更別に来て、一日一日が濃厚なように感じます
一週間が濃密です
それは多彩な役割と機能を担う環境ならではの時間の感覚なのかもしれません
もしくは時間量が同じでも経験量と情報量が増えているからかもしれません
ゆっくり時間が過ぎていると感じているとき
それはInputの情報が増えている時間が多いことが多いです
例えば、今日一日を振り返っても「充実」の一言につきます
午前は一人一人が濃密な外来でした
悩み、迷いして、でも内省すると少し光があって、
自分と患者さんの間の今日のゴールを探る感覚で進めるコミュニケーションを
どこか客観的に見ている楽しさと緊張感がありました
午後からは初期研修医の指導単位
ついこの間まで同じような学習者だったので、
なんとなく葛藤point、緊張pointがここではないかと一緒にDiscussionします…
Feedbackが利いているところは嬉しい
届かないアドバイスは『やっぱり』と反省・・・
外来後に課題が見つかっても答えを出さず、
一緒に『どうする?』って悩んでみる
この有意味な沈黙の時間が大切なんだと感じますね
夜のカンファでは、初期研修医のプレゼンに対して指導医からのコメント
これが宝石みたいです
結晶化された感じが素敵
自分には持てていない視点と気づきでさらに厚みが増しました
自分の指導がダメだったとは思いませんが、
指導医のコメントの結晶具合にまだまだ目指す指導医には道のりが遠いなと、
課題が見つかる楽しさがあります
そして、今日の締めは後輩のビデオレビュー
安全で適切な学習環境の構築が目の前でデザインされるのも目の当たりにしたのが
学び多い時間になりました
後輩の十分な外来パフォーマンスに対して、
ちょっと先輩として何を伝えるべきか、何が次に出来たらさらに改善するか…
アンテナを感度MaxにしてFeedback…
この感覚は以前室蘭で日々Feedbackを繰り返していた3年目の時を彷彿とさせました
一年先輩というプレッシャーや役割って大切なトリガーだと思い出しました
ソロではなくグループだからこそ、
単一ではなく多様だからこそ、
そして、それを許容する容量の環境だからこそ、
濃密に学べる有り難みを感じます
帰宅後、晴れやかな気持ちでした
帰りも遅い日が多く、当直もここ数日当たりが多く疲れていない訳はないです
でも疲労が淡い感覚なのです
仕事が充実すると、幸せな一日になると改めて感じました
そして、充実するようにデザインすると素晴らしい一日になると感じました
一人だけでなくそれが共有できる職場であることに感謝して…
おやすみなさい
2009年2月24日火曜日
学びのきっかけを探すきっかけの週末
2月の週末はNLPの講義や冬期セミナーの開催などで特別な時間が多かったです
そして先週末は、
親友との教育Reflection + NLPの補講
親友との教育Reflectionはこれで2回目になるのですが、
互いの一年間の教育をまとめてみて、ディスカッションすることの楽しさをまた覚えました
話題になったのは、
「振り返りを促すための、“気づき”そのものをどう生むか」
「与えた課題をfollow upすることの大切さ」
「学習者の“知らない”をどう知るか」
「小グループ学習のファシリテーション」
「内的動機付けのための、取っ掛かりの外的動機付け」
などなど濃厚な二時間でした
その中で、
「学習者を知るときにその人のクラブ活動(部活動)の様子を聞いて、学習スタイルを探る」
*その親友とは学習スタイルも、部活の様子も同じだったので・・・ヒントになるかも!!と盛り上がりました
「手渡しではなく、自分の机に課題を置いておいて取りに来てもらう」
*自分の机を“ショーケース”として、推薦図書や資料のまとめ方の参考になれば・・・という淡い願いをこめる
「“気づき”が少ない人は、自分の言動を覚えていないことが多いので、一緒にいる機会を増やして観察したことを伝える」
*いわゆる”人間ビデオカメラ”作戦
「学習課題に個別性を出しすぎると、意図的過ぎて逆にうまくいかないので、ある程度どの学習スタイルでも学べるような複数の学習課題をパッケージとして提供する」
*本輪西を思い出すとそうだった!!との結論になりました。しかもパッケージとして提供されていることで、『こういうものなんだ』と受け止めて乗り越えやすいかも・・・
などなどのアイディアが出てきました
S君という初期研修時代からの親友なのですが、
話題への応答や教育ポートフォリオを見て、彼と出会った頃と同じような尊敬の念を覚えました
3月にもう一度開催するので楽しみです
その後のNLPの補講でも感じたのですが、
やったことをもう一度Reviewする大切さを感じた週末でした
そして先週末は、
親友との教育Reflection + NLPの補講
親友との教育Reflectionはこれで2回目になるのですが、
互いの一年間の教育をまとめてみて、ディスカッションすることの楽しさをまた覚えました
話題になったのは、
「振り返りを促すための、“気づき”そのものをどう生むか」
「与えた課題をfollow upすることの大切さ」
「学習者の“知らない”をどう知るか」
「小グループ学習のファシリテーション」
「内的動機付けのための、取っ掛かりの外的動機付け」
などなど濃厚な二時間でした
その中で、
「学習者を知るときにその人のクラブ活動(部活動)の様子を聞いて、学習スタイルを探る」
*その親友とは学習スタイルも、部活の様子も同じだったので・・・ヒントになるかも!!と盛り上がりました
「手渡しではなく、自分の机に課題を置いておいて取りに来てもらう」
*自分の机を“ショーケース”として、推薦図書や資料のまとめ方の参考になれば・・・という淡い願いをこめる
「“気づき”が少ない人は、自分の言動を覚えていないことが多いので、一緒にいる機会を増やして観察したことを伝える」
*いわゆる”人間ビデオカメラ”作戦
「学習課題に個別性を出しすぎると、意図的過ぎて逆にうまくいかないので、ある程度どの学習スタイルでも学べるような複数の学習課題をパッケージとして提供する」
*本輪西を思い出すとそうだった!!との結論になりました。しかもパッケージとして提供されていることで、『こういうものなんだ』と受け止めて乗り越えやすいかも・・・
などなどのアイディアが出てきました
S君という初期研修時代からの親友なのですが、
話題への応答や教育ポートフォリオを見て、彼と出会った頃と同じような尊敬の念を覚えました
3月にもう一度開催するので楽しみです
その後のNLPの補講でも感じたのですが、
やったことをもう一度Reviewする大切さを感じた週末でした
2009年1月12日月曜日
一瞬も 一生も そして時に一生を感じる一瞬を
年始の企業広告で忘れられないものがあります
一瞬も 一生も 美しく
企業広告の中で、資生堂のコーポレートメッセージの一面広告です
http://www.shiseido.co.jp/corporate-ad/090101ad.htm
素敵な言葉で、
コピーという言葉がもったいないくらい、
大切なメッセージを感じます
「美しい」という形容詞ではなく、
「美しく」という副詞(正確には形容詞の連用形!?)にしたことで、
「美しい-美しくない」という世界から
「少し美しく-より美しく-もっと美しく-さらに美しく」というベクトルの世界になっていることが印象的でした
形容詞で断定するのではなく、副詞で可能性を開く
見る人にとって普遍的可変的なメッセージになっている気がしました
このメッセージをみてスグにおもったことが、
一瞬も 一生も 勉強
瞬間、瞬間の出来事の振り返り
今日までの人生の積み重ね
家庭医としての学びに満ちているということを感じます
そして、ある判断、ある外来の一瞬にこそ、今日までの人生が詰まるときがあるとも感じており、
今の年齢での人生を感じる一瞬を味わいたいと思います
今年もそんな日記を続けたいと思います
一瞬も 一生も 美しく
企業広告の中で、資生堂のコーポレートメッセージの一面広告です
http://www.shiseido.co.jp/corporate-ad/090101ad.htm
素敵な言葉で、
コピーという言葉がもったいないくらい、
大切なメッセージを感じます
「美しい」という形容詞ではなく、
「美しく」という副詞(正確には形容詞の連用形!?)にしたことで、
「美しい-美しくない」という世界から
「少し美しく-より美しく-もっと美しく-さらに美しく」というベクトルの世界になっていることが印象的でした
形容詞で断定するのではなく、副詞で可能性を開く
見る人にとって普遍的可変的なメッセージになっている気がしました
このメッセージをみてスグにおもったことが、
一瞬も 一生も 勉強
瞬間、瞬間の出来事の振り返り
今日までの人生の積み重ね
家庭医としての学びに満ちているということを感じます
そして、ある判断、ある外来の一瞬にこそ、今日までの人生が詰まるときがあるとも感じており、
今の年齢での人生を感じる一瞬を味わいたいと思います
今年もそんな日記を続けたいと思います
2008年12月25日木曜日
おかげさんで 自分の資源と思っていたものの向こうに・・・
先日洞爺湖畔で行われた北海道家庭医療学センターのローテーション会議+オリエンテーション
来年の大きな道が決まりました!!再来年以降の道も見定めつつ・・・
そこでチーフのMさん、K太郎君が編集してくれた自己紹介冊子を読んでいて、お勧めの多かった「Live Hacks」を帰ってすぐ購入しました
そして通勤の地下鉄で読破!本の序盤に「自分の口癖を考えましょう(5分)」というお題が出ました
ちょうどその時、大通駅で乗り換え待ちだったので、
『札幌駅着くまでに思いついたものにしよう!!』と心に決め、
・・・
・・・
と、考えていると、ふと
「おかげさん」という言葉が出てきました
そして札幌到着
これは地元のごえんさん(=ご住職)によく教えてもらった言葉です
ごえんさんの姿と声とそこにいるかのようにセットで思い出されました
ずっと小学生時代の夏休みは、ラジオ体操の後には必ずお寺でお経の勉強でした
濃厚な自分のContextです
ラジオ体操のスタンプカードと正信偈の本が毎朝の持ち物でした
「おかげさん」
謙虚さの混じった感謝の言葉で素敵ですね~
いい言葉が思いついたもんです
今年は4月から9月まで怒涛のレクチャー漬けで疲れてしまい、
最近封印していたのですが、重なるときは重なるもので12月上旬だけ4つのレクチャーを行いました
①12/6 学生向け家庭医療レクチャー「昨年最も印象に残った患者さんの物語+家庭医療学的振り返り」90分
②12/12 地域住民向け健康講話「高齢者の“健康”づくり」60分
③12/14 HCFMオリエンテーション「振り返りとポートフォリオ」60分
④12/18 プリセプター向け講演会「成人学習理論とFeedback」90分
いずれも、ぎりぎりの準備で泣きそうなときもありましたが、
本番は上手く伝えられた手ごたえを感じました
新たなプレゼンスタイル、新たな聴衆も経験できて実りの多い機会でした
実は「おかげさんで」の言葉と再会するまでは、
『この4つのレクチャーが短期間にできた自分の資源はなんだったんだろう??』とNLP的に振り返っていました
今は『誰の、何のおかげさんでその資源があったのだろう』と考えるようにしています
①はその患者さんとの出会いと日々、経験を支え共に振り返ってくださったK先生の存在、振り返りの場を教育的に用意するHCFMの環境、発表の場を下さった学生さんと、そのきっかけのO先生・・・・・
②は、K先生の外来プリセプティングでの言葉、それで購入した本を読んだこと、以前に室蘭の診療所で同じテーマで経験するチャンスがあったこと、そしてアントノフスキーさん・・・・・
③は教師というかつての夢の存在、興味関心が強い分野で本を多く持っていたこと、日々の実践と振り返りの振り返りができたこと、HANDSのHPが公開されていたこと、室蘭の病院で高価だけど良書の医学教育の本がコピーしやすいバインダーだったこと・・・・・・
④は看護管理部に僕を紹介してくださった師長さんと推してくださった主任さん、Feedbackのレクチャーの機会を以前に創ってくださったD先生、看護教育という雑誌を知った図書館バイト時代、事前アンケートを送ってくださったSさん・・・・・・
などなど、もっとあげればきりが無いくらいの、「おかげさん」だらけです
NLP的に『資源』というと確かにかっこいいので好きですが、
よくよく考えると、「おかげさん」だらけ
・人との出会いとそれからの関係性
・良書との出会い
・学ぶ場の力
・人生の何気ない経験
・未知への挑戦
などの集積が、この連続レクチャーを支えていたものを支えてくれていたと気づきました
だんだん大人になって、ひとりで何でも出来る感じがする危ない時に、
この「おかげさん」は、おかげさんで効きますね~
自分の口癖になるように、振り返りに使っていこうと思います
来年の大きな道が決まりました!!再来年以降の道も見定めつつ・・・
そこでチーフのMさん、K太郎君が編集してくれた自己紹介冊子を読んでいて、お勧めの多かった「Live Hacks」を帰ってすぐ購入しました
そして通勤の地下鉄で読破!本の序盤に「自分の口癖を考えましょう(5分)」というお題が出ました
ちょうどその時、大通駅で乗り換え待ちだったので、
『札幌駅着くまでに思いついたものにしよう!!』と心に決め、
・・・
・・・
と、考えていると、ふと
「おかげさん」という言葉が出てきました
そして札幌到着
これは地元のごえんさん(=ご住職)によく教えてもらった言葉です
ごえんさんの姿と声とそこにいるかのようにセットで思い出されました
ずっと小学生時代の夏休みは、ラジオ体操の後には必ずお寺でお経の勉強でした
濃厚な自分のContextです
ラジオ体操のスタンプカードと正信偈の本が毎朝の持ち物でした
「おかげさん」
謙虚さの混じった感謝の言葉で素敵ですね~
いい言葉が思いついたもんです
今年は4月から9月まで怒涛のレクチャー漬けで疲れてしまい、
最近封印していたのですが、重なるときは重なるもので12月上旬だけ4つのレクチャーを行いました
①12/6 学生向け家庭医療レクチャー「昨年最も印象に残った患者さんの物語+家庭医療学的振り返り」90分
②12/12 地域住民向け健康講話「高齢者の“健康”づくり」60分
③12/14 HCFMオリエンテーション「振り返りとポートフォリオ」60分
④12/18 プリセプター向け講演会「成人学習理論とFeedback」90分
いずれも、ぎりぎりの準備で泣きそうなときもありましたが、
本番は上手く伝えられた手ごたえを感じました
新たなプレゼンスタイル、新たな聴衆も経験できて実りの多い機会でした
実は「おかげさんで」の言葉と再会するまでは、
『この4つのレクチャーが短期間にできた自分の資源はなんだったんだろう??』とNLP的に振り返っていました
今は『誰の、何のおかげさんでその資源があったのだろう』と考えるようにしています
①はその患者さんとの出会いと日々、経験を支え共に振り返ってくださったK先生の存在、振り返りの場を教育的に用意するHCFMの環境、発表の場を下さった学生さんと、そのきっかけのO先生・・・・・
②は、K先生の外来プリセプティングでの言葉、それで購入した本を読んだこと、以前に室蘭の診療所で同じテーマで経験するチャンスがあったこと、そしてアントノフスキーさん・・・・・
③は教師というかつての夢の存在、興味関心が強い分野で本を多く持っていたこと、日々の実践と振り返りの振り返りができたこと、HANDSのHPが公開されていたこと、室蘭の病院で高価だけど良書の医学教育の本がコピーしやすいバインダーだったこと・・・・・・
④は看護管理部に僕を紹介してくださった師長さんと推してくださった主任さん、Feedbackのレクチャーの機会を以前に創ってくださったD先生、看護教育という雑誌を知った図書館バイト時代、事前アンケートを送ってくださったSさん・・・・・・
などなど、もっとあげればきりが無いくらいの、「おかげさん」だらけです
NLP的に『資源』というと確かにかっこいいので好きですが、
よくよく考えると、「おかげさん」だらけ
・人との出会いとそれからの関係性
・良書との出会い
・学ぶ場の力
・人生の何気ない経験
・未知への挑戦
などの集積が、この連続レクチャーを支えていたものを支えてくれていたと気づきました
だんだん大人になって、ひとりで何でも出来る感じがする危ない時に、
この「おかげさん」は、おかげさんで効きますね~
自分の口癖になるように、振り返りに使っていこうと思います
2008年11月5日水曜日
それは誰のストレスかを知ることの距離感
忘れないうちに、最近の気づきを・・・
「周囲の人のストレスを、自分のストレスにしない」
患者さんのストレスを傾聴しながら、逆転移で自分のストレスにすると、
とても深く共感できるのですが、ちょっと危ないやり方だそうです
でも、さすがに医師患者関係はどこか客観的になる距離感なので、
そこまで患者さんのストレスが巨大でない限りやられないのですが・・・
ちょっと近い人のストレスが、
最近強くてそれを自分のことのようにストレスに感じていました
感じなくてもよいのに・・・
familyもcommunityもほとんどのcontextが順調なのに、
なんだこの疲労感??と思っていたのですが、
一緒に居る人のストレスが高いと、その影響も強いことを自覚しました
今の立場でそこまで強く感じなくてもよいストレスを貰いすぎていました・・・
しかも、その人たちもそこまでのストレスと思っていないかもしれないのに・・・
気づいてよかったけど、どう考え・距離をとるべきか・・・
同期は「楽しんで眺めたらいいよ」と言ってくれました
見方・距離感をどう捉えるか
扇子一本置いて心の中に敷居を作るように、
自分で境界線を引く作業をしないといけないのでしょうね
情報過多の時代に、自然に情報を取捨選択しているように、
他人のストレスも、
察知と理解をして気遣うところと、
巻き込まれて傷つくからあえて触れないところに分ける
そんな線を引かないといけないのかもしれません・・・
さて、それは直線なのか、点線なのか・・・
そして、発想を変えてみると、
「自分のストレスを、周囲の人にあげないように!」しないとな・・・と思いました
「周囲の人のストレスを、自分のストレスにしない」
患者さんのストレスを傾聴しながら、逆転移で自分のストレスにすると、
とても深く共感できるのですが、ちょっと危ないやり方だそうです
でも、さすがに医師患者関係はどこか客観的になる距離感なので、
そこまで患者さんのストレスが巨大でない限りやられないのですが・・・
ちょっと近い人のストレスが、
最近強くてそれを自分のことのようにストレスに感じていました
感じなくてもよいのに・・・
familyもcommunityもほとんどのcontextが順調なのに、
なんだこの疲労感??と思っていたのですが、
一緒に居る人のストレスが高いと、その影響も強いことを自覚しました
今の立場でそこまで強く感じなくてもよいストレスを貰いすぎていました・・・
しかも、その人たちもそこまでのストレスと思っていないかもしれないのに・・・
気づいてよかったけど、どう考え・距離をとるべきか・・・
同期は「楽しんで眺めたらいいよ」と言ってくれました
見方・距離感をどう捉えるか
扇子一本置いて心の中に敷居を作るように、
自分で境界線を引く作業をしないといけないのでしょうね
情報過多の時代に、自然に情報を取捨選択しているように、
他人のストレスも、
察知と理解をして気遣うところと、
巻き込まれて傷つくからあえて触れないところに分ける
そんな線を引かないといけないのかもしれません・・・
さて、それは直線なのか、点線なのか・・・
そして、発想を変えてみると、
「自分のストレスを、周囲の人にあげないように!」しないとな・・・と思いました
2008年10月19日日曜日
その人を知るための大切な過去
今週は新しい職場の初日
本来5名体制が3名体制という思いがけず波乱の幕開けも加わり、
種々のテンポがつかめなかったと反省・・・
それでも、状態把握や課題整理、
冬期セミナーに向けての会議も大いに進められました
来週から加速します
さて、一昨日帰宅直後にふらっとつけたNHK
「その時歴史が動いた」で思いがけず涙しました
19歳という若さでアイヌの女性が、
「アイヌ神謡集」というアイヌ民謡の翻訳・編纂を行った物語でした
彼女の名前は知里幸恵
その原稿の校正を終えた日に、まさに命を燃やすように亡くなってしまったという突き刺さるエピソードもありました
そして何よりも、
自らのアイヌとしてのアイデンティティの再構築の過程が、
今まで大切にされてこなかったもの、見過ごされてきたものへの愛と自信に変わる姿がとても印象的でした
彼女の命を賭けた本は、その後アイヌ民族の復興と再評価への礎となったそうです
すごい19歳だと感じました
その後調べた、「アイヌ神謡集」の序文に感動しました
----------------
序
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.
天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀《さえ》ずる小鳥と共に歌い暮して蕗《ふき》とり蓬《よもぎ》摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝《かがり》も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円《まど》かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.
平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.
僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.
しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.
激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮《あけくれ》祈っている事で御座います.
けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.
大正十一年三月一日 知里幸惠
----------------
やっぱり、すごい19歳です
番組を見ていて、自分は過去の大切なものを忘れて生きているんだな…と感じました
ノスタルジーや温故知新といってしまえば、それまでなのですが、
数年前、数ヶ月前、数日前に感じた複数のものとオーバーラップしました
ひとつは、西洋医学の限界から興った、医学における人間性の回復をひとつのコアとしている家庭医療を学びながら感じていること
そして、「学習する組織」「システムシンキング」などで最近は読み進めているピータ・センゲの最近の著書『出現する未来』でも述べられた、現代を新しく生きるための“仏教的”思考で思ったこと
最近では、実家に帰って、自分を構成してきた過去と再会する日々を過ごして体感したこと
それら、全てが、(のぼせない程度に)
「大切な過去を思い出す」ことの大切さを教えてくれました
今日の番組はとどめですね・・・
過去を振り返らない、前だけ向いて進むとき。
人は大切なことを忘れて、しまっているのかもしれません
辛い過去も引き連れて生きるときこそ、
過去の辛さが幸せとなって自分を有るときから支えてくれるのかもしれません
「大切な過去を思い出す」を大切にしたいです
それは、自分も、相手も同じで・・・
本来5名体制が3名体制という思いがけず波乱の幕開けも加わり、
種々のテンポがつかめなかったと反省・・・
それでも、状態把握や課題整理、
冬期セミナーに向けての会議も大いに進められました
来週から加速します
さて、一昨日帰宅直後にふらっとつけたNHK
「その時歴史が動いた」で思いがけず涙しました
19歳という若さでアイヌの女性が、
「アイヌ神謡集」というアイヌ民謡の翻訳・編纂を行った物語でした
彼女の名前は知里幸恵
その原稿の校正を終えた日に、まさに命を燃やすように亡くなってしまったという突き刺さるエピソードもありました
そして何よりも、
自らのアイヌとしてのアイデンティティの再構築の過程が、
今まで大切にされてこなかったもの、見過ごされてきたものへの愛と自信に変わる姿がとても印象的でした
彼女の命を賭けた本は、その後アイヌ民族の復興と再評価への礎となったそうです
すごい19歳だと感じました
その後調べた、「アイヌ神謡集」の序文に感動しました
----------------
序
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.
天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀《さえ》ずる小鳥と共に歌い暮して蕗《ふき》とり蓬《よもぎ》摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝《かがり》も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円《まど》かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.
平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.
僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.
しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.
激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮《あけくれ》祈っている事で御座います.
けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.
大正十一年三月一日 知里幸惠
----------------
やっぱり、すごい19歳です
番組を見ていて、自分は過去の大切なものを忘れて生きているんだな…と感じました
ノスタルジーや温故知新といってしまえば、それまでなのですが、
数年前、数ヶ月前、数日前に感じた複数のものとオーバーラップしました
ひとつは、西洋医学の限界から興った、医学における人間性の回復をひとつのコアとしている家庭医療を学びながら感じていること
そして、「学習する組織」「システムシンキング」などで最近は読み進めているピータ・センゲの最近の著書『出現する未来』でも述べられた、現代を新しく生きるための“仏教的”思考で思ったこと
最近では、実家に帰って、自分を構成してきた過去と再会する日々を過ごして体感したこと
それら、全てが、(のぼせない程度に)
「大切な過去を思い出す」ことの大切さを教えてくれました
今日の番組はとどめですね・・・
過去を振り返らない、前だけ向いて進むとき。
人は大切なことを忘れて、しまっているのかもしれません
辛い過去も引き連れて生きるときこそ、
過去の辛さが幸せとなって自分を有るときから支えてくれるのかもしれません
「大切な過去を思い出す」を大切にしたいです
それは、自分も、相手も同じで・・・
2008年3月17日月曜日
言葉の位置エネルギーを深め、高めるReflection
土曜日に指導医と会話し
こっそり課題をもらいました
日曜日に後輩のブログを読み、
それをなんとなく表現できるようになりました
上手く言えたかわかりませんが書きます
もらった課題は、
「自分の中に在るものを、外に動くものにする・・・」
「自分の中に在るものを、動きのあるものとして表現する・・・」
ということです
つまり、 自分の内部に在る知識や信念を、
外への発言や姿勢として変換するとき、
そのエネルギーをより大きくする大切さ -に気づきました
指導医との会話は雑談のようなテーマでしたが、
雑談に流れる深い議論に、 これはNHKよりも、大学教授よりも、的を得ている!!
という確信がありました
フル時間通じて指導医の言葉や姿勢から、
深みと高みからのエネルギーを感じました
これらの雑談のテーマは自分なりにも考えていて意見もあったけど、
その在るものの位置が浅かった+低かったな・・・と感じました
背景を深く読み、分析を高みから進めて、
振り返りをすると、 もっと深く、もっと高いところに在ってもいいはず!!
自分の中に在るものを 深く下げ、高く上げる
そうすると言葉にした瞬間、 相手の中で運動をはじめ・・・ 熱を持ち・・・ 光を放つ・・・
その位置エネルギーを内的に貯める作業は、
おそらくKolbの学習サイクルでの 「観察と振り返り⇒概念化と一般化」 の矢印なんでしょうね
もう一段階深める思考 もう一歩高みへの思索
足りない所への課題・・・ですね
~~~~~~~~~~~~~~~~
自分の中のイメージとしてはコップの水
・水をためる=input
・あふれてこぼれる=output
・底に穴を開ける=もうひとつのoutput
この時に、 幅広のコップの淵からこぼれたり、
とても縦長のコップの底から流れたり、
すると勢いがいいな~というイメージでした
こっそり課題をもらいました
日曜日に後輩のブログを読み、
それをなんとなく表現できるようになりました
上手く言えたかわかりませんが書きます
もらった課題は、
「自分の中に在るものを、外に動くものにする・・・」
「自分の中に在るものを、動きのあるものとして表現する・・・」
ということです
つまり、 自分の内部に在る知識や信念を、
外への発言や姿勢として変換するとき、
そのエネルギーをより大きくする大切さ -に気づきました
指導医との会話は雑談のようなテーマでしたが、
雑談に流れる深い議論に、 これはNHKよりも、大学教授よりも、的を得ている!!
という確信がありました
フル時間通じて指導医の言葉や姿勢から、
深みと高みからのエネルギーを感じました
これらの雑談のテーマは自分なりにも考えていて意見もあったけど、
その在るものの位置が浅かった+低かったな・・・と感じました
背景を深く読み、分析を高みから進めて、
振り返りをすると、 もっと深く、もっと高いところに在ってもいいはず!!
自分の中に在るものを 深く下げ、高く上げる
そうすると言葉にした瞬間、 相手の中で運動をはじめ・・・ 熱を持ち・・・ 光を放つ・・・
その位置エネルギーを内的に貯める作業は、
おそらくKolbの学習サイクルでの 「観察と振り返り⇒概念化と一般化」 の矢印なんでしょうね
もう一段階深める思考 もう一歩高みへの思索
足りない所への課題・・・ですね
~~~~~~~~~~~~~~~~
自分の中のイメージとしてはコップの水
・水をためる=input
・あふれてこぼれる=output
・底に穴を開ける=もうひとつのoutput
この時に、 幅広のコップの淵からこぼれたり、
とても縦長のコップの底から流れたり、
すると勢いがいいな~というイメージでした
2008年1月23日水曜日
海を渡った「自分をコントロールするプロフェッショナル」の言葉
NHKプロフェッショナル Ichiro Talk Special を見た。
印象に残ったことをメモ風に記録。
・on-offの切り替え
「ユニフォーム着るときは自分が変身できる。かっこいい自分でいられる。」
→自分をonにするスイッチ、offにするスイッチがある。自分なりにもっと創らないとね・・・。
印象に残ったことをメモ風に記録。
・on-offの切り替え
「ユニフォーム着るときは自分が変身できる。かっこいい自分でいられる。」
→自分をonにするスイッチ、offにするスイッチがある。自分なりにもっと創らないとね・・・。
・運命を信じる姿勢
「そのときのめぐり合いが完璧」「今の状況はなるべくしてなっている」「運命は信じる」 →努力をしている人が、運命論を話すと妙に説得力を感じた。
・戦う相手・・・
「以前は自分との戦いだった。今人と戦えるレベルまで来た。自分と戦っているだけなら楽でいい。そこを超えてきた。プロ野球に入って考えたことは“人に勝つこと”。その後、敵は自分の中にいたと感じて今までやってきた。また、敵(と自分)を意識できるようになった 」
→深い。主客について考えさせられるコメント。医師-患者関係にも通じる言葉のように感じました。ゆっくり反芻したいコメントです。
・仕事での満足・・・
「満足をしてはいけない訳ではない、満足は重ねないと・・・と思っている」
「満足した後は何かが出てくるので・・・次に行くためにも満足しないといけない」
→日々満足していたので、心配だったのですが、このままでいいのかな・・・と思いました。
・全体を通して考えたこと=今、イチローのように現状を考える作業がないこと
思いつく作業、知る作業はよくしてますが、・・・考える作業をしないと大きな成長が無いように感じました
2008年1月20日日曜日
ラジオを聴いていると・・・「言葉=デザイン」から考えたこと
仕事からの帰り道
ヘッドライトの反射を見て『今日は凍結してないな・・・』と思って家路を急ぐ・・・
・「言葉は意味付け、言葉は解釈、それは一つのデザインになる」
と、朝つけていたままの、NHK第二放送から流れてきた言葉が心に留まった。
3年前、同期と議論したことを思い出した。
テーマは「言葉で全て説明できるか」
彼は、『無理だ』と言った。
僕は『できる』と言った。
あの頃は、言葉の可能性を信じていたのかもしれない。
今だったら、彼にこういうと思う。
「できる・・・かもしれないね・・・」と。
今は、できれば言葉の可能性を信じたい。
そして、2日前の後輩のビデオレビューを思い出した。
ビデオレビューとは患者さんの協力の下、
自分の診察をビデオに撮って客観的に振り返る方法だ。
医師になってすぐの4月に、このビデオレビューを初めて経験した。
覚えているのは、
ただただ一生懸命で患者さんにぐいぐい近づき(それで、患者さんがのけぞり・・・)、
でも説明や反応する言葉に自信がなく小さい声だったこと。
この描写のように、その当時は患者さんとの距離と、声の大きさ以外の表現方法を知らなかった。
今は、視線の高さだの、カルテの位置だの、有効な沈黙だの・・・はもちろん、
医学的な内容は・・・だの、患者さんの満足度は・・・だの
目標にしていることで、出来ているところは・・・だの
今後の課題は・・・だの
今使った面接技法は●○だの・・・
言葉が増えすぎて、どれをFeedbackしていいのか、迷ってしまう。
その分、非常に面白く・興味深く後輩のビデオを見ることができた。
いろんな状況を説明する言葉に満ちている。
そして、先輩・指導医は、さらに僕の知らない言葉に満ちていて、
はっとさせられる。
言葉が増える分、意味も変わるし、解釈も変わる。
それは、ラジオが言うように、デザインの変化なんだろうな。
家庭医としての日々の経験。その振り返り。そして学問としての学び。
この言葉の蓄積が、自分の中の家庭医療のデザインなのかもしれない。
ヘッドライトの反射を見て『今日は凍結してないな・・・』と思って家路を急ぐ・・・
・「言葉は意味付け、言葉は解釈、それは一つのデザインになる」
と、朝つけていたままの、NHK第二放送から流れてきた言葉が心に留まった。
3年前、同期と議論したことを思い出した。
テーマは「言葉で全て説明できるか」
彼は、『無理だ』と言った。
僕は『できる』と言った。
あの頃は、言葉の可能性を信じていたのかもしれない。
今だったら、彼にこういうと思う。
「できる・・・かもしれないね・・・」と。
今は、できれば言葉の可能性を信じたい。
そして、2日前の後輩のビデオレビューを思い出した。
ビデオレビューとは患者さんの協力の下、
自分の診察をビデオに撮って客観的に振り返る方法だ。
医師になってすぐの4月に、このビデオレビューを初めて経験した。
覚えているのは、
ただただ一生懸命で患者さんにぐいぐい近づき(それで、患者さんがのけぞり・・・)、
でも説明や反応する言葉に自信がなく小さい声だったこと。
この描写のように、その当時は患者さんとの距離と、声の大きさ以外の表現方法を知らなかった。
今は、視線の高さだの、カルテの位置だの、有効な沈黙だの・・・はもちろん、
医学的な内容は・・・だの、患者さんの満足度は・・・だの
目標にしていることで、出来ているところは・・・だの
今後の課題は・・・だの
今使った面接技法は●○だの・・・
言葉が増えすぎて、どれをFeedbackしていいのか、迷ってしまう。
その分、非常に面白く・興味深く後輩のビデオを見ることができた。
いろんな状況を説明する言葉に満ちている。
そして、先輩・指導医は、さらに僕の知らない言葉に満ちていて、
はっとさせられる。
言葉が増える分、意味も変わるし、解釈も変わる。
それは、ラジオが言うように、デザインの変化なんだろうな。
家庭医としての日々の経験。その振り返り。そして学問としての学び。
この言葉の蓄積が、自分の中の家庭医療のデザインなのかもしれない。
2008年1月18日金曜日
困難に立ち向かえ 艱難汝を玉にす
ストレスイベントがあった。
それがストレスイベントなのは、
それ自体がストレスなのと、
それにストレスを感じる自分にもストレスを感じたから・・・。
最近、こんなストレスも「振り返り」で消化している。
なので、ストレスを感じた瞬間
「なんで今、ストレスを感じたんだろう?そのストレスの成分は?」
という呟きが生まれる。
ある大切な機会に、陰性感情を持ってしまったこと。
折角のチャンスもこれでもはもったいない。
帰り道の車内でひとつ気付く。
『タイミングが良くなかったな・・・』
『状況を察知して、自分を変化させないとな・・・』
ストレスの成分分析に必ず自分の要素がある。
また別の角度で思いつく、
『陰性感情を持つポイントこそが自分と相手との大きな差異なのかも・・・』
それがストレスイベントなのは、
それ自体がストレスなのと、
それにストレスを感じる自分にもストレスを感じたから・・・。
最近、こんなストレスも「振り返り」で消化している。
なので、ストレスを感じた瞬間
「なんで今、ストレスを感じたんだろう?そのストレスの成分は?」
という呟きが生まれる。
ある大切な機会に、陰性感情を持ってしまったこと。
折角のチャンスもこれでもはもったいない。
帰り道の車内でひとつ気付く。
『タイミングが良くなかったな・・・』
『状況を察知して、自分を変化させないとな・・・』
ストレスの成分分析に必ず自分の要素がある。
また別の角度で思いつく、
『陰性感情を持つポイントこそが自分と相手との大きな差異なのかも・・・』
こう考えると、ストレスも自己認識のツールになる。
そして、こんな風に考えていると、いつしか陰性感情は消えてなくなる・・・
毎回、こう上手くいく訳ではないけれど、前より上手くなったように思う。
2008年1月17日木曜日
家庭医に振り返りが必要な理由を友人の一言で気付かされた
ここのところの振り返りは自己認識の大切な機会・ツールになってます。
特に誰かとするとさらに進みます。
そして最近、決定的に「振り返り」に大切なことを自分なりに気づきました。
僕の友人が、SNSのコミュニティーで、
・「他の医学的分野よりも家庭医をやる上では振り返りがより重要と感じる」
・「家庭医療は振り返りを行っていかないと、自分が前にすすんでいるのかどうかがとてもわかりにくい状況になる」
という台詞を書いていて、初めて気づきました。
それは、「振り返りが自己変容の機会・ツールになる」ことです。
家庭医は日々知識面・態度面・技術面で自分を成長させることが求められています。
得意分野を伸ばす作業よりも、弱点補強の作業が多いです。
日々多様な知識・スキル・マネージメントなど・・・極端に言うなら多様な『自分』を求められる・・・
そこで、
自分の無知に気付き
焦りなどのネガティブな感情に気付き
マネージメントや説明があいまいな自分に気付き
・・・ それを修正・成長させることこそが、
「重要で、前に進んでいる感覚」につながると思いました。
そう考えると、認識することが変容の始まりだし、
「振り返り→再構成」は、自分の再構成なのかもしないと思うのです。
そう思って・感じて振り返りすると、なんとも深い作業ですね。
特に誰かとするとさらに進みます。
そして最近、決定的に「振り返り」に大切なことを自分なりに気づきました。
僕の友人が、SNSのコミュニティーで、
・「他の医学的分野よりも家庭医をやる上では振り返りがより重要と感じる」
・「家庭医療は振り返りを行っていかないと、自分が前にすすんでいるのかどうかがとてもわかりにくい状況になる」
という台詞を書いていて、初めて気づきました。
それは、「振り返りが自己変容の機会・ツールになる」ことです。
家庭医は日々知識面・態度面・技術面で自分を成長させることが求められています。
得意分野を伸ばす作業よりも、弱点補強の作業が多いです。
日々多様な知識・スキル・マネージメントなど・・・極端に言うなら多様な『自分』を求められる・・・
そこで、
自分の無知に気付き
焦りなどのネガティブな感情に気付き
マネージメントや説明があいまいな自分に気付き
・・・ それを修正・成長させることこそが、
「重要で、前に進んでいる感覚」につながると思いました。
そう考えると、認識することが変容の始まりだし、
「振り返り→再構成」は、自分の再構成なのかもしないと思うのです。
そう思って・感じて振り返りすると、なんとも深い作業ですね。
登録:
投稿 (Atom)