著書『出現する未来』でも述べられた、現代を新しく生きるための“仏教的”思考で思ったこと
最近では、実家に帰って、自分を構成してきた過去と再会する日々を過ごして体感したこと
それら、全てが、(のぼせない程度に)
「大切な過去を思い出す」ことの大切さを教えてくれました
今日の番組はとどめですね・・・
過去を振り返らない、前だけ向いて進むとき。
人は大切なことを忘れて、しまっているのかもしれません
辛い過去も引き連れて生きるときこそ、
過去の辛さが幸せとなって自分を有るときから支えてくれるのかもしれません
「大切な過去を思い出す」を大切にしたいです
それは、自分も、相手も同じで・・・
2008年9月28日日曜日
半年間の振り返りで気づいたこと・・・
3日前にこの半年間の振り返りがありました
北海道家庭医療学センターでは、
指導医と3ヶ月ごとに振り返りを行っているですが、
前回アクシデントで飛んでしまったので、札幌に来て初の振り返りです
昨年までは大体1ヶ月ごとに振り返りをしていました。
しかも毎週振り返りの時間を作り、記録していたのでビデオの記録のような振り返りが多かったのです。
が、
準備に向けてほぼ1週間、手帳を見ながら思い起こしながら…
4月から9月まで・・・を振り返ってみました。
ざっくりとした中でも、大きなテーマがいくつかありました。
・不慣れな病棟だったけど、種々の要因・支援で家庭医のままで働けたこと
・子供が生まれたことでの公私にわたる味わい深く、一部葛藤を伴う変化
・新しい職場での働き方のクセや、背伸びしてしまう自分の傾向
・自分が本当にやりたいと思っている仕事への情熱
などなど・・・
その様々な構成要素とそれらのインタラクションがボワッと見えてきました。
ひとつの事象が、別の事象と一塊となって、その集合体への振り返りがに多くなりました。
今回は、意図せずそうなってしまったのですが、それが良かったです。
当日も、いつもより生き方、働き方、ライフワークバランスなどが話題の中心となっていました
事例ごと、事象ごとの振り返りは、減ってしまったのですが、
今回は指導医からのコメントも非常にメタでした
振り返る時間がより長くなると、
気づきや内省が、よりメタになるんだな・・・と実感しました
たまには一年間を振り返る、とか
今日までの人生を振り返る、とか
やると違うんでしょうね・・・
やるといいんでしょうね・・・
今回は、
・種々の成功体験を「よかったよかった」にしない。成功の条件が揃っていたことを忘れない。
・仕事が順調なときほど仕事を増やさない
(これはこの振り返りの翌日、同じ病院の同期にも言われました。しかも、システム理論でも支持された内容と・・・)
・自分の役割を理解して徹して全うする
などなど、大切にすべき気づきやメッセージを感じました。
しみじみ感じました。
最近読んだ本に、
『学ぶことは壊れること。壊れるからこそ新たに生まれることがある』
とありました
この半年間の学びで、自分の一部が壊れゆく感じは、怖かったし、時に痛かったけど、
前を向いて、楽しんでいたからこそ、今生まれつつある新しい自分も歓迎できています
やはり非常に深い機会になりました
来週末からようやく夏休暇です
日本海の船旅、実家ライフ、アートな離島を楽しみます!!
勝手にサバティカルと名付けて、いろいろReflectionしてみようかな・・・
北海道家庭医療学センターでは、
指導医と3ヶ月ごとに振り返りを行っているですが、
前回アクシデントで飛んでしまったので、札幌に来て初の振り返りです
昨年までは大体1ヶ月ごとに振り返りをしていました。
しかも毎週振り返りの時間を作り、記録していたのでビデオの記録のような振り返りが多かったのです。
が、
準備に向けてほぼ1週間、手帳を見ながら思い起こしながら…
4月から9月まで・・・を振り返ってみました。
ざっくりとした中でも、大きなテーマがいくつかありました。
・不慣れな病棟だったけど、種々の要因・支援で家庭医のままで働けたこと
・子供が生まれたことでの公私にわたる味わい深く、一部葛藤を伴う変化
・新しい職場での働き方のクセや、背伸びしてしまう自分の傾向
・自分が本当にやりたいと思っている仕事への情熱
などなど・・・
その様々な構成要素とそれらのインタラクションがボワッと見えてきました。
ひとつの事象が、別の事象と一塊となって、その集合体への振り返りがに多くなりました。
今回は、意図せずそうなってしまったのですが、それが良かったです。
当日も、いつもより生き方、働き方、ライフワークバランスなどが話題の中心となっていました
事例ごと、事象ごとの振り返りは、減ってしまったのですが、
今回は指導医からのコメントも非常にメタでした
振り返る時間がより長くなると、
気づきや内省が、よりメタになるんだな・・・と実感しました
たまには一年間を振り返る、とか
今日までの人生を振り返る、とか
やると違うんでしょうね・・・
やるといいんでしょうね・・・
今回は、
・種々の成功体験を「よかったよかった」にしない。成功の条件が揃っていたことを忘れない。
・仕事が順調なときほど仕事を増やさない
(これはこの振り返りの翌日、同じ病院の同期にも言われました。しかも、システム理論でも支持された内容と・・・)
・自分の役割を理解して徹して全うする
などなど、大切にすべき気づきやメッセージを感じました。
しみじみ感じました。
最近読んだ本に、
『学ぶことは壊れること。壊れるからこそ新たに生まれることがある』
とありました
この半年間の学びで、自分の一部が壊れゆく感じは、怖かったし、時に痛かったけど、
前を向いて、楽しんでいたからこそ、今生まれつつある新しい自分も歓迎できています
やはり非常に深い機会になりました
来週末からようやく夏休暇です
日本海の船旅、実家ライフ、アートな離島を楽しみます!!
勝手にサバティカルと名付けて、いろいろReflectionしてみようかな・・・
2008年9月23日火曜日
家庭医とスタバのバリスタとの共通のキーワード
学生時代は三条大橋西のスタバに好んで通っていました
鴨川を見下ろし、東山を見上げ、ちょっと異国情緒のあるスタバが好きでした
スタバの居心地は、家庭医療の提供しようとするものに、
ほんのり似ていると以前から思っていました
以前Penという雑誌のスタバの紹介の文章を下記のようにいじってみました
(バリスタを家庭医に変えて遊んでみました。)
--------
家庭医療
家庭医がつくる、新しい医療文化
北海道の工業都市室蘭に、家庭医療の教育施設が生まれて12年になる。
診療所で働く若手の家庭医は、適切な医療を実践するだけでなく、通って来る患者さんとの自然な会話を通して、よりよいマネージメントを提供する。
家庭医を頼ってさまざまな訴えや相談が持ちかけられる中、誰もが健康に幸せな人生を過ごし、やがて地域のコミュニティが形成される。
どんな健康相談にも笑顔で応じて、独自の方法で問題解決を可能にする家庭医。
そんな家庭医たちがつくる、新しい医療文化とはどのようなものか、本場室蘭からレポートしよう。
---------
なんてね。かっこよすぎですね。
現実はもっと悩んだり、困ったりなんでしょうけど・・・。
コーヒーを提供するという文章がこうもしっくり変換できるのが楽しかったという話でした。
その後、スタバの「グリーンエプロンブック」なるもの読み、一人一人へのカスタマイズや、
その人の人生に関わることを喜びとするバリスタの姿勢に、ますます家庭医療に似ている…と実感。
医療なので、徹底した顧客志向な訳ではないけれども、
サービスのパラダイムシフトを起こしたスタバは、
医療のパラダイムシフトを起こそうとしている家庭医療にやっぱり似ていると読んで思いました。
しかも、キーワードが一致していました。
「関係性からの人間性の回復」という言葉でした。
鴨川を見下ろし、東山を見上げ、ちょっと異国情緒のあるスタバが好きでした
スタバの居心地は、家庭医療の提供しようとするものに、
ほんのり似ていると以前から思っていました
以前Penという雑誌のスタバの紹介の文章を下記のようにいじってみました
(バリスタを家庭医に変えて遊んでみました。)
--------
家庭医療
家庭医がつくる、新しい医療文化
北海道の工業都市室蘭に、家庭医療の教育施設が生まれて12年になる。
診療所で働く若手の家庭医は、適切な医療を実践するだけでなく、通って来る患者さんとの自然な会話を通して、よりよいマネージメントを提供する。
家庭医を頼ってさまざまな訴えや相談が持ちかけられる中、誰もが健康に幸せな人生を過ごし、やがて地域のコミュニティが形成される。
どんな健康相談にも笑顔で応じて、独自の方法で問題解決を可能にする家庭医。
そんな家庭医たちがつくる、新しい医療文化とはどのようなものか、本場室蘭からレポートしよう。
---------
なんてね。かっこよすぎですね。
現実はもっと悩んだり、困ったりなんでしょうけど・・・。
コーヒーを提供するという文章がこうもしっくり変換できるのが楽しかったという話でした。
その後、スタバの「グリーンエプロンブック」なるもの読み、一人一人へのカスタマイズや、
その人の人生に関わることを喜びとするバリスタの姿勢に、ますます家庭医療に似ている…と実感。
医療なので、徹底した顧客志向な訳ではないけれども、
サービスのパラダイムシフトを起こしたスタバは、
医療のパラダイムシフトを起こそうとしている家庭医療にやっぱり似ていると読んで思いました。
しかも、キーワードが一致していました。
「関係性からの人間性の回復」という言葉でした。
2008年9月1日月曜日
映像と音で、未来に気づく、未来を築く
今日、北海道家庭医療学センターのHPにとある動画がUpされました
参考URL:http://www.hcfm.jp/
*最初は遠くの花火のように映像と音声がズレます
しばらく待ってから見るとスムーズです
自分の組織なのに、たった数分の動画で感動してしまいました
きっとBGMや生の温かい言葉に触れたのが原因だと思います
初めてインターネット上で動画や音声を多数Upしていたのを目の当たりにしたのは、茂木健一郎さんの「クオリア日記」というブログでした
先日のFMラジオ出演もvoiceblogとしてUpされています
参考URL:http://www.voiceblog.jp/kin-ikyo/
*第61回と62回で「家庭医療」について話しています
今まで文字情報だけだったInternetが、
iTuneの音楽配信やYoutubeの動画配信を代表に、
多彩なメディアで情報を伝えられるようになっています
それをここ数年肌で感じて、面白い時代になったな~と感じています
文字表現の可能性とは別次元の、音と映像でのメッセージ
それは、とてつもなく大きな共感を生む装置になっているように思います
誰かの心地よい歌には耳を傾けてしまうように、
レストランの不思議な絵に目を奪われてしまうように、
音楽と美術がインターネットに溶けたときに、
人の持つ力や温もりや、そしてメッセージが強化されるように感じます
小説のように思索の世界への没入は出来ないし、
強制的にさらされる音と映像のスピードについていく困難も一方ではありますが、
一瞬にしてその世界への誘導力と、訴える表現力は、
やはり映像と音楽ですね・・・
文字は文字で好きで素敵なんですけど・・・
最近は、後期研修後の自分の仕事する場所について時々考えていました
滋賀に帰るか、北海道にまだしばらく残るか・・・
今日の映像に心奪われて、何か熱いものがこみ上げてきて滋賀への帰郷の念が薄らいでしまいました
思えば最終ゴールは滋賀なのですが、ゴールのテープを切る自分が、どこまで走ればゴールなのかを設定できていません
しばらく課題ですね…
外へのメッセージは、中へのメッセージにもなっているようにも感じてしまいました
そう思えば、作者の意図されない影響も音と映像の力ですね・・・
参考URL:http://www.hcfm.jp/
*最初は遠くの花火のように映像と音声がズレます
しばらく待ってから見るとスムーズです
自分の組織なのに、たった数分の動画で感動してしまいました
きっとBGMや生の温かい言葉に触れたのが原因だと思います
初めてインターネット上で動画や音声を多数Upしていたのを目の当たりにしたのは、茂木健一郎さんの「クオリア日記」というブログでした
先日のFMラジオ出演もvoiceblogとしてUpされています
参考URL:http://www.voiceblog.jp/kin-ikyo/
*第61回と62回で「家庭医療」について話しています
今まで文字情報だけだったInternetが、
iTuneの音楽配信やYoutubeの動画配信を代表に、
多彩なメディアで情報を伝えられるようになっています
それをここ数年肌で感じて、面白い時代になったな~と感じています
文字表現の可能性とは別次元の、音と映像でのメッセージ
それは、とてつもなく大きな共感を生む装置になっているように思います
誰かの心地よい歌には耳を傾けてしまうように、
レストランの不思議な絵に目を奪われてしまうように、
音楽と美術がインターネットに溶けたときに、
人の持つ力や温もりや、そしてメッセージが強化されるように感じます
小説のように思索の世界への没入は出来ないし、
強制的にさらされる音と映像のスピードについていく困難も一方ではありますが、
一瞬にしてその世界への誘導力と、訴える表現力は、
やはり映像と音楽ですね・・・
文字は文字で好きで素敵なんですけど・・・
最近は、後期研修後の自分の仕事する場所について時々考えていました
滋賀に帰るか、北海道にまだしばらく残るか・・・
今日の映像に心奪われて、何か熱いものがこみ上げてきて滋賀への帰郷の念が薄らいでしまいました
思えば最終ゴールは滋賀なのですが、ゴールのテープを切る自分が、どこまで走ればゴールなのかを設定できていません
しばらく課題ですね…
外へのメッセージは、中へのメッセージにもなっているようにも感じてしまいました
そう思えば、作者の意図されない影響も音と映像の力ですね・・・
2008年8月18日月曜日
Look backから、Look aroundのふりかえりへ
北海道に来て4年半を迎えようとしています。
北海道に来て学んでいることは一生の財産になる確信をもち、
滋賀で積み上げてきたことも北海道で支えになっています。
その中のひとつ、北海道で出会って良かった言葉に「reflective practice」があります。
省察する実践家と訳されています。
ふりかえりながら成長する家庭医、は
今までも、今でも、そしてこれからもテーマになると思っています。
最近、医学教育のレクチャーを毎月担当して、
友人の指摘で自分のふりかえりに新たな気づきが生まれました。
それは、僕のふりかえりは、振り向く程度だったかもしれないということ。
ぱっと後ろを、ふと足元を、何気なく上を
見るように
自分の言動や思考をふりかえっていました。
見るべきポイントや、自分の課題のコアを、
振り向いて見つけていたとは思いますが、
きっと今まで不十分だったと思いました。
と、いうのも、
ふりかえりで、振り向くくらいなら、
その周辺を見渡すくらいのふりかえりがあってもいいのでは?
ということです。
振り向くだけのふりかえりでなく、
見渡すようなふりかえり
きっと時間がかかりますが、
新しく見つめるもの、
初めて見つけるもの、
に多く出会えそうです
そう出来るようになると、もう少し省察・反省レベルから、
あたらな概念や実験が生まれる土壌が出来るかもしれません。
今後、臨床家のみならず教育者、研究者として生きるために、
この大きくな見渡すようなふりかえりは必須です
ちょっと時間をかけて、角度を変えて、
見渡してみたいと思いました。
北海道に来て学んでいることは一生の財産になる確信をもち、
滋賀で積み上げてきたことも北海道で支えになっています。
その中のひとつ、北海道で出会って良かった言葉に「reflective practice」があります。
省察する実践家と訳されています。
ふりかえりながら成長する家庭医、は
今までも、今でも、そしてこれからもテーマになると思っています。
最近、医学教育のレクチャーを毎月担当して、
友人の指摘で自分のふりかえりに新たな気づきが生まれました。
それは、僕のふりかえりは、振り向く程度だったかもしれないということ。
ぱっと後ろを、ふと足元を、何気なく上を
見るように
自分の言動や思考をふりかえっていました。
見るべきポイントや、自分の課題のコアを、
振り向いて見つけていたとは思いますが、
きっと今まで不十分だったと思いました。
と、いうのも、
ふりかえりで、振り向くくらいなら、
その周辺を見渡すくらいのふりかえりがあってもいいのでは?
ということです。
振り向くだけのふりかえりでなく、
見渡すようなふりかえり
きっと時間がかかりますが、
新しく見つめるもの、
初めて見つけるもの、
に多く出会えそうです
そう出来るようになると、もう少し省察・反省レベルから、
あたらな概念や実験が生まれる土壌が出来るかもしれません。
今後、臨床家のみならず教育者、研究者として生きるために、
この大きくな見渡すようなふりかえりは必須です
ちょっと時間をかけて、角度を変えて、
見渡してみたいと思いました。
2008年8月17日日曜日
ジェネラリストのこれからを考えた二日間から
もう一ヶ月以上も前の話ですが、
十勝の芽室町で開催された第2回GPRPに参加しました
GPEPとは「ジェネラリストのこれからを考える会」の略とのことですが、
実際は、
『1984年に米国医科大学協会(AAMC)によってまとめられ、その後の世界の医学教育に大きな影響を与えたと言われているGPEP(Report of the Project Panel on the General Professional Education of the Physician and College Preparation for Medicine)レポート』にちなんでいるとのことでした。
参考URL:http://gpep.umin.jp/
アメリカでの医学教育に画期的な変化を起こしたGPEP。
日本では今後の総合診療・家庭医療の変化の起点になるのでしょうか?
前回は佐久総合病院、今回は町立芽室病院という地域医療の最前線を開催地にしながら、
講師陣やスタッフは日本の総合診療、家庭医療の第一線の指導医達という絶妙な組み合わせがなんだかいいな~と感じながら、ジャガイモの花咲く十勝平野をウキウキしながら進みました。
一回目は自分の殻から出られなかったのと、対象が異なる印象を受けたので、(あと遠いのと)
出席しませんでしたが、今回は非常に興味を持って参加できました。
というのも、現在研修中の病院には、規模が大きく数少ない成功している総合診療病棟があって、
そこでの日々が今の自分に大きな影響を与えたと思います。
現在、家庭医として病棟で働く日々というのが大変貴重な経験になっています。
家庭医として病棟研修しながら、いつの間にか殻をすでに破っていたのかもしれません。
病棟の同期や指導医との日々でジェネラリストという言葉に、今までより馴染んだ状態で参加できました。
一番感じたことは、「家庭医療と総合診療のベクトルとフィールド」です。
2日間を通して、そして総合診療部での日々を通して、
「ベクトルは同じで、フィールドが違う」という感覚が強化されました。
ベクトルとは、生物心理社会モデルの広がりや、患者中心の医療の方法の実践を、
意識的か無意識的かは別に、大切にするベクトルのことです。
フィールドは名前の通り、診療所(僻地、都市部)か病院(市中、大学 大病院、中小病院)である相違があるということです。
ベクトルが一致しているので、医師としてのあり方や機能、患者さんに与えるoutcomeは似ていると感じました。そのベクトルが多彩なフィールドで展開されていることが実感できました。
さて、初日の講演は芽室病院の宮本先生と、札幌医大の山本先生でした。
宮本先生は、地域医療に真摯に取り組んできた経歴の紹介のあと、
住民ニーズを大切にしながら芽室で取り組んでいる地域医療のお話が聞けました。
「人間いたるところに青山あり、墳墓の地にならんや」というフレーズが心に残りました。
経験が積まれ、思いが込められた言葉でした。
山本先生は炎のレクチャーでした。
今までは物静かな先生なのかなと感じていたので、炎のような山本先生を見て最初は驚きましたが、
聞いているうちにモチベーションとなっている山本先生自身の原体験と、
紹介された理論やフレーズから今日までの数々の学びや思いが、一気に爆発しているレクチャーになっていると感じました。
炎が「引退宣言」との取れるような発言もあり、
一世代目のリーダーから、GPEPの次世代のリーダに向けてのエールのようにも聞こえました。
含有が多く、すこし切ない講演でした。
ワークショップでは臨床推論、プレゼンテーションについて深く学べました。
東大の大西先生のプレゼンテーションの成長モデルが非常に面白かったです。
プレゼンテーションの向上を5段階に分け、段階ごとに指導医からのfeedbackが発達を促すように作られていて質の高いモデルになっていました。
しかも、そのWS中種々の質問が出ても必ず「それは・・・です」「そこが難しくて・・・」と、
モデル作成の過程の10年間の背景やそれでも残る疑問を教えてくださる姿勢に研究の蓄積を感じました。
暗黙知を形式知に変えることの難しさと大切さ、そしてそれには時間がかかること
そんなことを感じるWSでした
飲み会では、ジェネラリストは内科が何よりも大切という語りを聞いて、
総合診療医のコアは内科!!というコアがあるのかな?とぼんやり感じながら、家庭医として内科を突き詰める姿勢と、家庭医の機能全体の中の内科の大きさやバランスについてひたすら考え込みました。
遺伝型はジェネラリストでも、地域や働く場所によって表現型が内科医や家庭医になっているので、そのフィールドに求められる力をそこでつけることが一番だと思いましたが、課題にしている内容だったので染みました。
圧巻は「プライマリケアの現場における指導医のアプローチ」でした
とあるCaseのプレゼンを聞いて、GPEPの指導医からのコメントがあったのですが、
・reflectionも患者のケアになる
・患者の代理人になる意識と、そのテーマを発信する
・継続性のためのきっかけ作り
・辛い決断のときのリーダーシップ
などなど、教科書に無いけど、ジェネラリストにとっても大切なことの宝庫でした。
今までセミナーや学会など家庭医療の世界にどっぷりでしたが、
新たな出会い(人も考えも価値観も)がたくさんあって、かつその出会いが心地のよいもので、
参加してよかったと思いました。
最後に、一番染みて心に残った内容。
「不確実性に耐える力、の前に不確実なものかの本質を見極める力が大切」
臨床の場の問題を安易に不確実性に押し込める前に、
それが本当に不確実かを見極める研鑽が必要なんだと痛感しました。
道は遠いですが、一歩一歩の毎日にしたいです。
十勝の芽室町で開催された第2回GPRPに参加しました
GPEPとは「ジェネラリストのこれからを考える会」の略とのことですが、
実際は、
『1984年に米国医科大学協会(AAMC)によってまとめられ、その後の世界の医学教育に大きな影響を与えたと言われているGPEP(Report of the Project Panel on the General Professional Education of the Physician and College Preparation for Medicine)レポート』にちなんでいるとのことでした。
参考URL:http://gpep.umin.jp/
アメリカでの医学教育に画期的な変化を起こしたGPEP。
日本では今後の総合診療・家庭医療の変化の起点になるのでしょうか?
前回は佐久総合病院、今回は町立芽室病院という地域医療の最前線を開催地にしながら、
講師陣やスタッフは日本の総合診療、家庭医療の第一線の指導医達という絶妙な組み合わせがなんだかいいな~と感じながら、ジャガイモの花咲く十勝平野をウキウキしながら進みました。
一回目は自分の殻から出られなかったのと、対象が異なる印象を受けたので、(あと遠いのと)
出席しませんでしたが、今回は非常に興味を持って参加できました。
というのも、現在研修中の病院には、規模が大きく数少ない成功している総合診療病棟があって、
そこでの日々が今の自分に大きな影響を与えたと思います。
現在、家庭医として病棟で働く日々というのが大変貴重な経験になっています。
家庭医として病棟研修しながら、いつの間にか殻をすでに破っていたのかもしれません。
病棟の同期や指導医との日々でジェネラリストという言葉に、今までより馴染んだ状態で参加できました。
一番感じたことは、「家庭医療と総合診療のベクトルとフィールド」です。
2日間を通して、そして総合診療部での日々を通して、
「ベクトルは同じで、フィールドが違う」という感覚が強化されました。
ベクトルとは、生物心理社会モデルの広がりや、患者中心の医療の方法の実践を、
意識的か無意識的かは別に、大切にするベクトルのことです。
フィールドは名前の通り、診療所(僻地、都市部)か病院(市中、大学 大病院、中小病院)である相違があるということです。
ベクトルが一致しているので、医師としてのあり方や機能、患者さんに与えるoutcomeは似ていると感じました。そのベクトルが多彩なフィールドで展開されていることが実感できました。
さて、初日の講演は芽室病院の宮本先生と、札幌医大の山本先生でした。
宮本先生は、地域医療に真摯に取り組んできた経歴の紹介のあと、
住民ニーズを大切にしながら芽室で取り組んでいる地域医療のお話が聞けました。
「人間いたるところに青山あり、墳墓の地にならんや」というフレーズが心に残りました。
経験が積まれ、思いが込められた言葉でした。
山本先生は炎のレクチャーでした。
今までは物静かな先生なのかなと感じていたので、炎のような山本先生を見て最初は驚きましたが、
聞いているうちにモチベーションとなっている山本先生自身の原体験と、
紹介された理論やフレーズから今日までの数々の学びや思いが、一気に爆発しているレクチャーになっていると感じました。
炎が「引退宣言」との取れるような発言もあり、
一世代目のリーダーから、GPEPの次世代のリーダに向けてのエールのようにも聞こえました。
含有が多く、すこし切ない講演でした。
ワークショップでは臨床推論、プレゼンテーションについて深く学べました。
東大の大西先生のプレゼンテーションの成長モデルが非常に面白かったです。
プレゼンテーションの向上を5段階に分け、段階ごとに指導医からのfeedbackが発達を促すように作られていて質の高いモデルになっていました。
しかも、そのWS中種々の質問が出ても必ず「それは・・・です」「そこが難しくて・・・」と、
モデル作成の過程の10年間の背景やそれでも残る疑問を教えてくださる姿勢に研究の蓄積を感じました。
暗黙知を形式知に変えることの難しさと大切さ、そしてそれには時間がかかること
そんなことを感じるWSでした
飲み会では、ジェネラリストは内科が何よりも大切という語りを聞いて、
総合診療医のコアは内科!!というコアがあるのかな?とぼんやり感じながら、家庭医として内科を突き詰める姿勢と、家庭医の機能全体の中の内科の大きさやバランスについてひたすら考え込みました。
遺伝型はジェネラリストでも、地域や働く場所によって表現型が内科医や家庭医になっているので、そのフィールドに求められる力をそこでつけることが一番だと思いましたが、課題にしている内容だったので染みました。
圧巻は「プライマリケアの現場における指導医のアプローチ」でした
とあるCaseのプレゼンを聞いて、GPEPの指導医からのコメントがあったのですが、
・reflectionも患者のケアになる
・患者の代理人になる意識と、そのテーマを発信する
・継続性のためのきっかけ作り
・辛い決断のときのリーダーシップ
などなど、教科書に無いけど、ジェネラリストにとっても大切なことの宝庫でした。
今までセミナーや学会など家庭医療の世界にどっぷりでしたが、
新たな出会い(人も考えも価値観も)がたくさんあって、かつその出会いが心地のよいもので、
参加してよかったと思いました。
最後に、一番染みて心に残った内容。
「不確実性に耐える力、の前に不確実なものかの本質を見極める力が大切」
臨床の場の問題を安易に不確実性に押し込める前に、
それが本当に不確実かを見極める研鑽が必要なんだと痛感しました。
道は遠いですが、一歩一歩の毎日にしたいです。
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