2008年5月29日木曜日

よい健康とよいキャリアとそれを支える原因は同じ

北海道家庭医療学センターの学びの日々の中で心を打つ言葉があった

それはその人の健康を造っている「健康因」

医学部では、「病気」のしくみや成り立ちや原因ばかりの勉強だったので、
健康にしくみや成り立ちや原因があるとは180度視点が変わる言葉だった

その健康因について書いた「健康問題の謎を解く」という本を読んでいて、
あ、健康因の内容と同じ!!と思う言葉と出会いました

それは、「Planned Happenstance Theory」
『計画された偶然性』と訳されていた言葉です

これは、キャリア開発についての言葉なのですが、

 予期せぬ出来事が個人のキャリアを左右する
 その偶然を積極的につくり、最大限利用しようという姿勢だそうで・・・

確かに予期せぬ出来事はストレスと苦痛にもなるのですが、
ある5つのKeyでその出来事が成長の機会になるということです…
その5つとは、
・好奇心
・持続性
・楽観性
・柔軟性
・リスクテイキング
とのこと

おお!なんかいい言葉達だね!好きなのばっかり!

どんな状態でも自分の体を「健康」と考えたり、
自分のキャリアの過程で襲った出来事を「成長の機会」と捉えたり、
中心概念は同じなのでしょうね・・・

仕事の振り返りでも思うのですが、

ある衝撃や、ある一瞬を、
どう認識し直してて、どう捉え直せるかが、
理解を深め、新たな気づきにつながるように思っています

「直す(再構成する)」ための理解や気づきは、
「生きる力」をたくましくするきっかけになるのんですね・・・

2008年5月19日月曜日

「自然なのに、自然と思えないこと」が自然なのか

生きていると、
辛いことや悲しいこととも出会います


今までも、決してHappy一色ではなく、

毎日毎日変わらない辛い日常に心が折れそうになったり

ある出来事が、ずっとずっと頭から離れなくて思い出すたびに心が苦しくなったり

・・・しました


家庭医という仕事を通して、
出会い関わる方の辛い出来事や、心が苦しくなる経験に
よく出会います
本当によく出会います


今日例えば雨が降っていても、
何気ない日常なら何も辛い気持ちにはならないのに、
例えば、遠足の日だったらとても辛い気持ちになります

自然のことなのに、
期待や希望や祈りや、時々欲が入って、
一気に不自然に見えてしまって、
辛くなります


自然なことを、自然なことと、思えない
そんな生き方になってしまっている自分が今日いました


四川の大地震だって
病棟にいる患者さんたちの病気だって
本当は自然なことなのに

祈りが届かず、抗う気持ちが動いた日でした

とある病気の初発と出会って心がぐらぐらです


ま、そんな日もありますよ・・・


ぐらぐらしたのは、
その人の背景と向き合っていたから・・・

この衝撃はその人の衝撃のほんの一部だと、
逆転移を相手を知るためのツールとしている自分がいることを再確認


と、冷静ぶって書いてみたけど、やっぱり辛い

苦しみから癒しが生まれると言ったMcWinneyの言葉が遠くに聞こえる・・・

2008年5月13日火曜日

言葉の数が多いほど、豊かな文化がそこにはある

いつもGWは田植えの手伝いをしていたのを思い出します

稲、米、ご飯、籾、玄米、白米、おかゆ、シャリ・・・
日本はコメ文化の国だな~と思います

アメリカでは上記のどれもがriceの一言ですもんね・・・


逆に日本では「ひげ」ひとつですが、
米英ではbeard(あごひげ),mustache(くちひげ),mustachuous(大きなくちひげ),whiskers(ほおひげ),sideburns(もみあげ),goatee(やぎひげ)
と多数!!

ひげ文化の国ですね

色もそうですが、言葉が多いほど豊かな文化を持っているんだな~と思います
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「地域医療とは・・・」という題名で講義してほしい! と依頼を受けた同期がいました
その話題でかつて先輩が言っていたことを思い出しました


「プライマリケア」は機能を表現
「開業医」は、勤務医と対をなして医師の就労形態を表現
「総合診療」は多くは、大学の講座や市中病院の部門(そこでの機能)を表現
「家庭医」は家庭医療学という学問を表現

これらにさらに、勝手に付け加えてみました

「地域医療」いろいろ定義はありますが、メインはその地域に根ざした医療を表現
「農村医療」佐久病院の若月先生が提唱した医療 言葉の狭さを超えた地域医療の内容と精神
「実地医家」プライマリケア学会の前身"実地医家の会"からつけられた名前 設立当初の精神から離れて、今使われている多くは「開業医」の丁寧語のような感じだと思います

「かかりつけ医」いきつけということを表現 専門、場所は問わない
「総合医」国が制度として使おうとしている表現
「心療内科」体だけでなく心もわけずに総合的に見る医療を表現
「緩和ケア」主にがん患者を対象にその体と心の苦痛を取る医療

それぞれは重なったり、似ていたり、見る角度が違うのだけれど、
同じベクトルや同じフィールドをもっている気がします

日本にはこれだけ、臓器別専門医療とは違うベクトルを持った医師がいるという文化を表しているような気がします

こう考えると豊かな文化なのでしょうね~

地域医療とはこれらの業界の表現の一つなのかもしれません
そして、「地域医療」をやっているという先生にとって、自分を表現する大切な言葉になっているものだと思います

僕にとって「家庭医療」が大切なように・・・

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コメやひげを例に出しましたが、

漢字ではRedの文化が豊かです  緋、赤、朱、紅、丹・・・

どれが一番あかい?なんてしょうもない質問ですよね。
あかが一番好きなひとにとってはどれも大切な色のように思います。


そんな一色として地域医療があるのでしょうかね・・・

(ときれいにまとめつつ、
 食えないriceと、美味しいriceがあったり
 かっこいいひげと、かっこよくないひげがあったりするかも・・・
 なんて、こっそり思ってしまいました)

2008年4月15日火曜日

SEAをダンサーのように舞台俳優のように

SEA=Significant Event Analysis
というあるイベントと自分を振り返る方法があります
家庭医としての成長には欠かせないツールと思っています

室蘭にいたときは2週間に一度指導医、同僚と行っていました


なんとそのSEAを勤務先の病院でも開催!!しかも初めての試み!!


事前に「どんな風にやっているの?」と聞かれ、
安全なファシリテーションの方法や、
イメージできるように自分のSEAを思い切って紹介したりと、
ほんの少しお手伝いしました・・・


当日は初めてとは思えない素晴らしいSEAセッションになりました

SEAを発表した二人の同期の取り上げたイベント、
そのセッションに参加したメンバーの温かいコメント、
そしてファシリテーションした指導医の気配り、
病棟の師長さんも参加したり・・・
なんと40人規模のSEA!!

だからこそ非常に学びが多かったです


そして、疑問がぬっと持ち上がる
「なんでできたのか?」
初めてのSEAがこんなに温かく、
素晴らしく成功する構成要素は何だろう?


ひとつ思ったのはここには家庭医を育てる良質の舞台があるんだ…ということ
その、ポテンシャルの高さを示すSEAだったのかなと…


発表した彼らの研修は、素晴らしい音響、照明の中でのびのび踊るダンサーの様

動作に決まりはないけれど、環境からふさわしい動きをしている
でも、その動作に意味や目的が見いだせなくて悩んでいただけ

このまま踊り続けていいのか?
この踊り方でいいのか?と、不安になっていました。

すごく共感しました。

あえて、あえて、逆の立場として書いてみますが、

僕の研修は、どちらかというと、自然と体が動くような大きな舞台はないけれど、素晴らしい演出家と、脚本がある舞台俳優をやっていた気がします

そのため呼吸のひとつまで意識して吐いている感じ
自分の動作の目的も意味も理解して動いていう感覚

だからもっと大きな舞台で動きたい!!という思いがありました。


発表者の同期二人と飲み屋へ
「舞台と脚本」の話をしたら大盛り上がり

今回の札幌への派遣は、
まさに大きな舞台に脚本を持ち込み、
舞台を求めていた俳優に場を
脚本を求めていたダンサーに演出を
提供するwin-winなんだと・・・飲み語りました


まだまだ貧弱な脚本と演出ですが、
自分の学習環境を思い出して、
うまくこの大きな舞台に適応させることができたらいいなと思いました

これぞ学びのサイクルが動き出した瞬間

今札幌で、
いつか日本中で

2008年3月26日水曜日

チームという教育環境、そこにはProfessionalもProjectも存在する

受信料の値段を納得しているくらいNHKを見ています

一番好きな番組の「Professional」は、
かつて好きだった「ProjectX」の次のプログラムとして登場し、
また僕を魅了してくれています

ProjectXの時は涙を流したことが多かったのですが、
今のProfessionalの時は心をぐっと動かされることが多くなりました


この番組の次の構想を練るとしたら、次は、

「Team A」 (勝手に名前をつけてみました)

これは涙を流しながら、ぐっと動かされるものになる気がします


プロジェクトXでは度々登場し、
プロフェッショナルでも「個」の影にちらちら垣間見える
「チーム」の存在

チームとは共通の目的を持って、
その準備を進め、
相互に補う少人数の集団

この集団の力を是非次の番組テーマになったら面白いと思っています

と、いうのも、
チームの中には「Project」も「professional」も存在しているから・・・と思うのです

「個」ではなく「和」が、
どんな価値を生み出しているのか・・・Aspiration
どんな人材で構成されているのか・・・Asset
どんな活動を繰り広げているのか・・・Action
(だから頭文字をとってTeam Aなのです)

そのチームに存在する
「しくみ」や「信念」や 「クリエイティビティ」や「広がる共感」

それらの多彩なあり方を見てみたいと切望します

と、いうのも「チーム」の中に「教育」が隣り合わせになっていて、
その「チーム」内の教育に興味を持つよう最近変化しました


上司部下という縦にも
同期仲間という横にも
「教育」が・・・「影響」が、「伝播」が存在していて、
それが非常にプロやよいプロジェクトを支えるように感じています


先日のとある番組で、
トヨタの販売優秀な営業マンと、
本田の販売優秀な店舗の店長が出演していました

両者とも本当に尊敬できる人でした
そして、圧倒的に店舗の店長の話に感動しました

個人の総和以上のものを生み出すことが、
チームの強みと再認識しました



足元を見てみると、自分の所属している組織は、
組織というよりはチームのように感じます

再会する自分の同級生や同期や仲間も、
離れていてもチームのように感じます

最近の日々の中で、最高の学びの場は、
「優れた手本が周りにいて、学ぶ雰囲気を持つチーム」だと、
感じたことからの日記でした

2008年3月18日火曜日

家庭医療とは?日本でも根付く感覚で・・

家庭医療の幸せは、
その言葉の曖昧な感じが故に、
「家庭医療とは・・・」を真剣に考える作業が必要なこと

子供を診るから小児科、お腹を切るから消化器外科医、
他の専門医の名前には曖昧さが無い・・・

家庭を診るから・・・ってだけでもない・・・し・・・
うーん、何だ?家庭医療?と、
学生時代からずっと名前の持つ曖昧さに悩んでいました・・・

人に聞かれても「地域医療の専門」とか「昔の町医者の学問」とかそれらしいけど、
なんかイマイチな感じでした

最近は名前でなく、
機能から定義や説明ができるようになり、
ちょっと自分なりにも納得できるようになりました


先日の日記には外国の教科書での勉強会について書きましたが、
考えてみると、でも実は、日本にもぴったりの医療のように感じます

(家庭医と名前が付いてないだけで、 
 同じ機能・似たような働きをもつ先生や診療所がいっぱいですしね)

それは「小さいけれどマルチファンクション」なものが日本人好みだということという感覚
iPodのように・・・十徳ナイフのように・・・

日本家屋のお茶の間のように・・・
日本人って小さくても機能がいっぱいなのものが好きなのでは?

診療所という「狭い空間」でありながらも、
様々な医療を提供することが可能で、
工夫があふれている多機能な空間になっているということ

愚痴を言ったり、
社交場になったり、
診療所のスタッフに会うのを楽しみにしたり・・・

時間の流れと共に、
その人なりの機能や意味を持つ場に診療所が変化していることもあります

僕自身も、
家庭医として小規模だけどマルチファンクションに生きがいややりがいを持って、
精進しているように思いました


多機能でありながら質が高いなんてかっこいいなと思っています
あいまいさも受け入れながらなんですが・・・

2008年3月17日月曜日

言葉の位置エネルギーを深め、高めるReflection

土曜日に指導医と会話し
こっそり課題をもらいました

日曜日に後輩のブログを読み、
それをなんとなく表現できるようになりました


上手く言えたかわかりませんが書きます


もらった課題は、
「自分の中に在るものを、外に動くものにする・・・」
「自分の中に在るものを、動きのあるものとして表現する・・・」
ということです

つまり、 自分の内部に在る知識や信念を、
外への発言や姿勢として変換するとき、
そのエネルギーをより大きくする大切さ -に気づきました

指導医との会話は雑談のようなテーマでしたが、
雑談に流れる深い議論に、 これはNHKよりも、大学教授よりも、的を得ている!!
という確信がありました

フル時間通じて指導医の言葉や姿勢から、
深みと高みからのエネルギーを感じました

これらの雑談のテーマは自分なりにも考えていて意見もあったけど、
その在るものの位置が浅かった+低かったな・・・と感じました


背景を深く読み、分析を高みから進めて、
振り返りをすると、 もっと深く、もっと高いところに在ってもいいはず!!

自分の中に在るものを 深く下げ、高く上げる
そうすると言葉にした瞬間、 相手の中で運動をはじめ・・・ 熱を持ち・・・ 光を放つ・・・
その位置エネルギーを内的に貯める作業は、
おそらくKolbの学習サイクルでの 「観察と振り返り⇒概念化と一般化」 の矢印なんでしょうね
もう一段階深める思考 もう一歩高みへの思索

足りない所への課題・・・ですね

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自分の中のイメージとしてはコップの水
・水をためる=input
・あふれてこぼれる=output
・底に穴を開ける=もうひとつのoutput
この時に、 幅広のコップの淵からこぼれたり、
とても縦長のコップの底から流れたり、
すると勢いがいいな~というイメージでした