2008年2月13日水曜日

時間をどう認識するかが、時間の使い方になる

第3回若手家庭医のための家庭医療学冬期セミナーで大阪へ。

二日目に「タイムマネージメント」のWSに参加した。

テーマについてはアソシエや、プレジデント、Think!、LifeHacksの書籍などでいろいろ情報は知っていたので、内容はもちろん、WSの創り方を学ぶ目的でも参加した。

個人的には、手帳を使いこなし、やることのリストアップ、時間の使い方についてある程度できていると
「思っていた」
が、
・カナル現象をとりまくっていることを自己認識したし
・タイムマネージメント行動が出来ているときと、出来ていないときの浮き沈みがあることも知った

学生時代に鴨川に行ったとき、mini好きのT先生にアイゼンハワーの原則も教えてもらっていたのだが、上手く使いこなせないでいた。
その理由がわかった。
・ABCDの表のアップデートをスケジュールに組み込んでいなかった。

金曜日の22時から、月曜日の6時から、土曜日の13時から
のいずれかに、ABCDの表のアップデートをしよう


アイスブレーク、個人ワーク、3名の講師の講演、
「振り返りと行動計画シート」を基に上手く織り成されたWSで参加して良かった!!

2008年2月6日水曜日

若き☆☆☆フレンチシェフの姿からの振り返り

Professional File077 フレンチシェフ 岸田周三
33歳という近い年齢に刺激された時間だった。

メモ&振り返り

・『ここが最前線』という気概を持つ
そういえば、3年前はHCFMが日本の家庭医療の最前線だと思っていた。

今はあんまり、そんな尖がったことは考えていないけど、
日本の中でもベストな環境で学んでいる気持ちがある。

だからこそ、そのプレッシャーが自分を強くさせているのかもしれない。


・『自分なりのオリジナリティがアイデンティティ 自分だけの一皿を追う』
これは「守破離」の「破離」の言葉なんだろうな・・・
家庭医としては今はまだ、「守」の時期・・・時々「破離」たくなるけれど・・・


・『昨日より今日、今日より明日』
かなり今回のテーマとなる言葉だった
後期研修医になって、常に試行錯誤し、
例え僅かでも進化しようという貪欲さが減った気がする・・・反省

きっと、「胸の中で課題を持っておく」作業が減っている
些細な疑問、一瞬の悩み・・・
成長の種は毎日の外来に宿っている、再び集め始めないと・・・
 

・『料理人として忘れてはいけないこと。料理=命を食す』
うーん。家庭医として忘れてはいけないこととはなんだろう? 

「身近な存在として、その人の命をまもり、暮らしをささえること…
その人を診る事、その人の家族・地域などの背景を考えること…」
かな~
これらは意識することで、忘れてはいけないことではないか・・・
memento moriとかかな・・・ 


・『師(パスカル・バルボ)との出会い』
やっぱり人生の理想や原型と出会うことは大切。
家庭医としての原型に、学生時代から多く出会えたことが今でも財産になっている。

「我以外皆師」という言葉を思い出した。
初期研修医のとき、同期の診察風景のビデオから多くを学んだ記憶を今もはっきりと覚えている。
師を持つこと、理想や原型と出会うこと。
そして、それを忘れないことが大切なんだろうな。

 
・ 『精肉店で見習い/肉の熟成・調理を習う』
フレンチの修行の過程で、彼の仕事の幅を形成した時間なんだろうな。
料理人という仕事への熱意と愛情を感じたエピソードだった。 

仕事に関係することは全て吸収する姿勢。 
幅が出来ると、高みにも深みにも通じる。
まずは、種々のプロジェクトを大切にしよう。


・『師と仕事をするか、帰国するかの選択。師が反対する中、帰国』
選択に迷ったのちの結論は原動力になる。
北海道に行くかは締め切り1分前まで迷った。
でも、「北海道に来たからこそ!!」という力になっている。

最近の在宅での看取りについて葛藤があり、別の指導医に話したら、
「迷いがありながら決めることが大切」と言われた。
すーっと染み入るFeedbackだった。

3年後、
試される大地で更なる挑戦をするか、
母なる湖の近くで新たな挑戦をするか、
とても迷っている。・・・きっといい結論がでるだろうな。

2008年1月30日水曜日

見えている人は見えている、知っている人は知っている 

今日は、ケアハウスでの講演会



家庭医としてひとつの地域ケアの仕事。大切な機会。



前回は健康の原因”健康因”について話をしたので、

続きとして、ストレスマネージメントの話をした。





準備で・・・



指導医から指摘を受けた

・聞いている人の年齢を考えると抽象論が多く理解しにくい

・具体的事例を出して内容を紹介する



確かに・・・

非常に納得のいくアドバイスだった





プレゼンで

・対象者を把握すること

・具体例を出すこと

は大切なのに・・・スコンと抜けていた





見えている人は見えている

知っている人は知っている

こんな人と一緒に仕事ができることが幸せだ





今日で折り返し。あと二ヶ月。

吸収して吸収して、

消化して消化して。



一日一日成長できたらいいな・・・

2008年1月28日月曜日

京都の瓦屋根の薄雪のモノクロに

関西に帰省

大学同期の結婚式



神戸空港に着いて、温かいと思う間もなく、やはり寒い・・・
京都の瓦屋根は薄く雪が積もっていた



久しぶりの瓦
薄雪


カラフルな世界から、静寂のようなモノクロの世界

・・・一瞬のサバティカル!?な二日間に心癒された



やはり関西が好きだ

2008年1月24日木曜日

息継ぎと深呼吸のような、在宅緩和の先生からの教え・・・

在宅緩和を行っているさくさべ坂通り診療所の大岩先生の講演会の日。



響いたのは、 「生活支援も緩和ケア」という言葉。

そして、 徹底して患者さんを理解しようとする姿勢。  



それは、徹底した痛みの評価、患者さんの伝えたいことを含め、  

いろんなサインを受け止める/受け止めようとする姿勢。  

まるで、主体と客体の往復+共存。 





在宅については自分も同期も先輩もみんなそれぞれいろいろ悩んでいた。

例えば…在宅での看取りをどうすればいいのか…



・患者や家族へ“そのとき”をどう伝えるか…(早すぎると不安↑、遅いと入院へ)

・落ちていくADLにどう対応/介入するか… (早めだと抵抗、遅いと介護負担↑)

・などなど…



それらに明快な姿勢や言葉やエピソードで反応を下さり、

思わず23時の飲み会まで付いて行ってしまった。



温かみのある言葉をたくさん持っていらっしゃったことも感激した。

この説得力は経験から来ているんだろうな~。



臨床心理で自己学習した雑誌の、

『自分の表現を手に入れた人が、治療者としての自分を確立できる』

という言葉を思い出す。





・『「急変」というから患者さんも家族も不安になる。自然経過と思えば、後は苦しいか苦しくないかで判断できる。』



・『在宅が継続できるかどうかは、最初の導入の2週間で決まる。   

 そこでいかに信頼と安心を築けるか。』



・『医療者と家族の不安が、患者さん(の自律)をダメにする。』



・『何を伝えたかでなく、何が伝わったか。そのために患者さんの辞書の中にある言葉を使う。』



今日のテーマは、家庭医療の後期研修の中で、酸素不足+やみくもに泳いでいた所だった。



大岩先生との時間は息継ぎと深呼吸を同時にするようなひと時だった。

2008年1月23日水曜日

海を渡った「自分をコントロールするプロフェッショナル」の言葉

NHKプロフェッショナル Ichiro Talk Special を見た。
印象に残ったことをメモ風に記録。


・on-offの切り替え
「ユニフォーム着るときは自分が変身できる。かっこいい自分でいられる。」
→自分をonにするスイッチ、offにするスイッチがある。自分なりにもっと創らないとね・・・。

・運命を信じる姿勢

「そのときのめぐり合いが完璧」「今の状況はなるべくしてなっている」「運命は信じる」 →努力をしている人が、運命論を話すと妙に説得力を感じた。

・戦う相手・・・

「以前は自分との戦いだった。今人と戦えるレベルまで来た。自分と戦っているだけなら楽でいい。そこを超えてきた。プロ野球に入って考えたことは“人に勝つこと”。その後、敵は自分の中にいたと感じて今までやってきた。また、敵(と自分)を意識できるようになった 」

→深い。主客について考えさせられるコメント。医師-患者関係にも通じる言葉のように感じました。ゆっくり反芻したいコメントです。

・仕事での満足・・・
「満足をしてはいけない訳ではない、満足は重ねないと・・・と思っている」
「満足した後は何かが出てくるので・・・次に行くためにも満足しないといけない」
→日々満足していたので、心配だったのですが、このままでいいのかな・・・と思いました。

・全体を通して考えたこと=今、イチローのように現状を考える作業がないこと

思いつく作業、知る作業はよくしてますが、・・・考える作業をしないと大きな成長が無いように感じました

2008年1月20日日曜日

ラジオを聴いていると・・・「言葉=デザイン」から考えたこと

仕事からの帰り道
ヘッドライトの反射を見て『今日は凍結してないな・・・』と思って家路を急ぐ・・・

・「言葉は意味付け、言葉は解釈、それは一つのデザインになる」

と、朝つけていたままの、NHK第二放送から流れてきた言葉が心に留まった。


3年前、同期と議論したことを思い出した。
テーマは「言葉で全て説明できるか」

彼は、『無理だ』と言った。
僕は『できる』と言った。
あの頃は、言葉の可能性を信じていたのかもしれない。


今だったら、彼にこういうと思う。
「できる・・・かもしれないね・・・」と。
今は、できれば言葉の可能性を信じたい。


そして、2日前の後輩のビデオレビューを思い出した。
ビデオレビューとは患者さんの協力の下、
自分の診察をビデオに撮って客観的に振り返る方法だ。

医師になってすぐの4月に、このビデオレビューを初めて経験した。
覚えているのは、
ただただ一生懸命で患者さんにぐいぐい近づき(それで、患者さんがのけぞり・・・)、
でも説明や反応する言葉に自信がなく小さい声だったこと。
この描写のように、その当時は患者さんとの距離と、声の大きさ以外の表現方法を知らなかった。


今は、視線の高さだの、カルテの位置だの、有効な沈黙だの・・・はもちろん、
医学的な内容は・・・だの、患者さんの満足度は・・・だの

目標にしていることで、出来ているところは・・・だの
今後の課題は・・・だの
今使った面接技法は●○だの・・・

言葉が増えすぎて、どれをFeedbackしていいのか、迷ってしまう。

その分、非常に面白く・興味深く後輩のビデオを見ることができた。
いろんな状況を説明する言葉に満ちている。

そして、先輩・指導医は、さらに僕の知らない言葉に満ちていて、
はっとさせられる。


言葉が増える分、意味も変わるし、解釈も変わる。
それは、ラジオが言うように、デザインの変化なんだろうな。

家庭医としての日々の経験。その振り返り。そして学問としての学び。
この言葉の蓄積が、自分の中の家庭医療のデザインなのかもしれない。